麻雀卓を囲む大山(右)。左は先輩棋士の加藤治郎
助手席に大山先生を乗せたのは間違いだった。環状八号線に入るなり、安全運転を意識していた僕に鋭い指令が飛んできた。
「あんた、ノロノロしてないで、前のクルマを抜かしなさいよ」
大山先生を乗せて事故でも起こしたら将棋界の大事件だ。それでも命令とあれば逆らえない。嫌な予感がしたが、アクセルを踏む。
「あの赤いクルマも抜かして」
「次はあのトラック」
まるで盤面解説をするように、次々と〝指し手〟を繰り出してくる。茅ヶ崎に到着するまで、一体何台の車を追い抜いたか分からない。木村名人の自宅に到着すると、大山先生は背伸びをして、白い封筒を取り出した。
「あんた、これ取っておきなさい」
なかには一万円札が何枚か入っていた。
「割と運転うまいね。良かった」
大山先生はそう言うと、嬉しそうに笑った。
この日は、木村義雄・十四世名人、大山康晴・十五世名人、そして中原誠・十六世名人の「3名人揃い踏み」という豪華な撮影だった。前述した「関西将棋会館」の建設資金を集める目的で3名人の連名による記念免状を発行することになり、その宣伝のために一堂に会しての撮影となった。
(左から)中原誠、大山康晴、木村義雄の3名人
木村名人は新しい関西将棋会館を見届けられた後、1986年に81歳で亡くなられた。棋界のレジェンドを撮影できたあの日の喜びは、いまも忘れることができない。