「王将愛」が伝わるGACKTの若かりしころ
「ガクくんは、ブラスバンド部に入部していたと思いますが、途中で辞めたようです。当時、高校ではエレキギターなんかが禁止されていましたが、彼は仲間たちとバンドを組んでいました。土曜日の授業が終わりには、『王将行こうや』と毎回練習前にバンド仲間と制服姿で近くの『餃子の王将』へ通っていました。店長とも親しく、卒業アルバムは王将の店の前で店長らと写真を撮っていて、学校よりも思い入れある場所だったのかもしれません」
幼少期からピアノを習いはじめ、父親の影響でトランペットなどの金管楽器にも触れてきたGACKT。特にドラムと出会いが彼にとっては特別なものとなった。
「バンドの練習のために自分たちで地元の公民館を借りて、練習していたそうです。ドラムの腕前は当時からプロ級で、修学旅行などで演奏を披露していました。まさか本当にプロのミュージシャンになるとは思いませんでした。人の知らないところで相当な努力をしていたんだろうと思います。
彼は生まれの地である沖縄に愛着があるようで、育った滋賀について多くを語りません。でも、滋賀は車のナンバーが“ゲジゲジナンバー”と揶揄されたり、関西のなかでも地味な県だと思われているところがあるので、彼が出演する今回の作品で滋賀を全国区にしてくれて、とてもありがたいです」(同前)
話題の沸騰中の『翔んで埼玉』。滋賀県民にとっては“GACKTから愛をこめて”だったのかもしれない。