内村がMCを務める『内P』にたびたび有吉を呼んだ
2004年1月26日の放送は「有吉弘行という男をプロデュース!」と題された。ゲストをお題とした大喜利に有吉が回答し、内村が「おもしれえよな、勝てねえよな」と笑う場面があった。
有吉は後に、2007年放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)でお笑いコンビ・品川庄司の品川祐に「おしゃべりクソ野郎」のあだ名をつけ、毒舌王として再ブレイクを果たす。だが、おさるは『内P』当時から毒舌の片鱗が見られたと証言する。
「ゲストで俳優さんやタレントさんが来たら、彼らが“獲物”で有吉さんは“ライオン”。当時から毒を吐いては、“飼育員”の内村さんが止める構図ができていました。有吉さんが内村さんに噛みついた時は、さまぁ~ずさんが止めていた。
収録後は必ず飲みに行きましたね。有吉さんは内村さんに、熱心に仕事や収録のことで話しかけていた記憶があります。内村さんはいつも、あのニコニコとした笑顔で若手の話を聞いていた。本当に面倒見の良い先輩だと思いました」
「竜兵会」で見つけたもの
有吉は昨年、紅白初出場を果たしている。昨年5月に亡くなったダチョウ倶楽部の上島竜兵(享年61)を追悼し、メンバーの肥後克広(60)、寺門ジモン(61)らとともに、猿岩石時代のヒット曲『白い雲のように』を披露したのだ。曲が終わると有吉は「上島も喜んでおります」と言った──。
上島もまた、有吉の“どん底”時代を支えた一人だ。事務所の後輩である有吉らを「竜兵会」の飲み会に誘い、東京・東高円寺の居酒屋「野武士」(2016年に閉店)でよく酒を酌み交わした。