有吉弘行一覧

【有吉弘行】に関するニュースを集めたページです。

上島さんがいなくなってもダチョウは活動を続ける
ダチョウ倶楽部の2人 上島竜兵さんの通夜当日にドラマ撮影、笑顔でファンサービス
 数時間後に37年間を共にした盟友の亡骸と対面する──常人であれば、言葉も出ないような悲しみに襲われるなか、ダチョウ倶楽部の2人は上島竜兵さん(享年61)との“お約束”を果たすため、ある場所に向かっていた──。 昭和からタイムスリップしたようなひなびた大衆食堂に、困惑の声が響く。「あんなでけぇショッピングセンターができたらよぉ」「うちらみたいな小さな商店街はもうおしまいだ!」 絶妙なタイミングで言葉をつないだのは、ダチョウ倶楽部の肥後克広(59才)と寺門ジモン(59才)だった。2人は放送中のドラマ『やんごとなき一族』(フジテレビ系)で、主人公・深山佐都(土屋太鳳・27才)の実家である大衆食堂「まんぷく屋」に通う常連客を演じている。 第1話では、ダチョウ倶楽部の3人が揃って出演し、コミカルな演技が光った。しかし、5月26日に放送された第6話で掛け合いを見せたのは冒頭のように2人だけ。そこに「八百屋の八さん」を演じていた上島竜兵さんの姿はなかった──。 上島さんの訃報が届いたのは、5月11日のことだった。冒頭のシーンは、上島さんの通夜が営まれた5月13日の午前中に撮影されたという。「撮影を延期するという話も出ました。しかし、肥後さんと寺門さんの『スケジュールの延期で迷惑をかけたくない』という意向で、撮影が決行されました」(ドラマ関係者) 撮影場所となった東京・足立区にある老舗の甘味処「かどや」の店主・中田実さんが明かす。「あの日の撮影は上島さんのお通夜に参列できるようにと、開始時間が前倒しされたそうです。朝9時には出演者やスタッフが撮影現場に来ていましたね。ダチョウ倶楽部のおふたりは撮影が始まると明るい声を出し、落ち込んでいる様子は見せませんでした」 ファンサービスも、“通常営業”だった。「見学していた近隣に住んでいるかたが、“もしタイミングがあれば”とサイン色紙を持ってきたんです。しかし、上島さんを亡くしたばかりで、状況的にファンサービスは難しいと考えたのでしょう。スタッフさんが『ごめんなさい。今日は……』とお断りされていたんです。 ところが、その様子を見ていたおふたりは『全然いいですよ! ありがとうございます』と自らサインに応じていました。本当はつらいはずなのに満面の笑みで……見ていて胸に込み上げるものがありましたね」(中田さん) ダチョウ倶楽部は1985年に結成されてから、今年で37年を迎える。肥後と寺門にとって、上島さんは長い時間を共にしてきた、家族以上の存在だった。突然の死に2人が動揺し、悲しみに暮れたことは想像に難くない。「普通だったら、仕事をこなせるような状況ではないはずです。でも、2人は仕事を休まなかった。きっと、『上島の分も頑張らなければ』という思いでいたのでしょう。カットの声がかかった後、モニターを覗きこんで真剣に演技をチェックする彼らのプロ根性に、思わず涙を浮かべている人もいました」(ドラマスタッフ)上島さんが語った「やっぱり撮影は……」 肥後は過去にインタビューで、ダチョウ倶楽部の流儀をこう語っている。「求められたことを全力で」 ダチョウ倶楽部は、どんなムチャな仕事にも、肥後の言うように「全力で」取り組んできた。1993年に流行語大賞で銀賞を受賞した「聞いてないよォ」は、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ系)で、体を張るなかで生まれたという。「肥後さんが挑戦したのは、体長8mほどもある巨大なジンベエザメの口の中に入るという企画でした。スタッフは”ジンベエザメが食べるのはプランクトンだから危なくないですよ”と説明し、肥後さんも”それならやります”と。しかし、想像以上にサメの噛む力が強かったうえ、肥後さんが背負っていた餌袋をくわえたままサメが海中深く潜り始めてしまったんです。命からがら海から上がり、とっさに口から出たのが『聞いてないよォ』という言葉。“本音”がウケて3人の持ちネタになったのです」(テレビ局関係者) そんなメンバーのなかでも、誠実な人柄とリアクション芸で欠かせないキャラクターとなった上島さんだが、もともとは役者志望だった。「上島さんは文学座や野田秀樹さん(66才)の主宰する劇団などを受けたものの、不合格が続いたんです。仕方なくお笑いへとシフトチェンジし、俳優養成所で一緒だった寺門さんと一緒に、コント赤信号の渡辺正行さん(66才)が若手芸人を集めて行っていた企画に参加した。そこで雑用係をしていた肥後さんに出会い、ダチョウ倶楽部が結成されました」(お笑い関係者) 当初、上島さんは役者の道を諦めることに無念の表情を浮かべていた。背中を“押した”のは寺門だった。「万が一、世に出るようなことになったら、そのときにまた好きな芝居をやればいいじゃないか」 その言葉通り、ダチョウ倶楽部が国民的人気を誇るようになると、3人はそれぞれ役者としても活躍し始める。なかでも上島さんは、人気ドラマへの出演が続いていた。『怪物くん』(2010年・日本テレビ系)のオオカミ男役をはじめ、近年では『真犯人フラグ』(日本テレビ系)での不気味な謎の男役で注目を浴びる。 今クールも『恋に無駄口』(テレビ朝日系)や『家政婦のミタゾノ』(テレビ朝日系)などに出演しているが、3人が同じドラマに出演するのは5年ぶりのことだった。その『やんごとなき一族』で3人は、主人公を幼い頃から見守ってきた、おじさんのような存在という大事な役回りだった。「監督は現場でのアドリブを大歓迎していて、3人で『こうしたらもっと面白くなるんじゃないか』などと話し合って、せりふが足されていました。結成から35年以上たっても変わらない仲のよさで、まさに“和気あいあい”といった雰囲気でした。上島さんは撮影の際、『やっぱりドラマの撮影は楽しいですね』とお話しされていたんですが……」(前出・ドラマスタッフ) 残された肥後と寺門の精神状態を考えると、相当な心労を抱えながらのドラマ出演となったはずだ。それでも、最後までドラマに出続ける決意をしたのは、上島さんと誓った“求められたことを全力で”というダチョウ倶楽部の“お約束”があるからだろう。天国にいる上島さんは、そんな2人の“芸人魂”を見て、ウズウズしているのではないか──そう思わずにいられない。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.01 16:00
女性セブン
上島さんがよく歌った『ホームにて』とは
有吉弘行が上島竜兵さんに捧げた中島みゆき『ホームにて』 都会で踏ん張る2人を支えた一曲
 有吉弘行が「恩人」として必ず名前を挙げていた上島竜兵さん(享年61)。2人にはともに中島みゆき(70才)のファンであるという共通点があった。故郷への思いを胸にしまい、都会で懸命に踏ん張っていた彼らを支えた中島みゆきの隠れた名曲を、いまこそ──。「曲行く? 今日ぐらいは、上島さんがよく歌ってた好きな歌ですかね……」 5月15日に生放送された『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系ラジオ)で、時折声を詰まらせながら語った有吉弘行(47才)。この日のオープニングでは、5月11日に61才で亡くなったダチョウ倶楽部の上島竜兵さんを追悼し、中島みゆき(70才)が1977年に発表した『ホームにて』を選曲した。 アコースティックギターの静かなイントロの後に、中島の歌声が語り掛けるように響く。有吉がこの曲を知ったのは、「竜兵会」だった。「竜兵会は、仕事がなかった頃の有吉さんや土田晃之さん(49才)、劇団ひとりさん(45才)らが上島さんを慕って集まった会。上島さんはなじみの居酒屋にメンバーを連れて行き、いつも自分のおごりで飲み食いさせていました。ただ、上島さんはいつもベロベロに酔っ払い、有吉さんらに『何やってんだよ!』と突っ込まれていましたね(笑い)」(テレビ局関係者) 先輩風を吹かせることもなく、後輩の前で酔い潰れてくだを巻く。飾らない人柄で誰からも愛された上島さんが、好んで熱唱したのが『ホームにて』だった。「竜兵会でへべれけになった上島さんは深夜3時くらいにカラオケのマイクを握り、号泣しながらこの曲をよく歌っていました。最初は『何泣いてんだよ』と突っ込んでいた有吉さんも、次第に曲に魅了され中島さんのオリジナル曲を聴くようになった。いまや有吉さんは大のみゆきファンで、自分が運転する車では彼女の歌しか聴かないそうです」(前出・テレビ局関係者) 上島さんと有吉をつないだ『ホームにて』とは、どのような曲か──。都会で暮らす地方出身者の心を歌った『ホームにて』は、中島が1977年に発表したアルバム『あ・り・が・と・う』に収録された一曲で、のちにシングル『わかれうた』のB面として収録された。シングルとはいえB面で、『時代』や『ファイト!』のように誰もが知るメジャーな曲ではない。それでもこの曲は多くの人を魅了し、槇原敬之(53才)や工藤静香(52才)、高畑充希(30才)らが続々とカバーした。 この曲は、ふるさとへと向かう最終の汽車の出発を待つ駅の情景から始まる。駅長がやさしく乗車を促すなか、足早に車内に乗り込んだ乗客たちは笑顔を見せる。出発の時間がきて汽車のドアが閉まりかけるが、まだ駆け足で滑り込めば、なつかしいふるさとに帰ることができる。だが主人公はホームにたたずんだまま動けない。汽車のドアはゆっくりと閉じ、その手に残されたのは、ふるさと行きの乗車券だった──。 歌詞には「ネオンライト」という単語が登場する。メディア文化評論家の碓井広義さんは「ネオンライトは都会の象徴です」と語る。「中島さんは、都会で暮らす地方出身者が故郷を思う心を歌っている。都会のネオンライトはまぶしく魅力的だけど、それだけで、ふるさと行きの乗車券=望郷の念を燃やし、消すことはできません。そんな複雑でほろ苦い感情がよく表された歌詞です」帰りたくとも帰れない故郷への思い この曲からは、中島の生まれ故郷・北海道の情景が浮かび上がる。医師だった中島の父は、娘がデビューした1975年に脳出血でこの世を去った。その失意のもとで作詞作曲されたのが『ホームにて』だった。「北海道から上京して歌手としてデビューしたのち、父を失う悲しみのなかで、故郷に帰りたくとも帰れない思いがにじみ出ています。あまり若い頃の体験談を歌わないみゆきさんですが、この曲には深い思いが込められているのでしょう」(音楽関係者) そんな中島の思いの丈を示す「伝説」が残されている。「『ホームにて』のレコーディングには坂本龍一さん(70才)が参加しました。できあがった曲を披露するとき、みゆきさんは坂本さんの前で涙を流して滔々と歌い上げ、『プロの歌手が泣きながらレコーディングするなんて』と坂本さんを驚かせたといいます。1978年に出演した歌謡番組『ミュージックフェア』でもみゆきさんは『ホームにて』を歌唱する最中に感極まり、あふれでる涙を止められませんでした」(前出・音楽関係者) 一方で、この曲に込められているのは郷愁だけではない。「この曲は中島さんの歌う『応援歌』でもあると思う」 と語るのは、音楽評論家の前田祥丈さんだ。「この曲はふるさとに帰るかどうか、迷う心情を歌っています。人々の心を打つのは『帰る』『帰らない』のどちらを選んだとしても、その選択を歌い手の中島さんが尊重して、肯定しているからじゃないかと感じます。 だから、人生の岐路に立って迷う人に『あなたの選択は間違っていないよ』とエールを送る歌になっていて、自分の選んだ道に自信を持てず葛藤する人のことも、彼女はやさしく慰めます。それゆえに、弱ったときや迷ったときにこの曲を聴くと、支えになる人が多いのでしょう」『ホームにて』をカバーし、コンサートでも歌う歌手の手嶌葵(34才)も中島に希望を与えられたひとりだ。その手嶌が語る。「生まれ故郷の福岡を離れて10代でデビューした私は、歌手として成功するかどうか、不安ばかりの毎日を送っていました。コンサートでも足がすくんでうまく歌えないことがあって、福岡に戻りたいという気持ちが強かった。そんなとき、みゆきさんの『ホームにて』を聴き、やさしい歌声に応援された気になり、『もう少し、頑張ろう』との気持ちが湧いてきました。いまも疲れたときはあの曲を聴いて、みゆきさんに背中を押してもらっています」 お笑い芸人の道を選んだ上島さんと有吉も、この曲を心の励みにしていたのだろうか。「上島さんは役者を目指して神戸(兵庫)から上京したのち、がんのお母さんを看病するため帰郷して再上京したり、お父さんが自己破産するなど苦労の連続でした。有吉さんは高校卒業後にオール巨人さんに弟子入りするも8か月で破門になり、故郷の広島に帰った。1996年に『進め!電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク企画でブレークしてからも、その後に再ブレークするまで多くの辛酸をなめました。 ふるさとを離れ、困難や葛藤を経験して成功した2人だけに『ホームにて』が醸し出す何とも言えないほろ苦さや、そこから生まれる決意を共有できたのかもしれません。上島さんの追悼として、いかにも有吉さんらしい選曲です」(前出・テレビ局関係者) 深い悲しみのなか、『ホームにて』を愛する先輩に捧げた有吉は、自らを鼓舞して前に進むためにも、この曲を必要としたのかもしれない。※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.25 16:00
女性セブン
●1999年 女性セブン特写
上島竜兵さん「トークが上手くなったら終わり」リアクション芸人が残した名言
 ダチョウ倶楽部のメンバーとして活躍した上島竜兵さんが5月11日未明に亡くなった(享年61)。あまりに突然の別れに芸能界からも惜しむ声が広がっている。自身は「竜兵会」を主宰し、有吉弘行ら芸人を売れない時期から支えるなど人望の厚い人物として知られていた。故人をしのびつつ、過去の功績を彼の名言とともに振り返ります。●1999年 女性セブン特写 1980年にキムチ倶楽部として結成。当時は電撃ネットワークの南部虎弾も一緒に活動していた。1985年にダチョウ倶楽部に改名し、1987年から現在のトリオの形になった。 2021年、還暦を迎えたときのインタビューで述べたのは、「ダチョウ倶楽部の3人でもう一花咲かせたいよね。攻めの姿勢を忘れずに。いまのご時世で厳しいけど、いつかまた熱湯風呂に入ったり、熱々おでんとかやりたいな」というセリフ。これからの展望を語っていた。●1994年 結婚式 ものまねタレントの広川ひかると結婚したのはまだ若手芸人だった1994年。「ものまねタレントだけあって、毎日違う女になってくれるのが魅力です」とおのろけ気味にコメントしていた。●2009年 『竜兵会 僕たちいわばサラリーマンです。』出版記念記者会見 上島さんを慕う芸人たちによって結成された竜兵会。プロダクションの垣根を越えて、輪が広がり、有吉弘行、劇団ひとり、土田晃之らがメンバーだった。●2009年 映画『上島ジェーン』DVD発売イベント 不遇の時代から親交が深かった有吉は、テレビ番組で「上島さんのことをバカにされると(怒りのスイッチが)入っちゃう」と発言。有吉が上島さんを慕うエピソードとして話題になった。 2014年に有吉が自身のTwitterで、「上島さんは『俺の葬式の時には、俺の顔に熱湯をブッかけてくれよ!』と言う……中々ハードな注文だ。かける方の世間体もあるし……でも、まあ世話になったし、やってみるか……(もちろん上島さんは存命中です…)」と投稿。リアクション芸人魂を感じる言葉を残した。●2011年 舞台『志村けん一座第6回公演 志村魂〜『初午の日に』再び!〜』ゲネプロ 師匠と慕っていた志村けんさんが亡くなったとき、公式ブログに「志村さんがいらっしゃったからいまのダチョウ倶楽部があるのだと思います」と綴り、さらに「ひとりで酒を飲んでいても、ふと志村さんを思い出して涙ぐんだりするときがあるんです」と深い悲しみを吐露していた。●2015年 「キリンのどごし〈生〉」イベント このイベントでは、流しそうめんの連続キャッチのギネス世界記録に挑戦。惜しくも失敗したが、トークにギャグに大活躍し、会場を大いに盛り上げた。 2012年に有吉のTwitterに投稿された上島さんの名言が「リアクション芸人がトークが上手くなったら終わりだろ!」。リアクション芸に命をかけてこだわった上島さんだからこそ言うことができた言葉だろう。●2013年 BeeTV「すべり芸人☆夢の競演 THEすべり場」イベント 代表ギャグである、“くるりんぱ”を見せる上島さん。ダチョウ倶楽部として数々のギャグを生み出し、“聞いてないよォ”で1993年に流行語大賞受賞。ほかにも“ヤー”、“どうぞどうぞ”、“ムッシュムラムラ”などがある。 2021年竜兵会のメンバー土田晃之のラジオにて、映画『浅草キッド』の話に。(ビートたけしの師匠)深見千三郎さんが、「笑われるんじゃねえぞ。笑わせるんだよ」と劇中で言うが、上島さんは「笑わせてるんじゃねぇよ。笑われるんだよ」と番組内で照れながら自分流のお笑い論を述べた。●2021年 映画『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』公開直前イベント モデルの生見愛瑠に禁断のキス芸を迫ったが、阻止され、寺門ジモンとキスをする流れになったが、コロナ禍ということもありアクリル板でのキスとなった。「逃げちゃだめなことなんて一切ないんじゃないかな。ただしうまく逃げろよ」とは、2011年の雑誌インタビューでのコメント。「自分が逃げたと考えている道にこそ、本人さえ気づかない才能が待ってるかもしれない」と持論を展開した。※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.22 16:00
女性セブン
【動画】上島竜兵さん、有吉弘行からの53万円オメガ「毎日キレイに」
【動画】上島竜兵さん、有吉弘行からの53万円オメガ「毎日キレイに」
 有吉弘行さんが、自身のラジオ番組で上島竜兵さんを追悼しました。 5月14日に行われた上島さんの葬儀を振り返った有吉さん。上島さんが愛用していた帽子やグラスなどが飾られている中に、有吉さんがプレゼントした時計もあったそうです。 有吉さんは「ひかるさんが『毎日つけて、毎日キレイにして枕元に片付けていた』って。だから本当に俺もよかったなと思った」としみじみ語りました。時計は上島さんの還暦祝いに贈ったもの。高級腕時計メーカー「オメガ」の定価約53万円の商品です。【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2022.05.22 07:00
NEWSポストセブン
3人息ぴったりの「お家芸」はお茶の間を沸かしてきた
上島竜兵さん追悼 老若男女問わず幅広く愛された“伝統芸”と人柄
 5月11日に急逝したダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)。コラムニストで放送作家の山田美保子さんが、多くの人に愛された上島さんの芸風や人柄について振り返ります。 * * *体を張る芸を披露し、楽しませ、毎回キッチリ笑わせてくれる 近年、ここまで自分の気持ちがもっていかれた有名人の訃報というのもなかったような気がします。5月11日、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなりました。享年61。 バラエティー専門放送作家として、多くの番組でかかわらせていただいたうえ、ワイドショーのスタッフやコメンテーターとして、上島さんとダチョウ倶楽部の皆さんには、何度お世話になったか……数え切れません。 すでに多くの芸人さんがコメントされていますが、誰に対しても優しくて腰が低くて仕事熱心で繊細で……。以前、「竜兵会」の土田晃之サン(49才)や劇団ひとりサン(45才)から、後輩を激励するための会であるはずなのに、途中からいつも上島さんが「俺はこれからどうすればいいんだ」と言いながら泣き出してしまい、フォローするのが大変……というエピソードを『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)で聞いたときには、なんてチャーミングなお人柄なのだろうと、さらに上島さんファンになったのを覚えています。 最近の若手芸人があまりやらなくなった体を張る芸を率先して披露し、楽しませ、毎回キッチリ笑わせてくれたのも上島竜兵さんでした。 いまは、コロナ禍であることや、コンプライアンスがどうのこうのということで、そもそも、そうした番組自体が少ないのですが、実はそれよりもっと前から、最近の若手芸人さんの多くは体を張らなくなっていました。 いいとか悪いとかではないのですが、私のような年配の放送作家からしてみたら、それは少し寂しかった。 でもダチョウ倶楽部だけは、若手の時代から全員がアラウンド60になったいまでも、「熱湯風呂」や「熱々おでん」など、全身を使ったリアクション芸を持ちネタにしていらっしゃった。それらは伝統芸とも呼ばれ、老若男女、幅広い世代に愛されてきました。 最近、こうした“レジェンド芸”がほかの事務所の若手芸人にも伝わるようになっていた矢先の訃報でした。 トレンディエンジェルの斎藤司サン(43才)は、ダチョウ倶楽部と共に体を張った画像をSNSにアップ。EXITのお二人も、共演し、学ばせてもらったことを「宝物」と涙ながらに振り返りました。芸人は笑っていくのが理想、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに 実際、ダチョウ倶楽部はイベント出演が本当に多かったのです。多くの皆さんがオチまで熟知しているハズなのに、何度見ても面白いし大笑いできる。ダチョウ倶楽部が登壇するイベントには必ずワイドショーのカメラが出ていたものです。実は、このことも近年では希有な例だったのです。 いちばんの理由は予算削減。次の理由は、ワイドショーにレギュラーの芸能コーナーがなくなり、特にイベント絡みの映像は、よほど大スポンサーでない限りは、“マル是”(絶対にオンエアするという意味)にもならなくなってしまったのです。 そんな中、ダチョウ倶楽部が登壇するイベントには各局から必ず各番組のクルーが集まり、スポーツ紙の記者さんなども顔を揃えていたのです。 訃報の際、各局が使用していた直近の映像も、4月25日に行われた衛生用紙製品ナンバーワンブランド「エリエール」を展開する『大王製紙』のイベント「えがおにタッチPROJECT」でした。「孤独を感じるときが増えている人や、幸せを感じるときが減っている人が多いこと」「これらは触れ合いの減少に原因があるのかもしれない」という研究結果も伝えられたもので、振り返ると胸が苦しくなってしまいます。が、多くのメディアでいわれている、ダチョウ倶楽部の“3密芸”がコロナ禍でやりにくくなっていたことが“理由”だとは思いたくありませんし、「なぜ?」「どうして?」という問いを繰り返すことをしないと、私自身は決めました。 そんな中、ビートたけしサン(75才)がいち早くコメントを出してくださった。「芸人は笑っていくのが理想であって、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに」というあのコメントです。 たけし軍団として、上島竜兵さんと共に体を張って最高の笑いをとってきたガダルカナル・タカさん(65才)は11日の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ・日本テレビ系)で、上島さんの奥さま・広川ひかるサン(51才)と、20年来、ダチョウ倶楽部を担当してきた女性マネジャーを思いやりました。 ダンカンさん(63才)は13日の『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)で、とっておきのエピソードを話してくれました。以前、自宅に泥棒が入り、ダンカンさんも警察で事情を聞かれることになった際、ダンカンさんが逮捕されたと勘違いした上島竜兵さんがメロンの差し入れを持って警察へ。警察官にダンカンさんの人柄を話し、「魔が差しただけ」とフォローをしてくれたという、なんともほほえましく、バカバカしい内容でした。そして東国原英夫サン(64才)は12日の『ゴゴスマ〜GOGO!Smile!〜』(CBCテレビ・TBS系)で「笑い話で送るのがいちばんの弔いというのが師匠(ビートたけしサン)の考え」と明かし、すでに共演した師匠と上島さんをしのんだことを明かしました。15日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)です。 後にも先にも“師匠”ビートたけしサンのことを「ビート〜〜〜」と呼び捨てにした芸人は上島さんだけだったと。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ系)で思わず出た叫びだったといいます。 週末は明石家さんまサン(66才)が『MBSヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)で、「いちばん好きな芸人、いちばん好きな後輩」と言い、最後に街で会った日、上島さんが外国人から客引きにあっていて、「おっぱいOK?」と交渉していたというエピソードを披露しました。 週末には肥後克広サンと寺門ジモンさんからのコメントも。天才芸人であり、最高の仲間である上島竜兵さんを笑いやトリオ芸をまじえた最高の文章でしのびました。「二人で、『純烈』のオーディションを受けます」なる一文には『純烈』リーダーの酒井一圭サン(46才)がTwitterで「推すなって? 絶対推すなって? 純烈は推しますよ」と“熱湯風呂”のお約束ギャグでリアクションしました。 神宮球場では、ヤクルトスワローズの公式キャラクター「つば九郎」が恒例の「くるりんぱ」後に合掌。ダチョウ倶楽部のお約束芸が美しい映像になったケツメイシの『友よ〜この先もずっと…』のYouTubeで公開されているMVには、上島竜兵さんを悼む一般のかたからのコメントがとまりません。 そうした皆さんが心配されていた「竜兵会」の土田晃之サンや有吉弘行サン(47才)はそれぞれ自身のラジオ番組で病院に駆けつけたことから“家族”として上島さんを送ることができたと。そこには“笑い”もあったと明かしてくれました。 最強のお笑い芸人、上島竜兵さんへの想いが強すぎることから、送る言葉が見つけられない日々が続いていたのですが、上島さんを愛してやまない本当に多くの芸人さんたちのお陰で、笑って送るという気持ちになれました。 上島竜兵さん、お疲れさまでした。“芸能部”“お笑い界”は、絶対に、上島竜兵さんのことを語り続けます。 ゆっくり休んでください。合掌。構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ〜テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時〜午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時〜同9時、毎月10日:午前8時〜翌日午前8時)※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.21 16:00
女性セブン
悲しみに包まれている
上島竜兵さんに寄り添い続けた妻・広川ひかる “恐妻ネタ”の陰で支え合った2人
 悲しみに暮れる葬儀場で、残された妻の広川ひかる(51才)は参列者に気丈に声をかけていた。5月14日、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)の葬儀が行われた。11日に都内の自宅で上島さんを広川が発見し、病院に搬送されたが死亡が確認された。葬儀の喪主を務めた広川は最後の挨拶でこう語った。「寅さんが死んじゃって……あ、寅さんじゃなく竜さんだ」 上島さんがフーテンの寅さんが好きだったという話をする際に言い間違えた妻の言葉に、その場は笑いに包まれた。広川も笑顔を見せた。だが参列者はみんな知っていた。上島さんに寄り添い続けた広川が、誰よりも悲しみの中にいることを──。出会いは1本の電話から 2020年に新型コロナウイルスが猛威を振るい始めて以降、上島さんと広川は住み慣れた街を仲よく散歩するようになった。上島さんの知人が振り返る。「夫婦で仲よく散歩するなんてことはなかったんですけどね。でも去年くらいから上島さんが“今日もひかるちゃんと散歩しちゃったよ”ってうれしそうに話すようになったんです。“道端に咲いている花がきれいだった”なんて詩人みたいなことを言うから驚きましたよ(笑い)。いま思えば、ひかるさんが上島さんを気分転換に連れ出していたのかもしれませんね……」 1994年に上島さんと結婚した広川は、もともとものまねタレントとして活動していた。営業先でよく顔を合わせていたふたりが急接近したきっかけは、一本の電話だった。「ダチョウ倶楽部のリーダーの肥後克広さん(59才)と上島さんが、“女の子を誘って飲もう”と片っ端から知り合いの女性に電話をしたことがあったんです。そのときに唯一上島さんの電話に出たのがひかるさんでした。でもひかるさんが来ることになった途端、肥後さんは気を利かせて“具合が悪い”と先に帰った。ふたりきりで飲んだことで交際に発展していったのです」(前出・上島さんの知人) 共通の趣味であるプロレス観戦デートで愛を育んだふたりは、広川のアパートで同棲を開始。4年にわたる交際を経て結婚した。1985年にダチョウ倶楽部を結成し、1989年に放送が始まった『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ系)で体を張ったリアクション芸を披露してブレーク。結婚当時の上島さんは人気絶頂で、広川はタレント業をセーブして多忙な夫をサポートした。「ひかるさんの担当は、食事や掃除だけじゃありません。上島さんが舞台に出るときは後輩の分までお弁当を作り、車で送り迎え。家計管理も彼女の役割で、上島さんは後輩と飲むときは必ずおごるので、ひかるさんは手持ちの現金がなくならないよう、頃合いを見てこっそりと上島さんの財布にお金を入れていました。本当によくできた奥さんです」(前出・上島さんの知人) お笑い芸人として、日々プレッシャーに晒される夫の内面ケアにも取り組んだ。「夫に尽くしながら、締めるところは締めるのがひかるさんのやり方。上島さんが仕事前にだらしない面を見せると、“今日は絶対にスベるぞ!”と本気で怒っていました。叱られた上島さんが真顔になって“ごめんなさい”とひかるさんに謝る姿が何とも言えず微笑ましかった」(前出・上島さんの知人)「けんかしてチューもできない」 一方の上島さんも妻のために尽力した。広川の祖母が病気で体調を崩した際、上島さんは自宅マンションに祖母を迎え入れた。さらに同じマンションに別の部屋を借り、自分はそこを生活の拠点とした。「上島さんは飲んで帰りが遅くなることも多く、妻の看病の邪魔をしないようにとの配慮でした。この話に尾ひれがつき、マスコミに『すわ、家庭内別居か』と報じられたほどです。もっとも、上島さんが照れ隠しで“嫁が怖くて家に帰りたくない”とあちこちで吹聴するからいけないのだけど(笑い)」(芸能関係者) 上島さんのエピソードトークには「妻が怖い」「妻が浮気している」「腹を割りばしで刺された」など、しばしば広川が登場した。こうした「奥さんイジリ」は、実は広川との約束破りだった。「上島さんはひかるちゃんに、“家のことはあまり話すな”と釘を刺されていました」 と話すのは広川の知人だ。「もちろん妻イジリは笑いを取るためのネタでしたが、妻の立場からすれば、家族や両親が心配したり、世間から“そういう夫婦なんだ”と見られるのがイヤだったみたい。でも夫のキャラを守るために、あまり強くは言わなかったようです」(広川の知人) 話すなと言われるとつい話してしまうのが「芸人上島」だったが、妻がそんな夫をとがめることはなかった。 上島さんには“師匠”と仰ぐ偉大な先輩がいた。2年前に急逝した志村けんさん(享年70)だ。1997年に『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)に初出演した上島さんは、2006年からは志村さんが主催・主演の舞台にも参加するようになった。そこでの演技が評価され、映画『上島ジェーン』(2009年公開)で俳優として初主演、ドラマ『怪物くん』(日本テレビ系/2010年)でオオカミ男を好演するなど、芸人の域を超えていった。 志村さんとは、公私にわたる深いつきあいだったという。上島さんは志村さんらと連日飲み歩き、帰宅するのが朝方になることもあった。2000年頃には有吉弘行(47才)、土田晃之(49才)、劇団ひとり(45才)ら上島さんを慕う芸人が集う「竜兵会」を結成。週7ペースで飲むこともあった上島さんを、広川が束縛することはなかった。 プライベートでは「お笑い芸人の街」とされる東京・中野を愛し、売れっ子芸人にしてはめずらしく、中野の賃貸マンションを転々とした。売れると高級住宅街に引っ越す芸能人が多いなか、結婚後も中野界隈に住み続けた。 そんな順調な芸人人生を一変させたのが、夫婦で散歩を始めるきっかけにもなった新型コロナだ。2020年3月、志村さんが新型コロナで亡くなったことは上島さんの心に大きなダメージを与えた。「喪失感に襲われて、寂しさが増していました。仲間らと大好きなお酒で気を紛らわせたかったけど、コロナ禍で飲み会を開くことすら叶いませんでした。もともと上島さんは気心の知れた仲間と飲み歩いてストレスを発散するタイプでした。それができなくなり、次第に鬱屈した感情を抱え込むようになりました」(前出・上島さんの知人) 仕事にも大きな影響が出た。ダチョウ倶楽部の芸風は、体と体を密着させる芸が多く、ソーシャルディスタンスが叫ばれるコロナ禍にはそぐわない。そればかりか昨今は、「痛みを伴う笑い」が批判の対象になることも多かった。長年の武器を奪われ、上島さんは苦しい状況にあった。 2020年10月、化粧品の新商品発表会に出席した上島さんは、「おでんも卵も飛ばせなくなっちゃった。熱湯風呂も溺れてピュピュッて水吐けなくなった。けんかしてチューもできない。何にもできないオヤジになっちゃった」と苦境を吐露して笑いを誘ったが、「笑いごとではない」が本音だったのかもしれない。 そんな上島さんの心の隙間を埋めようと奮闘したのが、広川だった。「ひかるちゃんは上島さんの性格を熟知していますからね。“あの人は褒められて伸びるタイプだから”と、常に夫の長所を口にして励ましていました。以前の上島さんは夜な夜な飲み歩いていたけど、コロナ禍はずっと自宅にいて、夫婦水入らずで酒を酌み交わす機会が増えました。夫婦仲はさらによくなっていたようです」(前出・広川の知人) 亡くなる2週間ほど前の4月25日、イベントに出演した上島さんは、「初めて結婚してよかったな、嫁がいてよかったなって思いました。おれの文句を聞きながら一緒に飲んでくれるからね」と、妻への感謝を口にしていた。 上島さんの葬儀は“家族葬”とされていたが、斎場には多くの仲間が「おれも竜ちゃんの家族だ」と駆けつけた。上島さんは人一倍「ありがとう」を口にする人だった。その上島さんは“家族”に「ありがとう」の言葉で送り出された。 上島さんは決して孤独ではなかった。葬儀を終えた2日後、広川は《これからもずっと竜ちゃんを忘れないでください》とコメントを発表した。上島さんの笑顔は、これからもファンの中で生き続ける──。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.18 16:00
女性セブン
2015年から着用している高級時計フランクミュラー。“師匠”志村けんさんも同時計を好んで着用していた
上島竜兵さん 志村さん、たけしら大物に愛された“子分力” 売れ続けた要因に
 5月11日に急逝したダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)に対し、お笑い界の名だたる大物がお悔やみの言葉を寄せている。ビートたけしが「本当に悔しい」とメッセージを出せば、明石家さんまはラジオで「いろいろ思い出もあるんで、(精神的に)こたえた」とコメント。松本人志は15日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、「長いつきあいだったので」と、声を詰まらせた。「上島さんは志村けんさんに大変気に入られ、番組で共演するだけでなく、プライベートでも常に行動を共にしていたことで有名でしたが、同時にタモリ、ビートたけし、明石家さんま、所ジョージ、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、さまぁ~ずなど、あらゆる売れっ子MCとも仕事をしてきました。これは本当に珍しいことです。 上島さんのようにゲストやひな壇で活躍する芸人は、仕事をする相手が偏るもの。大物に気に入られるのが芸能界を生き抜く鉄則ですから、必然的に“たけしの番組にはしょっちゅう出るが、さんまの番組には全く出ない”といった現象が起きるものなんです。ところが上島さんにはそれがまったくなかった。仕事にもつながっていきました。それはひとえに上島さんの人柄でしょうし、誰からも愛された何よりの証拠でしょう」(芸能関係者) 冒頭の3人以外にも、加藤茶、爆笑問題、出川哲朗、ナインティナイン、おぎやはぎ、有吉弘行、土田晃之、バナナマンなど、数え切れないほどの芸人仲間が上島さんを追悼。上島さんは先輩だけでなく、後輩からも愛された。「上島さんは典型的な“ツッコまれ役”で、ポンコツと言われることもしばしばでしたが、現場では常に周囲への気配りを忘れない人でした。萎縮する若手に『どんどん前に出ていいよ』と優しく声を掛けたり、爪痕を残そうと意気込む芸人に発言のタイミングをアドバイスしたり、とにかく番組を盛り上げ、芸人としてやっていくノウハウを惜しみなく伝授していました。有吉弘行や土田晃之らが、どれだけ売れっ子になっても上島さんへの感謝の気持ちを忘れなかったのは、そういった姿を見ているからでしょう」(お笑いライター) 上島さんは生前、ことあるごとに自らについて“子分肌”と語り、後輩に対しても子分のようなスタンスで接すると話していた。しかし人柄が良いだけで食べていけるほど、お笑いの世界は甘くない。民放バラエティ番組制作関係者は、上島さんが生み出した数々のギャグの秀逸さについてこう語る。「上島さんの持ちネタだった『聞いてないよ!』『絶対押すなよ!』『どうぞどうぞ』といったギャグは、とにかく破壊力が格別でした。何度見ても笑え、スベることもなく、色褪せることもない。今や一般人でもあのギャグを使いますからね。芸人のギャグが一般人に使われるようになることなんて、滅多にないことです。 同時にお笑い芸人にも、上島さんは良いお手本になりました。あれらのギャグはいずれも周囲の協力があって初めて成立するもの。汎用性が極めて高く、どんなシチュエーションでも使える完成度の高いギャグを見て、若手は『お笑いはチームプレー』ということを学んだわけで、その功績は計り知れません」(民放バラエティ番組制作関係者) 誰もが“聞いてないよ!”と呟いた早すぎる別れだったが、今頃は志村さんとお酒を酌み交わしているのだろうか……。ご冥福をお祈りします。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)
2022.05.17 19:00
NEWSポストセブン
有吉弘行は上島さんと交流があった
「上島竜兵さんの死を笑いに変えたい」に見える芸人たちのもがきと苦しみ
 いつだって人気タレントの訃報には、多くの追悼コメントが寄せられる。ただ、ここまで惜しまれて、故人を失った辛さが溢れ出ることは、そう多くはない。5月11日に急死したお笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(享年61)については、お笑い界の大御所3人を始め数多くの人々が、さまざまな思いを吐露した。 ビートたけし(75才)は、11日当日の公式サイトに「大変ショックです。40年近く前から一緒に仕事をしてきたのに、芸人は笑っていくのが理想であって、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに、どんなことがあっても笑って死んで行かなきゃいけないのに、非常に悔しくて悲しい」と、苦しい胸の内を率直に表明した。 たけしを古くから知る芸能関係者は「2年前の志村けんさん(享年70)の時は『戦友』と惜しみながらも、一方で幸せだったと送り出す思いもありました。今回ほど悲しさばかりの感情を明かされたのは、1999年にお母さんが亡くなった時以来かもしれません」と話す。 上島のリアクション芸が開花したのは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(1989~1996年)。“育ての親”の1人として、寿命を全うしなかった“弟子”の最期に打ちひしがれた。 明石家さんま(66才)は「堪えた。好きな芸人が一番嫌いな死に方をしたから、ちょっと腹が立ってる」とやりきれなさを口にして、笑福亭鶴瓶(70才)も「本当にその通り。お笑い人がみんな傷ついている」と同意した。 ダウンタウン松本人志(58才)も『ワイドナショー』で、「40年近く要所要所で番組で盛り上げてくれて…、ちょっとゴメンナサイ…」と、声を詰まらせ瞳を潤ませた。 前出の芸能関係者は「『テレビでは泣かない』と公言する松本さんのあの姿は珍しかった。司会の東野幸治さんがフォローしなければ危なかった」と語る。 上島さんを囲む飲み会「竜兵会」の後輩だった3人、有吉弘行(47才)、土田晃之(49才)、劇団ひとり(45才)は、それぞれの冠ラジオ番組で語った。 有吉は、11日夕方に2人きりで対面したこと、通夜・葬儀、火葬場まで同席させてもらったこと明かして「ちょっとツッコんでやろうかなとか、茶化したりとか、バカだなとか言おうと思ったけど、やっぱりお礼しか出なかったね」と、涙声で感謝。「結構元気出たつもりだったんだけど、そういうの繰り返すね。元気出たり、また落ち込んだり…」と、まだ受け止め切れていないことを認めた。 泣きながら病院に駆けつけたという土田は「僕のボスが死んだ話です。いつもお笑いで簡単な二択を間違えていた上島さんが、最後も簡単な二択を間違えちゃったんだろうな。そっち行っちゃうと全然みんな楽しくないよ、そっちじゃねぇんだよなって。あの世で志村さんにこっびどく怒られて、『すいません』って言ってるのが目に浮かぶ」と、精いっぱいのダメ出しで愛情を表現した。 劇団ひとりは「昨日今日の出来事だから笑い話にできるかというと、そこまでには至ってないし、いつか笑い話にできるように腕を磨いていくというのが、芸人としての1つの課題」と、珍しく笑い無しで辛い胸中を明かした。 ほかにも数多くの芸人だけでなく、タレントからユーチューバーまでさまざまな人が、SNSで追悼コメントを発表した。絵文字だらけだったり、コロナや社会問題と関連付けたことで、非難された人もいた。弔い方は人それぞれと言えるだろうが、ショックの大きさと多くの人に知られた彼の人となりが伺い知れる反応だった。「上島さんが長い芸歴で大勢と共演してきて、誰に対しても優しい方だった証しだと言えます。そして、イジられてナンボの芸人で先輩後輩に好かれていたから、愛情表現も様々でした。ただ、芸人は、悲しい時も黙してやり過ごすことはできない。悲しさの中に、笑いやシニカルさも込めなければならない職業だと、あらためて思い知らされました。 そのなかで、有吉さんやひとりさんの、しんみりとした中でも笑いを入れ込む姿勢は、逆に涙を誘いました。彼らの芸人魂、そして考え抜いた末の上島さんへの弔いコメントに、感動した人は多かったと思います」(前出・芸能関係者) そんな中、和田アキ子(72才)は出演した番組で、「私はできないです。誰に対して言ってるの?というのが、自分ですごくあるので」と、SNSでの追悼コメントには抵抗感があったと明かした。仕事である以上、情報番組の司会として『アッコにおまかせ!』では涙をためて心境を語ったが、故人への思いを発するには、相当なパワーが必要だったり、辛さがあることをにじませた。 ただただ今は、上島さんのご冥福をお祈りするしかない。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)
2022.05.17 16:00
NEWSポストセブン
誰もが推し量れない、有吉の上島さんへの深い愛
上島竜兵さん、有吉弘行からの「53万円」オメガ高級時計を装着して出演した“勝負番組”
 お笑いタレントの有吉弘行(47)が、人気お笑いトリオ「ダチョウ俱楽部」のメンバー・上島竜兵さん(享年61)を追悼した。5月15日に生放送されたラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、14日に行われた上島さんの葬儀を振り返った。上島さんが愛用していた帽子やグラスなどが飾られている中に、有吉がプレゼントした時計もあったという。「(妻・広川)ひかるさんが『毎日つけて、毎日きれいにして枕元に片付けていた』って。だから本当に俺もよかったなと思った」としみじみ語った。 その時計は、有吉が上島さんの還暦祝いに贈ったものだ。1月2日に放送された同番組に上島さんがゲスト出演した際、「お風呂入るときとかリアクション取るときはしないけど、それ以外で『外せないな』って番組のときは着けています。いちいち箱の中に入れて、(寝るときは)枕元に置いている。これは宝物です」と話していた。 有吉が上島さんにあげたのは、高級腕時計メーカー「オメガ」の一品だ。上島さん本人が「外せない番組で着けている」と話していた通り、昨年10月に放送された『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS)の“竜兵会”復活企画などで装着している。「オメガの定番モデル『スピードマスター』の定価約53万円の商品ですね。人気商品なので、ブランドの公式サイトではすでに在庫切れです。上島さんの好きな色ということで、赤い文字盤のものを選んだのでしょう。還暦祝いの赤いちゃんちゃんこのイメージも重ねているのかもしれません。 上島さんは過去には『ブルガリ』や『フランクミュラー』などの高級腕時計も着けていましたし、時計にはこだわりがあったようですね」(ファッション雑誌編集者) 過去には、帽子をプレゼントしたこともあった。「番組の企画で、有吉さんは『お世話になっているのは、ただひとり』と上島さんのためにデパートで帽子を購入していました。そのときも『赤が好きだから』と赤い帽子を選んでいましたね。帽子を渡された上島さんは大喜びで、涙を拭いながら『くるりんぱ』を披露していました」(芸能記者) 有吉にとって、上島さんは仕事がないドン底時代を支えてくれた大恩人。毎晩一緒に飲み歩き、金銭的にも精神的にも助けられていた。上島さんをドギツくイジっていたのも、深い愛情があるからこそだ。「有吉さんは元フリーアナウンサーの夏目三久さん(37)との交際を周囲の関係者にすら、ひた隠しにしていましたが、上島さんにだけは結婚を事前に報告していました。また、『上島竜兵をバカにするやつは許せない』とも公言していました。番組で上島さんの話題が出たとき、『どこかで本当にあの人のことが好きなんだろうね。恥ずかしいんだけど』と話しているくらいで、その愛は誰から見ても明らかでした」(前出・芸能記者) 多忙により、さすがに近年は一緒に飲む回数は減ったものの、有吉が上島さんを慕う気持ちに変わりはない。前出の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で、有吉は「上島さんが亡くなって寂しいけど、古典落語になるくらい、いろいろ話すこともある。まだまだ感謝を伝えきれないこともたくさんあるし、上島さんのことを忘れずにうだうだとお話していこうと思います」と宣言していた。 上島さんは“愛弟子”の胸に生き続ける──。
2022.05.16 17:00
NEWSポストセブン
上島竜兵さんと竜兵会の面々
上島竜兵さんが予言していた「有吉弘行は必ず来る」の慧眼 ファン250人にも丁寧に握手
 人気お笑いトリオ「ダチョウ俱楽部」のメンバー・上島竜兵さん(61)の突然の訃報に、芸能界をはじめ、多方面から悲しみの声が上がっている。誰からも愛される人柄だった上島さんとの秘話を、上島さんの初の伝記『これが俺の芸風だ!!』の編集兼構成を担当した、ノンフィクションライターの松永多佳倫氏が明かす。 * * * 初対面は、“竜ちゃん”らしくない竜ちゃんだった。「あ、よろしくお願いします」 なんだか鳩が豆鉄砲を食らったような顔しながら深々と丁寧にお辞儀をする上島竜兵さんがいた。 今から17年前、上島さん初の伝記『これが俺の芸風だ!!』を編集兼構成することになった僕にとって、初めての出会いは、ギャップの連続だった。「やー」、「クルリンパ」、「ムッシュムラムラ」で一世を風靡していたダチョウ倶楽部の“竜ちゃん”こと上島竜兵はいつも元気いっぱいのニコニコ顔で誰からも愛されるイメージ。だが実際会ってみると、非常に繊細であり真面目で優しい笑みを蓄えながら、いつも穏やかに話してくれた。 書籍化が決定し初顔合わせのときも上島さんは、「これドッキリじゃないですよね。やっぱりドッキリですか!? もしドッキリだとしても本は作りますから」と言いながら、周りの空気をほんわかと温め、居心地の良い空間を自然と作ってくれた。そんな上島さんを見ているだけでとても愛おしい気分になった。 書籍は、カラー写真64ページを掲載し、当時ブログで人気だった上島語録を収録したほか、生い立ちから高校を卒業して芸人になるまでのストーリーを含む自叙伝的な構成。シャイな上島さんは、自分の生い立ちを一生懸命に面白おかしく話してくれるが、最後に必ず「これって面白い!? 面白くないよね?」と勝手にダメ出しをして落ち込む。これも一連のギャグなのかと思っていたが、モノ作りに真剣ゆえの言動だということはすぐにわかった。 編集兼構成の僕に対しても必要以上に気を遣ってくれた。一緒にロケ取材している最中、僕がいろいろ思案に暮れていると、「いつも難しい顔をしてるねぇ。本当は俺のこと嫌いなんでしょ!?」とスッと声をかけてくれる。すでにベテラン芸人として確固たる地位を築いているにもかかわらず、偉ぶらず、謙虚で常に腰が低い。しかし、お酒の席の場では、僕らが求める竜ちゃんの顔を出し、毒舌を吐き出して笑わせてくれた。 竜兵会にも三度ほどお邪魔させてもらった。竜兵会とは、土田晃之、有吉弘行、劇団ひとり、デンジャラス、インスタントジョンソンなどの芸人たちが上島さんを囲んで気分よく飲ませて、最後は上島さんが泣いてお開きという親睦団体。 上島さんは酒を飲むと、毒舌の嵐で人の悪口を言いまくって管を巻く。上島さんが言うものだから悪口も悪意があるようには聞こえない。端から見れば、上島さんの単なるストレス発散に見えるものの、思うに後輩芸人たちの鬱憤を上島さんが代弁することで後輩の溜飲を下げてあげていたのではないか。それくらい気を配ったことができる人でもあった。「有吉は絶対にまた来るから」 もうひとつ忘れられない出来事がある。初の書籍発売の記念として銀座にあった福家書店で握手会をやったときのこと。開始時間が平日の15時というのに長蛇の列ができ、メディアもテレビの生中継、各新聞社、雑誌社が押し寄せ、お祭り状態だった。「上島さん、もの凄い数の人が集まっています」と一目散に待合室で待機している上島さんに告げた。「またまた〜。こんな平日に人なんかくるわけないじゃない。気を遣わなくていいから。後で落ち込むのは俺だよ」 そう訝しがりながら会場に行くと、250人以上のファンが歓声を上げる。上島さんは「まさか!?」といった顔でかしこまり、終始もじもじしながらひとりひとりに丁寧に頭を下げて握手していた。 そのときの上島さんの顔をしっかりと覚えている。予想以上のギャラリーのためか顔が強ばり、なんだか申し訳なそうにしながらファンの人たちの目を見て「ありがとうございます」と優しい笑みを浮かべて心の籠った握手をしていた。照れているというより奥ゆかしさを感じた。これが、“竜ちゃん”なんだ、と思った瞬間でもあった。 本業のお笑いに関しても優れた慧眼を持っていた。有吉弘行が一発屋としてまだ低迷していた時期、「有吉は絶対にまた来るから」としきりに連呼していた。伝記の打ち上げのときも「有吉は必ず来る。俺の目に狂いはない」と大声で叫び、「いやいや、狂ってばっかじゃねえか!」と土田や劇団ひとりに突っ込まれていた。 それでも僕に耳打ちするように「必ず有吉来るから見ててよ」と泥酔して呂律が回らない中でも言っていたのをよく覚えている。現に、有吉は大ブレークした。目に狂いはなかった。 自分の本ゆえか、後輩芸人にも話を聞いて取り上げて欲しいと僕なんかに丁寧に頼み込み、とにかく頑張っている後輩を引き立てようとする思いがありありと見えた。いつも周りに気を遣い、慎み深い姿が逆にお茶目に見えた。 上島さんの笑顔は、朝方の太陽のようにキラキラしていつも温かかった──。◆文・松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクション作家。1968年、岐阜県生まれ。琉球大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。近著に『確執と信念 スジを通した男』(扶桑社刊)など。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)
2022.05.13 07:00
NEWSポストセブン
上島竜兵と有吉弘行
上島竜兵さんへの有吉発言にあらぬ批判 「2人の関係性を分かっていない」との指摘
 お笑いタレントでダチョウ倶楽部のメンバー、上島竜兵さん(享年61)の急死に衝撃が広がっている。そんななか、あらぬ方向で話題となってしまったのが、有吉弘行が生前の上島さんに向けて言ったジョークだ。今年1月2日放送のラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』でゲストの上島さんに向けて「志村さんが亡くなってもう1年半になりますけども、志村さん寂しくて『竜ちゃん寂しいよ』って天国で呼んでるんじゃないですか?」とボケた一言が、SNSで一部のユーザーから批判を浴びてしまっているのだ。 芸能評論家の三杉武氏は、そうした批判に疑問を呈す。「当時はいつもの2人のやり取りで、笑い話として受けとめられていましたが、上島さんが亡くなったことで、その部分だけが切りとられ、SNSなどで話題となってしまっています。もっとも2人の関係性を知っているファンからすれば、愛情があるからこそのコメントで、深い意味はないことは分かるはず。特にこの番組では、上島さんが年初の放送にゲスト出演するのは毎年恒例で、有吉さんの上島さんいじりがひとつの聞き所になっていました。時に厳しすぎるツッコミも、2人の信頼関係があってこそで、ファンも理解したうえでやり取りを聞き、楽しんでいました。 有吉さんが一時仕事がなくなった時も、常に上島さんと一緒に酒を飲み、過ごし、不遇の時を耐えてきました。その後の有吉さんのブレイクまでを支えたのが上島さんで、誰よりも有吉さんを可愛がっていた。2人にしか分からない深い繋がりがあるからこそ、厳しいツッコミやボケも笑うことができた。ラジオなどでの発言と上島さんの死を結びつける声も一部にあるようですが、そんなはずはないと、2人のファンは分かっているはずです。あらぬ批判はやめてあげてほしい」 有吉は以前、ツイッターで「涙をこぼすのは上島さんの葬式だけ。と決めている」とつぶやき、上島さんが老後1人になったときのために「お金を貯めている」とまで言っていた。有吉にとっては唯一無二の恩師である。「上島さんが亡くなって、一番ショックを受けているのは有吉さんであることは間違いありません。まだ正式なコメントがないだけに心配です」(同前) かつて、マツコ・デラックスから番組の中で「なぜ上島さんのことが好きなのか」と聞かれた際、有吉はこうコメントしていた。「1回ね、上島さんとサシで飲んでいるときに、僕のことで号泣し始めたんですよ。『俺はお前のことが好きだ』『それなのに何で仕事がないんだ』みたいなこと言って、涙が止まんなくなっちゃって。それ見て笑ってたんだけど、そのうち『俺も上島さんのこと好きなんですよ』って言ったら俺も号泣しちゃって。(売れてない当時)そうとう鬱屈してて、それが解放されたんでしょうね。唯一、愛情を感じたというか」 有吉の、上島さんへのこれ以上ないほどの愛が伝わってくる。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)
2022.05.12 16:00
NEWSポストセブン
有吉弘行やマツコ・デラックスの番組への出演も多いU字工事の魅力とは?
U字工事に再ブレイクの兆し 制作スタッフにも好かれる人柄の良さ
 40歳を超えているのに全くベテラン感がない――。デビューから21年が経った「U字工事」が最近、『マツコ&有吉かりそめ天国』(テレビ朝日系)や『有吉の壁』(日本テレビ系)などゴールデンタイムの番組で重宝されている。いったいその魅力はどこにあるのか? 福田薫(43)と益子卓郎(43)の2人は、浅草キッドの助言を受けて地元・栃木の訛りを生かした漫才で売り出し、2008年に『M-1グランプリ』で決勝進出。その後も、途切れることなく仕事を続けてきたが、ここにきてさらなるブレイクの兆しを見せている。放送作家が指摘する。「U字工事は、なんでも栃木ネタに絡める芸風を有吉弘行さんやマツコデラックスさんに気に入られている。どの社会もそうだと思いますけど、芸能界やテレビ界では数字を持っているタレントが『面白い』と言えば、周りは使ってみようとなる。かといって、U字工事は有吉さんやマツコさんに取り入ろうとガツガツしているわけではない。そこも結果的にプラスに働いている。有吉さんもマツコさんも変に擦り寄られるのが嫌いなタイプですからね」 芸歴の長さを感じさせない2人はいまだに拘束時間が長く、効率の良い仕事とは言えないロケをテレビでの主な仕事としている。制作会社のディレクターは「本当にやりやすい」と2人が重宝される理由を述べる。「どんな無茶振りでも答えてくれますし、企画に難癖をつけることもない。ディレクターを尊重してくれますし、ロケがどんなに長くなっても決して嫌な顔をしない。ある程度、時間と撮れ高は比例しますから、自然と番組で使われるVTRも長くなる。 また、芸人の中にはテレビと普段の顔が全く違う人もいます。性格が悪いとかではなくて、画面ではすごくテンションが高いけど、それ以外のところではおとなしい人は珍しくないんです。U字工事の2人は、カメラが回っていてもいなくても全然変わらない。無理にテンションを上げることもないですし、あのまんまですね。ロケ先で一般の方に会っても愛想良く対応するし、スタッフにも好かれています。だから、会議でも名前を上げたくなる。視聴者にも、人柄が伝わっているのかもしれません」 テレビで活躍する芸能人といえば、大手事務所のイメージが強いが、2人の所属プロダクションは小規模であまりタレントを抱えていない。意外にも、これが幸いしている面もあるという。「大手だと何かとバーターを要求してくる事務所もある。一度受け入れると、どんどん相手のペースになっていき、それが当たり前になってくる。今のテレビ界は全体的にそんな状況かもしれません。大手事務所と仕事をすると、方向性が制作側の思惑から徐々にかけ離れていき、気づいたら番組コンセプトの根底が崩れていることもある。事務所の人は、いかに所属タレントを売るかが仕事だとはわかってはいますけど……。U字工事の事務所はそういう煩わしさがない。起用する側から見て、大きな利点だと思います」(同前) バラエティ界のバイプレイヤーとして、ますます需要が増していくかもしれない。
2022.02.05 16:00
NEWSポストセブン
【動画】有吉弘行&夏目三久が極秘で結婚式 有吉母も感無量
【動画】有吉弘行&夏目三久が極秘で結婚式 有吉母も感無量
 有吉弘行さんが、1月9日放送のラジオで、夏目三久さんと結婚式を挙げたことを明かしました。「結婚式したんですよ、私」「広島でしたんですよ」「家族だけでね」と語った有吉さん。ふたりが永遠の愛を誓ったのは1月5日。 この日の広島の天気は穏やかで、時折、雲の合間から柔らかな陽光が差し込んでいたいたそうです。有吉さんの母親は当日を振り返り、「もうね、三久ちゃんがとっても綺麗でした……終始泣いとったねえ。うれし涙というか」とうれしそうに語りました。
2022.01.23 07:00
NEWSポストセブン
夏目三久アナと有吉が挙式し式場のホテルに有吉が感心したという
有吉弘行&夏目三久が極秘結婚式 有吉母も「ただうれしいだけ」と感無量
 昨年4月に結婚した有吉弘行(47才)が、1月9日放送のラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、年明け早々に結婚式を挙げていたことを明かした。「結婚式したんですよ、私」。その告白はあまりにも突然だった。「広島でしたんですよ」「家族だけでね」と有吉は、ポツポツと言葉を継いでいた。「有吉さんは、『寒かったので夏にすればよかったなあ』と話すなど、終始、照れ隠しをしていた様子でした。ホテル併設の式場だったようで、ホテルスタッフが皆『おめでとうございます』と声をかけてくることに感心していました」(テレビ局関係者) 式を挙げた相手はもちろん、昨年結婚した夏目三久(37才)だ。2007年に日本テレビのアナウンサーとなった夏目は、2011年に同社を退社。その後はフリーとして活躍してきた。「他局への初めての出演が、『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)で、有吉さんが夏目さんをいじり、夏目さんがそれをやんわりといなしながら進行する掛け合いをしているうちに、ぐっと距離が縮まったんだとか。この番組のおかげで夏目さんは局アナ時代よりもずっと人気者になり、2014年には『あさチャン!』(TBS系)のMCに抜擢されるなど順調に仕事をこなしていました。そうしたなか、2016年、日刊スポーツが有吉さんとの交際・結婚、さらには妊娠を“スクープ”し、大きな話題になったのです」(芸能関係者) ところが、両者の所属事務所はこの報道を完全否定。当事者のふたりも全面的に否定し、日刊スポーツが謝罪記事を掲載したことで、この報道は“幻”となり、ふたりの関係もうやむやとなった。この騒動から結婚が現実のものとなるまでに、5年もの沈黙の時間があったわけだ。 結婚発表の際には、ふたりと共演してきたマツコ・デラックス(49才)がウエディングドレス姿で祝福し、夏目に「次はアンタがこれを着てくるのよ」と声をかける一幕もあったが、その後、夏目は花嫁姿でテレビに出ることはなく、2021年9月いっぱいでレギュラー番組をすべて降り、芸能界を引退した。「いまどき珍しい、古風な選択が話題になりました。その理由を有吉さんは『離婚の原因は、すれ違いか価値観の違い。すれ違いだけでも潰しておくため』と説明していました」(前出・テレビ局関係者) それからはや3か月。有吉の地元でひっそりと挙げられた結婚式は、夏目の悲願だった。「夏目さんは結婚式に強い憧れを持っていましたし、芸能界でのキャリアを捨てて家庭に入ることを選んだ夏目さんにとって、結婚式は一般人としての第二の人生のスタートでもあったようです。 有吉さんは以前は挙式に消極的で、夏目さんがいくら理想のプランを話しても、『マツコさんに来ていただけるなら』などと、のらりくらりと逃げていたんだとか(笑い)。しかし、夏目さんの強い思いに触れ、親にも花嫁姿を見せてあげたいと、挙式を真剣に検討するようになりました。夏目さんも、トレードマークだったショートヘアを伸ばして挙式に備えていたようです」(前出・芸能関係者) その結果、記念すべき挙式の場として選ばれたのは、意外にも有吉の地元・広島。その選択の理由には、ふたりの家族への強い思いがあった。初めての両家顔合わせ 広島県尾道市の一角に、100年以上続く老舗造船会社が所有していた迎賓館をリニューアルしたリゾート施設『ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道』がある。ベラビスタとは、イタリア語で“美しい眺め”という意味。その言葉通り、風光明媚な瀬戸内海を一望できて圧巻だ。「スパやバー、レストランの評判も高く、芸能人もわざわざ東京からお忍びで訪れる人気スポットです」(地元関係者) 有吉と夏目が結婚式の場として選んだのは、この施設の北の端に位置する、ひと目見たら忘れられない、特徴的なデザインのチャペル「リボンチャペル」だった。「ZOZOの本社屋の設計などを手がけて注目を浴びる建築家・中村拓志さんによるものです。2本のリボンがらせん状に天に向かって絡み合うような外観。個性的でいて、結婚をうまく表現したデザインで、唯一無二の存在感を放っています」(前出・地元関係者) ここでふたりが永遠の愛を誓ったのは1月5日のことだった。この日の広島の天気は穏やかで、時折、雲の合間から柔らかな陽光が差し込んでいた。「もうね、三久ちゃんがとっても綺麗でした……終始泣いとったねえ。うれし涙というか」 当日をそううれしそうに振り返るのは、有吉の母親だ。白髪を後ろでひとつに束ね、つやのある顔に浮かぶ表情は、やはり有吉によく似ている。愛息の華燭の典について、目尻を下げた母親が続ける。「結婚式というより、両家の顔合わせということで私も呼ばれていたんです。まだ、ご家族にお会いしていませんでしたからね。全部、弘行や弟が準備していたので、私は出席しただけです。夕方に両家が集まって初めての顔合わせをして、その晩はそこへ泊まり、翌日が結婚式でした。向こうのご家族もとても和やかで、本人たちも機嫌がよさそうに見えました」 有吉側は母親のほか、有吉の弟家族が参列し、夏目側は夏目の母親と姉夫婦、弟夫婦らが参列したという。有吉の父・博文さんは12年前に亡くなっている。また、夏目の両親は離婚しているため、母親のみの参列となったようだ。夏目の父は、知る人ぞ知る存在だ。「夏目さんの父親は、実業家の家に生まれ、自身も起業した経営者です。ただ、夏目さんはその父親と、日本テレビを退職した前後に“絶縁した”と周囲に語っていました。その一方で、母親のことは地元の大阪から東京に呼び寄せ、近くで暮らすようになりました。結婚式を広島で挙げたのも、自らの故郷や東京での華美なものを選ぶのではなく、足腰が弱くて車いすで生活する有吉さんのお母さんを考えてのことでしょうね」(前出・芸能関係者) そうした夏目の気遣いは、有吉の母親にも伝わっていたようだ。「三久さんと会うのは2度目でしたが、握手しましたよ。温かかったですねえ。とても優しくて綺麗なかたですよね」 さらには、息子についても「弘行もずっと笑顔で、私は何も言うことなく、ただうれしいだけです」と感無量の様子。家族の前で式を挙げたふたりの挨拶は、シンプルなものだったという。「誰もがするような、普通の言葉での、普通の挨拶でした。手の込んだことはしていません。素直に、幸せだってことをわかってほしかったんだな、と思いますよ」 そう言って、母親は「ふたりが今後も幸せに笑顔で暮らしていければ、それで充分ですわ」と微笑むのだった。何かと壁の多かった、ふたりの結婚。夫の地元でのこぢんまりとした挙式にふたりが求めたのは、ごく当たり前の、普通の幸せだった。※女性セブン2022年2月3日号
2022.01.20 07:00
女性セブン
ナイツ塙の高座では見せない熱き野球漫才愛
高田文夫が絶賛、ナイツ塙の野球&漫才愛「有吉弘行は前田智徳」説も
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。73歳の高田氏が、89歳の野末陳平氏や84歳の山藤章二など、自分のまわりの先輩達についてつづる。 * * * 暮れから正月、なにかと忙しくなるのが演芸人。そんな中、ナイツの塙は極私的プロ野球偏愛論と副題の付いた本まで出版。塙は番組を持つほどのプロ野球好き。自分は『アメトーーク!』でもおなじみの“運動神経悪い芸人”。やるわけではないが見る目だけは肥えている。 そこで出したのが『野球と漫才のしあわせな関係』(出版元がベースボール・マガジン社というのが本寸法。版元も洒落じゃないのが分かる)。塙が語り、野球本では実績のある長谷川晶一がまとめ、イラストはこの連載もつとめる佐野文二郎という布陣。高座では見せない熱き野球漫才愛。 お笑い芸人を野球人にたとえる章もあって「タモリは王貞治」説、「有吉弘行は前田智徳」説など結構読んでいくうちにうなずくものも多いが、なんたって私が嬉しかったのは「高田文夫は村田兆治」説。年をかさねてもどちらももの凄い球を投げるし、不屈の闘志でカムバックした。村田はジョーブ博士の執刀でみごと復活、私は心肺停止から不死鳥のごとくマイク前へと。この見立ては誰より私が勇気づけられた。 12月1日は浅草東洋館で私の漫才協会外部理事就任記念ライブ「漫才師の漫才史」。前売発売初日いきなり完売。当日はいっぱいのお客様。東洋館の人やら漫才協会の人が私に小声で「夜の浅草でも、こんなに人がいるんですネ」。 会長である青空球児(80歳)と好児(78歳)に私とナイツが昔の芸界の事をきくという主旨だったのが球児の若き日の武勇伝に爆笑。師のコロムビア・トップをしくじって名古屋に3年間逃げていたエピソードなど今ではコンプライアンス的にNO、駄目、NGの世界。前半をつとめてくれたロケット団、U字工事などタイトル通り「ザ・東京漫才」もまだまだこれから。 この東洋館が昔のフランス座。若き日のビートたけしと師・深見千三郎を描いたネットフリックス映画『浅草キッド』が12月9日からいよいよ配信。たけしの柳楽優弥にきよし役のナイツ土屋。 これがいい味と言ったら塙が激昂。「あんなのただ山形弁で訛ってるだけじゃないですか」。監督の劇団ひとりがまったく声を掛けてくれなかったのも面白くないらしい。 私が塙の刑事ドラマを見て「すごいな、流れるような棒読み」と言ったらなんと1か月後には「劇団スティック」を立ちあげた。オーディションで役者を集め全員が「棒」らしい。年明けには公演をやるというからやぶから棒に見に行こう。イラスト/佐野文二郎※週刊ポスト2021年12月24日号
2021.12.14 19:00
週刊ポスト

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