レストランで食べたアーリオ・オーリオに感激したこと、大ファンの横浜ベイスターズの勝敗を「野球速報」で確認しては一喜一憂していること、アムステルダムを訪れた時「行きたいお店トップ10」を作って現地のグルメを楽しんだことなど、ひとりの青年としての等身大の日常も同著ではふんだんに描き出されている。
「料理は面白いですね。この前、天ぷら屋さんの師匠と弟子を取り上げたドキュメンタリー番組を観たんですが、試食を頼まれた師匠が天ぷらを何個か食べ進めたところで『コース料理を作るのであれば、同じ味が続いてはいけない』と仰っていたんです。『あ、料理も音楽と同じじゃないか』と思いましたね。音楽でも同じ小節やフレーズが続いた場合、飽きさせないためにアプローチを変えなきゃいけないですから。
私自身も実家を出てベルリンに住むようになってから、必要にせまられて料理をやるようになりました。最初こそ簡単で自分の好きなものばかり作っていましたが、徐々にレパートリーが増えていったし、凝るようにもなりました。今ではチャーシューを自作することもあります」
その腕前は兄に「炒飯と唐揚げはお母さんよりうまい」とお墨付きをもらうほど。両親と2つ上の兄との4人家族の藤田さんは、日本に帰国すると「ビストロ・マオ」と称して家族に手料理を振る舞っているのだという。
「最近になって家族のありがたさがわかるようになりました。うちは両親ともに音楽家ではなく、ごく一般の家庭。ピアノのほかにも、水泳、サッカー、塾にも行っていましたし、14才頃まで母は私のレッスンにつきっきりでしたが、決して強要されることはありませんでした。きっと『辞めたい』と言っても止められることはなかったでしょう。ピアノのレッスンは高額で、今でこそ母は『実はうちは経済的に苦しい時があったの』と言いますが、当時そんなことは微塵も感じませんでした」
家族の支えのもとピアノと向き合い続け、「気がついたらピアニストになっていた」と笑う藤田さんがいま、コンサートや収録、執筆などの多忙なスケジュールをこなす中で心がけているのは「きちんと生活をする」ということ。
「一日一日を大切にしたいと思っているんです。その一つのきっかけは、新型コロナの流行。ばったりコンサートが無くなったことで、当たり前のようにお客さんが入って当たり前のようにアプローズをいただいていたことに甘んじていた部分があったと気がつきました」