立川談春(撮影/井上たろう)
話の終盤、再び舞台袖に戻ってきた談春は、談志の鬼気迫る高座を目の当たりにし、今度は、逆に体にロックがかかったかのように身動きできなくなってしまった。
「なぜ前半が下手だったのかわかった。女房の人物造形がまるきり変わっていましたから。前半は最後、離陸するための滑走路だったんですね。談志にとって、うまくやることなんて簡単なんですよ。でも談志はそこを目指してはいない。この日の『芝浜』は安全弁が外れて全部、自分の欲求に従ってしゃべっていた。そんなの、恐怖ですよ。どこへ行っちゃうのか。噺として成立するかどうかは、最後までわからないですから」
談志は噺を終え、深々と頭を下げた後、改めてその日の落語の出来などを分析するのが常だった。アフタートークは結果に自信がないときほど、長引く傾向があった。つまり、言い訳になるのだ。
ただ、この日は、呆けたようにこうとだけつぶやいた。
「また、違った『芝浜』がやれました。……よかったと思います」
幕が下りた後、談志は、その場からしばらく動けなかった。談春が振り返る。
「1分、2分……。どれぐらいそうしていたか。俺と志らくには、わかりましたよ。これは立てないよな、と。うまくいったという安堵ではない。俺は、やっちゃったという恐怖ですらあってほしいと思ってる。これまで見えなかった景色が見えちゃったんだから。やっと立って、こっちにすっと歩いてきたときに『おつかれさまでした』って言ったら、『うん』と言った切りでしたね」
そして、この後がいかにも談志らしかった。談春は苦笑いを浮かべる。
「会う人会う人に『ミューズ(芸術の神様)が舞い降りた』って言って回ったそうです。ただ、談志はこの後、年が明けたらガクッときたから。最後の最後、本当に神様が振り向いてくれたのかもしれませんね」
【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』など。近年はお笑い関連の取材・執筆を多く手がける。趣味は落語鑑賞。近著に『笑い神 M-1、その純情と狂気』。
(後編に続く)
※週刊ポスト2024年1月1・5日号