やすしさんに結婚を報告した木村とAさん
“愛人”は32人いた
事件が起きたのは、芸能活動が軌道に乗った矢先のことだった。
「1988年、19才のときに暴行事件を起こし、少年院に送致されたのです。友人を助けるための行動だったとはいえ、事件は社会的にも大きな問題となり、やすしさんは会見で『自分の教育が間違っていた』と泣きながら謝罪しました」(前出・木村の知人)
出所後、謹慎が明けてから出演した1992年公開の映画『いつかギラギラする日』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。実力派俳優としての道が開きかけたが、1995年に再び暴行事件で逮捕されると、世間ではすっかりコワモテのイメージが定着してしまった。
「いまも俳優として活動し、Vシネマの世界ではトップクラスの人気です。海外からもオファーが舞い込み、昨年11月には木村さんが日本兵を演じた製作費50億円の大作映画『刀尖 Seven Killings』が中国で公開され、大きな話題を呼びました」(前出・芸能リポーター)
過去には数多の女性と浮名を流し、結婚秒読みと報じられたこともあったが、独身を貫いた理由のひとつが“愛人”が32人いたとされる父の存在だ。自著でもこう明かしている。
《あの“暴れん坊将軍”と同じ血が流れていると思うと、目の前の女性が好きであればあるほど不安になる》(『父・横山やすし伝説』宝島社)
一時は結婚をあきらめかけていたという木村だが、Aさんとの出会いで考えは変わった。やすしさんの墓参りの前日、木村は大阪市内で行われた俳優の山口仁(66才)との対談イベントに出演。ファンや映画関係者に結婚を報告し、会場にいたAさんをお披露目して大勢から祝福された。イベント終了後、Aさんに話を聞いた。
──ご結婚おめでとうございます。プロポーズはどちらから?
「ありがとうございます。はじめから結婚前提のおつきあいだったので、ごく自然に……」
──お互いを何と呼んでいる?
「一八さんと呼んでいますが、『ハニー』と呼ばれたら『ダーリン』と返すこともあります(笑い)」