その後も叡敦さんは2010年7月29日、2015年9月29日、2016年9月6日と何度もB氏への手紙をしたためているとする。とりわけ、2015年9月の手紙はかなり長いものになった。
〈深夜から大津市内のホテル(甲13)に宿泊して徹夜をして手紙を書き、同日朝、ひとりで[編注・B氏が住職を務める]X寺院へ行き、Bに手紙を手渡しました(甲14)。Bはその場では手紙を読んではくれず、A4の茶色い封筒に黒マジックで「重要」と書き、あとでゆっくり読んでおくからといって、手紙を封筒に入れてしまいました〉(陳述書24ページ)
直訴は手書きの便箋28枚にも及ぶ渾身のもので、そのなかでは性行為の強要や恫喝の詳細が記されている。しかも直接手渡ししているという証言である。
2017年10月、支援者の力を借りた叡敦さんは、一旦、A氏が住職を務める寺からの脱出に成功する。2019年1月にはA氏の刑事告訴に踏み切る(後に嫌疑不十分により不起訴)が、その前段でやはりB氏のもとへ向かった。
〈同年[編注・2018年]11月28日、私は再度X寺院のBの元に向かいました。Aを告訴する前に、なぜ8年もの長い間私を助けてくれなかったのか、阿闍梨(B)に直接聞きたいと思ったからです。しかしBは、「忘れた」「たいしたことではない」等と述べ、私を怒鳴りつけました。私は、Bに聞いてもらうために、AがBの悪口(「阿闍梨が私をAに差し出したのだ」というような内容)を言っている様子を録音したカセットテープを持参していましたが、Bはもちろん聞いてはくれませんでした〉(陳述書29ページ)
必死の訴えにも聞く耳を持ってもらえなかったという主張だが、それでも諦めきれず、叡敦さんがこのテープを郵送するとB氏から「会おう」という電話があったという。
〈12月22日、大阪梅田のワシントンホテルの喫茶店でBと会いました。持参した手紙をその場で朗読し、手渡しました。その後、Bは、食事に向かうタクシーのなかで、私に「御見舞/身内」と書かれた熨斗袋を渡してきました。要らないと私が言っても、押し付けてきました。口止め料という趣旨だと思いました。後で中を確認すると100万円が入っていました〉(同)
今回の申し立てで叡敦さんが求めるのは、損害賠償でなく僧籍剥奪のみ。その意味について叡敦さんは1月31日の記者会見で、「私が受けた被害が金銭では到底解決できないものだから」と語っていた。金を渡されることで口を封じられてきたという思いがあるのだという。