僕にとってはダサかった
光GENJIやSMAPのバックダンサーとして活動した2人1993年にキンキを結成。1997年に『硝子の少年』でCDデビューすると、同作は178万枚のヒットを記録。以来、47作連続でシングル初登場1位という前人未到の記録を打ち立てている。立て続けにドラマにも主演し、10代にして人気アイドルとしての地位を固めた2人だが、その歩みは決して平坦ではなかった。
「剛さんは『キンキの前半は記憶がない』と語っているほど、多忙を極めました。その影響もあったのか、2003年にはパニック障害を告白し、2017年には突発性難聴を発症。同年に行われた20周年の記念公演も中継出演に留まるなど、体調と相談しながら活動を制限せざるを得ないこともありました」(前出・芸能関係者)
そうした剛の体調不良をいつもそばで支えたのが光一だった。
「照れくさいのか、剛さんと2人きりにはなろうとしないし、常に目も合わせようとしないのですが、剛さんの体調を誰より心配していました。
光一さんは公演などの打ち合わせでは何度も『まずは(剛が)できることだけでいい』と口にしたそうです。
剛さんの耳の状態に配慮し、大音量を避けオーケストラ演奏のみとなったコンサートでは、『この形の方がキンキの曲が生きるかもしれない』と前向きにフォローしていました」(前出・芸能関係者)
付かず離れずの絶妙な距離感ゆえにここまで続いてきたのだろう。お互いの関係について剛本人も次のように語っている。
《光一が思うカッコいいは僕にとってはダサかったり、僕の思うカッコいいは光一にとっては理解できなかったりする》(2018年2月『音楽と人』)
互いを「仕事のパートナー」と表現し、“興味がない”と公言する一方で、差違を受け入れ、運命共同体としての信頼関係で結ばれる2人は特別だ。
「2人の関係は本当に特殊です。コンサートでも楽屋は別、舞台裏でも2人だけで話すことはありません。テレビ番組の収録でも、スタッフはそれぞれ光一さん、剛さんと仲がいいグループに分かれる。待ち時間に2人と雑談をするメンバーもいつも決まっています。それでも決して不仲ではないので、不思議な関係ではありますよね」(前出・テレビ局関係者)