乱一世(らん・いっせい)/1950年生まれ、東京都出身。1976年、ラジオ番組『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』(ニッポン放送)のパーソナリティとしてデビュー。『トゥナイト』ではレポーターとして日本だけでなく、世界を飛び回った
──もっとも視聴率を獲得したエロ企画は何でしたか?
雪野:山本監督が取材に行った“ノーパン喫茶の聖地”「あべのスキャンダル」ですね。そこに「モーモーパラダイス」というお店があって、牛の角をつけて超ミニを穿いて、おっぱいを出している女の子たちが「モ~」と言いながら、しゃぶしゃぶするんです。それを監督が明るくレポートをして夜中の12時に瞬間最高視聴率23%を超えました。くだらなすぎて面白かったですね。
乱:「あべのスキャンダル」と『トゥナイト』は一蓮托生で企画を実現させていたんです。
南:1980年代半ばになると女子高生や女子大生、OLブームになって、私がMCをしていた『OH!エルくらぶ』が始まったのも1986年でした。
雪野:これは1990年代ですが、彼女たちが集まる「ジュリアナ東京」には毎週行っていましたね。“荒木師匠”こと荒木久美子さんをまさに師匠にして、女性たちがお立ち台の一番上で踊るための「お立ち台合宿」という企画もありました。
南:バブルの頃は、今では考えられないような予算があったよね? 海外ロケは当たり前だったし、行けばゴージャスなホテルに泊まるのが当たり前だった。タクシーチケットは使い放題だったし。タクシー会社に電話をかけても出ない時は「東京無線」の“裏番号”にかけたりして。
雪野:“裏番”ありましたね~。でも私にはマイタクシーがあったんですよ。出番がある時はそのドライバーさんが『トゥナイト』のデスクに電話をかけてくれました。「今日は要りますか?」って。
乱:「人が足りないから」とナレーターからレポーターになった後は、よく海外ロケに行かせてもらいましたね。香港に行ったら1日オフがあって、スタッフが用意してくれたBMWのリムジンにTシャツと短パンで乗り込んで、デパートまで行って麻雀パイだけ買って帰るという(笑)。今では考えられないことです。