ドラマ『断喉弩』にて上から吊るされるシーン(本人提供)
高級時計を贈るのは当たり前
趙監督は厳しいという噂だったが、井上さんには優しかったという。「きっと中国語が上手くないから、怒りにくかったんだと思います」と井上さんは笑う。現代劇で知られる著名監督だった趙監督が手がけた初めての「抗日ドラマ」が『夜霧のハルビン』であり、井上さんの抗日女優のキャリアはここからスタートした。
「趙監督から『中国で役者を極めたいなら上海より北京に移住すべきだ』と言われました。北京のほうが制作会社やスタジオなどもたくさんあるからです。私は決意を固めて語学学校を辞め、北京に移りました。するとアドバイス通り、オーディションに多く呼ばれるようになったのです。
北京では日本大使館経由で様々な芸能界の人を紹介してもらいました。まずは所属事務所を探したのですが、いろんな事務所を回ったなかでいちばん良いなと思ったのが海潤(ハイウォン)という事務所でした。
海潤は、女優の孫儷(スン・リー。中国ドラマ『月に咲く花の如く』でヒロインを演じる。日本でもサントリーウーロン茶のCMに出演)さんなどが所属する中国では4大芸能事務所の1つと言われていた事務所で、事務所自体が抗日作品を多く制作する制作会社でもありました。私は事務所と、『年4本作品に出る』という契約を結びました。
中国のドラマは、制作会社が撮影してテレビ局に売り込むという仕組みになっています。だから撮影してもテレビ局に買われずお蔵入り、ということも数回ありました。その分のギャラは俳優や女優には支払われるのですが、制作会社は赤字になります。それで経営が立ち行かなくなってしまう制作会社も多々ありましたね。厳しい世界だなと思いました」
他にも井上さんがとくに驚いたことは、中国の芸能界が強烈な「縁故社会」だということだ。
