「彼女に決めた」
20冊以上の雑誌に出るようになった井上さんのもとには、CMや広告の仕事も舞い込むようになる。中国メディアで「もし中国の雑踏で彼女と出会っても、彼女が日本人か中国人なのか、誰も見分けがつかないだろう」と評された井上さんのクールでエキゾチックな佇まいは、中国メディア関係者の注目を集めた。
「そのうちドラマのオーディションにも呼ばれるようになりました。でも、ドラマや映画の制作会社はほとんどが北京にあるので、オーディション会場も遠く、断っていたんです。そんななかで『飛行機代もホテル代も出す』という手厚いオファーをしてくれた作品があったので、行ってみようと思って。
オーディションは日本人、中国人合わせて50人くらい参加していました。私は監督から『ニーハオで日本語でなんていうの?』と一言だけ聞かれたんです。『こんにちは、です』と答えたら、じっと見つめられて、『自分は彼女に決めた』と言われました。この監督が、現在の中国では巨匠と言われている趙 寶剛(チャオ・バオガン)監督だった。
私、実はその人を知らなくて。『夜霧のハルビン(夜幕下的哈爾濱)』(2008年)という作品のオーディションだったのですが、『ハルビン遠いし、行きたくないなー』と思っていたんです。でも、数少ない俳優の知り合いだった董志華(ドン・ジーホウ。『カンフーハッスル』などに出演)に相談したら、『え! 趙監督なの!? お金を出してでも出るべきだよ! ハルビンに行きたくないなんて言っている場合じゃない! 出演したらスターへの道が約束されるんだよ!』と諭されて、出演を決めました(笑)」
『夜霧のハルビン』は1930年代、日本の支配下にあった満州国ハルビンが舞台となっている。共産主義者と愛国者が日本人侵略者と対峙し戦う物語である。ドラマのあらすじには「敵国日本」についてこう書かれている。
〈1934年、ハルビン。日本の侵略者と傀儡満州国の陰鬱な支配下にあった。日本と満州国は自らの支配を強化しようと努め、地域の安定化を図る一方で、共産主義者や抗日勢力を狂ったように逮捕、虐殺する〉