全盛期の部数は28万部だった
その後、同誌の編集長を離れた寺島氏は2017年に同社を退社。編集プロダクションを設立して、執筆作業を行っていた。
しかし、近年は体調を崩していたようだ。直近のSNSで「右膿胸(のうきょう)という『右胸に膿が溜まる病気に』で死にかけた 3日遅ければ孤独死してたらしい”」と綴っていた。亡くなる数日前まで寺島氏と連絡を取っていたかつての部下が語る。
「5月8日の夜に寺島さんから来たメッセージを最後に返信がなく、5月18日に自宅を訪れましたが夜なのに部屋の電気がついていないし、人が住んでいる雰囲気がない。そのときは帰りましたが、どうしても悪い予感がして、翌日に警察に相談しました。2、3時間後に警察から連絡があり、家の中で亡くなっていました。死後数日経っているということでした。2度の結婚と離婚を経て、愛猫一匹と同居していました。猫は生きていることがわかって、先日引き取り手が見つかったと聞いています」
BUBKAから独立し、月刊化した「実話BUNKAタブー」編集部(コアマガジン)に問い合わせると、担当者は次のようにコメントした。
「(寺島氏が)亡くなられたのは事実です。時代は違えど、当時もスキャンダル写真を掲載するにはリスクが伴い、ある程度腹を括った人間しか(当時の)BUBKAの編集長はやれなかったと思います。
そこを妥協なく出していったところは、寺島さんにしかできないことだった。今の時代に同じことはできませんが、カリスマ性ある方だったと思います」
寺島氏が当時、好奇心旺盛な読者に向けて創刊した『BUBKA』。毎年のように記録を更新し続ける、棒高跳び選手の“セルゲイ・ブブカ”が雑誌名の由来だった──。
