田村家のお正月。必ず家族で集まりおせち料理を食べていたという
仲良すぎの田村家「正月の風景」
僕ら兄弟は仲がいいんです。これもオフクロの采配がうまかったんだと思います。僕らは男同士ですから、ベタベタした付き合いはしませんが、正月は必ずオフクロのいる僕の家にみんなで集まって、酒を飲んでおせち料理を食べていました。僕はごまめ(田作り)が好きだから、自分で作ったりもして(笑)。兄弟みんな酒が好きだから、正月にみんなで飲む酒量はすごかったですよ。
兄弟で集まっても、芝居の話はいっさいしないんです。ケンカになるから。だから、たいした話はしません。みんな真面目で無口なほうですしね。昔、オヤジのお弟子さんで、よく遊んでくれたあの人は最近どうしてるとか、兄貴んちの子どもは中学生になったんだなとか、そんな話。僕の女房がいちばん年下だから、「正和さん、美味しいなら美味しそうな顔して食べてくださいよ」なんて軽口叩いたりしてね。そんな僕らの周りを、子どもたちが賑やかに走り回っている、というのが田村家の正月の風景でした。
両親の法事でも、よくみんなで京都の二尊院に集まりましたから、法事のあと子どもらも連れて、小さなお茶屋さんで飲み食いしたり、兄弟で京都の祇園の小さなクラブで一緒に飲んだりしたこともあります。高廣兄貴は日本酒が好きで、飲むと怒りっぽくなることもありました。僕らに対してじゃなくて、世の中の理不尽なこととかに対してね。正和兄貴と僕は、ビールを飲んだ後、白ワイン。正和兄貴は飲んでも物静かでした。僕は今じゃめっきり弱くなって、ワイン2杯がせいぜいです。
母が元気な頃、正和兄貴がジャージを着て正月の挨拶に来たことがありました。ジャージといっても、高級ブランドのものだったのですが、オフクロが「新年の挨拶にジャージは良くない」と小言を言ったものだから、正和兄貴はすぐに自宅に戻って、今度はタキシードに着替えて颯爽と現われたんです。驚いたし、家族中で大笑い。正和兄貴はそんなお茶目なところがあったんですよ。
余談ですが、両親は男の子が続いたので、正和兄貴が生まれる前は「今度こそ女の子だ」と「和子」という名前を用意していたんだそうです。生まれてみたら男の子だったので、正和にしたんだそうですよ。僕のときも「今度こそ女の子を」と思っていたらしいんだけど、4人目も男だったからがっくりして、オフクロは産んだときのことを覚えていないそうです(笑)。