「僕ら兄弟は仲がいいんです」と語った亮さん
養成所に入って1年後に東宝と契約し、すぐに『無常』という映画の主演のお話をいただきました。ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)をいただいた作品で、実相寺昭雄監督からのご指名でした。台本を読んだらおもしろくて、何でこんなに早くいい仕事が来たんだろう、と思いました。
ずっと京都の旅館に泊まって撮影しました。朝、旅館をたって撮影地に移動するバスの中で、「ちょっとこれ、覚えてくれる?」って紙が配られるんです。セリフが都度都度変わるわけですよ。だから、移動の1時間半とかの間に一生懸命覚えて。難しいセリフが多かったんですけど、「これってどういう意味ですか」と聞く時間もなく、ただ覚えたことをそのまましゃべる、という感じでした。いや、お恥ずかしい。
『無常』は大手の映画会社の作品じゃないから、制作費が限られていたし、難しいセリフがあったりで大変だったけれども評判が良くて、当時は多くの人が注目していた映画雑誌『キネマ旬報』のランキングでも、きっと1位をとるだろう、とスタッフらとみんなで話していたら2位で。1位は山田洋次監督の『家族』。「あっちは家族で楽しめる万人向けの映画、『無常』はR18指定だから仕方がないか」なんて言っていました。
その後もいろんな作品に出させていただき、1984年に放送された時代劇の連続ドラマ『乾いて候』(フジテレビ系)では、兄弟3人で共演しました。3人で顔を合わせてにらみ合うシーンなんかがあって、照れくさくてしょうがなかったですよ(笑)! 高廣兄貴や正和兄貴には「我慢してやれよ!」なんて言われながらがんばりましたけどね。
1990年の『勝海舟』(フジテレビ系)でも3人で出演しましたが、主役の正和兄貴が途中で体調を崩してしまったので、僕が代わって勝海舟役を演じました。正和兄貴を病室に見舞ったときは、「現代劇のつもりでやったほうがいいよ」とアドバイスをくれました。