火災があった猪口氏の自宅マンション(写真/共同通信社)
「家庭は温かい草原なんです」
娘たちが4才になったとき、都内にマンションを購入した。広々としたリビングに東京ドームを一望できるテラス付きで、当時の価格で2億円超。テラスでは色とりどりの花を育てた。
出産後も政府の審議会の委員や軍縮大使などを務め、2005年9月に衆議院議員に初当選し、翌月発足した第三次小泉純一郎改造内閣で少子化・男女共同参画担当大臣に抜擢された。一方で議員になっても、家族との時間を変わらず大切にした。
「多忙を極めるなかでも毎朝5時半に起きて子供たちの食事や弁当を作り、朝8時から自民党の部会に参加していました。一日中働き詰めでも夜9時には帰宅して、家族と過ごすよう心がけていた」(自民党関係者)
だが自民党に逆風が吹き荒れた2009年の衆院選では、選挙対策委員会から比例東京ブロック下位での出馬を提示され、やむなく不出馬を表明した。当時、本誌『女性セブン』が猪口氏にインタビューしたところ、彼女は失意のなかでも家族への感謝を忘れなかった。
「家族のサポートは最高です。夫は妻が失意のどん底に陥れられて非常に苦しいみたいですが、運命が変転する私の人生を深く受け止めて、“乗り越えられない苦労はない。必ず復帰できる”と言ってくれました。高校生の娘たちも“最高のママ”と言ってくれています。それが私の勲章です」
2010年の参院選に鞍替え出馬し国会議員に返り咲くと、以降、3選を果たしている。忙しく働きながらも“最高”の夫や娘たちと過ごす時間を糧にして家庭では穏やかな日々を送っていた。それなのに──前述した本誌インタビューで猪口氏は愛する家族について、こうも語っていた。
「仕事と子育ての両立は大変ですが、子供の様子をよく見ておくことが大事。心の視力が大事なんです。私は、娘たちのことはすごく大事に育ててきました。そこだけは手を抜かず、何より優先しました。政界はジャングルですが、家庭はジャングルではない。家庭は温かい草原なんです」
娘たちが幼い頃、猪口氏が「ママの宝物はどこ?」と声をかけると、いつもパッとママの方を向いたという。宝物とは、文字通り「子宝」のことだった。あの日から30年あまり。何より大事にしてきた「ママの宝物」が同時に振り向くことは、もうない。
※女性セブン2024年12月19日号