自民党の猪口邦子参議院議員(時事通信フォト)
結婚の1か月後に単身留学
高校時代にアメリカ留学を経験し、上智大学外国語学部を卒業した猪口氏は、アメリカの名門イェール大学で政治学の博士号を取得。29才で上智大学の助教授に就任し、1990年に同大教授となった。専門は国際政治学だ。
私生活では、上智大学の大学院生時代に助教授だった孝さんと知り合った。出会って間もないタイミングで「結婚してほしい」とプロポーズされた猪口氏は、率直な人柄に魅せられて「はい」と即答。1976年に24才でスピード結婚した。
「猪口さんは“学者にとって20~30代は卵のようなもので、この時期にどれだけ学問をするかが将来を決める”という考えの持ち主でした。そのため、彼女は結婚の1か月後にイェール大学に留学するため渡米し、“国際単身赴任”をしました。孝さんも“学問の世界は甘くない。留学するならいましかない”と新婦の決断を後押ししたそうです。
当時はまだ、結婚して家庭に入る女性が多かった時代。キャリアを優先する猪口さんの生き方は先鋭的で、結婚後もひたすら学問に打ち込みました」(前出・猪口氏の知人)
1989年には著書『戦争と平和』で、国際政治学では日本で最も権威があるとされる吉野作造賞を受賞した。転機が訪れたのは、結婚から15年の時が流れた1991年11月。学者一筋だった夫婦が、双子の娘に恵まれたのだ。このとき、猪口氏は39才、孝さんは47才だった。
「猪口さんは子供を欲しがっていたけれど、学問の道を究めるために自重していました。ただキャリアを積んで30代後半になり、心理的にも余裕ができたタイミングでもあったようです。高齢出産で心配の声もあったと思います。それでも夫婦にとって待望の赤ちゃんに喜び、出産に万全の準備で挑んだそうです」(前出・猪口氏の知人)
2人の娘の母親になると、猪口氏は育児と学問を両立させた。
「自宅では娘さんをおんぶしたまま分厚い専門書を読みふけり、座ると子供が泣くからと、机の上に台を置いて、その上にワープロをのせて立ったまま原稿を執筆していました。時々、手鏡を取り出しては、背中におんぶした子供とアイコンタクトを取っていたそうです」(前出・猪口氏の知人)
娘たちに読ませるための“絵本”選びには強いこだわりがあった。
「0才児に必要なのは抽象的な絵ではなく、美しい具象的な絵だと考えていました。ラファエロやルノワールの画集を絵本代わりにしていましたね。おかげで娘さんたちは1才半にして、カラフルで鮮明な色彩で知られるトーマス・マックナイトの画集に熱狂するようになったといいます」(前出・猪口氏の知人)
