フィリピン人女性監督が描いた「日本人の孤独死」、主演はリリー・フランキー(【c】「Diamonds in the Sand」Film Partners)
映画の終盤、日本の孤独死の現場に残された家財道具がフィリピンに「輸出」され、現地で販売されている巨大市場が登場する。実在する市場で、フィリピンには多数あるというのだ。ジャヌスが語る。
「商品の出所は分かっているけど、私はそこでよく買い物をします。フィリピンでは『中古商品』としてではなく、『新品の傷物』という触れ込みで売られています。買い物客の多くは、まさか孤独死の現場にあったものだとは思っていません」
仮に、フィリピンで同じような状況にあった家財道具が日本へ運ばれ販売されていたら、日本人ならどう受け止めるだろうか。両国のいびつな関係を象徴しているようである。
調査や撮影のために日本とフィリピンを行き来し、長い年月をかけて映画作りを進める中で、フィリピンに孤独死が起きない理由について、ジャヌスが導き出した結論がある。それは「音」が持つ力である。
「私たちの日常生活は空間と音の扱い方で成り立っています。特に音の存在は、人々を孤立させにくいのではないでしょうか」
フィリピンには「ビデオケ」と呼ばれる、カラオケ機器が至る所に設置されている。レストランだけでなく、住宅地や貧困層が集まるスラムにも必ずといっていいほどある。そこで人々が夜な夜な歌っている姿は、フィリピンの日常風景だ。遅い時は未明までその歌声が響き渡り、日本なら近所迷惑どころの騒ぎではない。しかしこの「音」によって、人々は関わり合いを持たなければならない状況に置かれると、ジャヌスは力説する。
「日本では静かにすることが美徳とされています。たとえば電車の中では話をせず、皆、他の乗客に気をつかって黙っています。静けさは目に見えない壁を作ります。
ところがフィリピンでは全国どこに行っても『ビデオケ』がある。誰かが大声で歌っていると、それを迷惑に感じた人が歌っている人を注意しに行く。つまり音によって我々は『交流』を余儀なくされるのです。雑音や音のない世界は、他人のプライバシーを尊重はしますが、人々を孤立化させてしまうでしょう。冗談に聞こえるかもしれませんが、フィリピンには『ビデオケ』があるから、孤独死が起きないのだと思います」