記述はまだまだ続くのだが、あまりにも引用が長文にわたってしまうので、このあたりでやめておこう。もうお気づきだろうが、この日本でもっともレベルが高いと評される高校の日本史教科書には、人類初の快挙である日本の「人種的差別撤廃提案」が触れられていないのだ、少なくとも本文では。では、まったく触れられていないのかと言えば、欄外註のような形で活字を小さくして次のように記述している。
〈会議で日本側が主張したそのほかの論点として、人種差別撤廃案があった。アメリカの日本人移民排斥への対応、また国際連盟を白色人種にのみ有利な組織にしないことをねらったが、列国の反対で条約案に入らなかった。〉
(引用前掲書)
さて、要点はおわかりだろうか? 日本が人種差別撤廃を主張したのが人類史上初めての快挙であったことにはまったく触れずに、ただ日本の「思惑」だけを書いている。たしかに、書いてあることはウソでは無い。それまで国際連盟のような国家を超える組織は存在しなかったし、当時の常識ではそんな組織に有色人種の国家が参加できるなどあり得なかった。
じつは、パリ講和会議の直前まで日本でも「本当に白人国家と対等な形で国際連盟に参加できるのか?」という声が、雑誌や新聞をにぎわしていた。だからこそ日本はさまざまな運動をして、国際連盟を「白色人種にのみ有利な組織にしないことをねらっ」て、最終的には成功した。だが、その過程で日本は交渉の材料としてこの人種差別撤廃案を引っ込めざるを得なかった。
しかし、それによって逆に白人国家の英・米・仏・伊に伍して常任理事国となり、世界の五大国として認められることになった。つまり、日本は最初からこれを取引材料にしようとしたわけでは無い。しかし、同じ出版社の歴史事典でもそのあたりは明確にされていない。
〈じんしゅてきさべつてっぱいもんだい[人種的差別撤廃問題]
第1次大戦のパリ講和会議で、日本代表が国際連盟規約へ人種的差別待遇の撤廃条項の挿入を試みた問題。アメリカなどでの日本人移民排斥運動やウィルソンの14カ条提案を背景に、国際連盟創設との関連で日本政府内にこの問題が浮上し、1919年(大正8)4月の連盟規約委員会に規約前文に挿入することを提案したが、英・仏などの反対で実現せず、代わりに山東省のドイツ利権の継承、南洋群島の委任統治の2要求を貫徹させた。〉
(『山川 日本史小辞典 改訂新版』山川出版社刊)
「人類初の快挙」というようなニュアンスはまったく無い。ニュアンスの点から言うなら「条項の挿入」という言葉に注目すべきだろう。ウソでは無い。たしかに日本はこの形で目的を遂げようとした。しかし、歴史的に重要なのは「挿入を試みた」ということでは無く、「日本が人類史上初めて人種差別撤廃を提言しようと試みた」というところにある。では、なぜわざわざ「事実」ではあるものの、こんな書き方をするのか? この連載の愛読者はもうおわかりだろう。