足立康史氏は日本維新の会の代表選にも出馬したが、維新から国民民主に転身(2022年8月写真撮影:小川裕夫)
政党の思惑
本来、選挙は政策競争でなければならないが、昨今の選挙は知名度競争に傾斜している。特に参院選の全国比例は知名度が物を言うだけに、その傾向が強くある。2022年の参院選でもタレント候補が当選し、「有名人というだけで当選した。国会議員として活躍は期待できない」と落胆した人は少なくない。
また、人(候補者)よりも政党で票を入れる風潮も根強い。与党だから、野党だから、はたまた維新だから、国民民主だからと政党名だけで盲信的に投票するなら、これまでの政治を支配していた組織票・団体票と変わらない。
これは維新や国民民主だけの話ではなく、与野党を問わず全政党に言える。1955年から長らく続いた与党2:野党1の構図による政治体制である「55年体制」が1993年に崩れる前後から、自民党は常に人材不足と言われてきた。一方、自民党以外では野党第一党が「政権担当能力がない」と批判されることはあったが、野党第2党、第3党の政党をそうした批判を受けることが少なかった。
自民党が支持率を急落させて政権担当能力が揺らいでいる今、野党への期待は高まる。それだけに野党第一党の立憲民主党はもちろんのこと、維新、国民民主党といった野党第2党・第3党にも期待が高まり、それに伴って優秀な人材が求められるはずだ。それにもかかわらず、維新も国民民主もこれまでの人を出そうとする。
ここで各候補者の評価はしないが、有権者や支持者から候補者の選定が雑ではないか?」と疑念を抱かれても仕方がないだろう。また、とりあえず候補者を擁立すれば票を入れてもらえると各党の執行部が思っているとしたら、それは舐めプ(=有権者を舐めた態度や行動)として厳しく批判されなければならない。
勢いに乗っている政党といえども、その人気はいずれ衰える。だから党勢があるうちに議席数を増やしたいという気持ちが強く、候補者の数をとにかく揃えようとする。新たな人材を探している時間を割くよりも、政治経験がある人をだそうとする。そうした横着は、期待を高める有権者の気持ちを踏み躙るものにならないだろうか?
今、有権者に問われているのは、政党の思惑を見極めることだろう。そして、政党に求められていることは時間をかけて候補者の選定に取り組み、有権者に納得して一票を投じてもらうことだろう。
山尾(菅野)志桜里氏は民進党の政調会長に就任して期待を集めた(2016年9月写真撮影:小川裕夫)
音喜多駿氏は2024衆院選で参議院から鞍替えして東京1区で立候補。比例復活もできずに落選している(2024年10月写真撮影:小川裕夫)