『関西大衆食堂の社会史 「餅系食堂」からみた都市移動と立身出世』/奥井亜紗子・著
【書評】『関西大衆食堂の社会史 「餅系食堂」からみた都市移動と立身出世』/奥井亜紗子・著/法律文化社/3300円
【評者】津村記久子(小説家)
長いこと商店街に住んでいたのだが、そこにも力餅食堂があって、それは小学校の友人の家でもあった。友人は、とても勉強ができて真面目で親切な人だった。母親と行った記憶もある。普通においしかった。その時に「力餅とはチェーンなのか?」という話も母親としたと思うのだが、よくわからなかった。本書を読んでその謎が解けた。餅系食堂(力餅)とは、兵庫県の北但馬地方をルーツとする人たちの、京都大阪神戸での生業の大きな一つであり、ある生き方のモデルだった。
「力餅」は、但馬地方北部城崎郡旧奈佐村出身の農家の長男である池口力造が一八八九年に豊岡町で饅頭屋を開業し、その後京都寺町で「勝利饅頭」を始めたことが起点となっている。そして同郷の関係者や、同郷でない者がインスパイアされたなどで大力餅、弁慶餅、相生餅、千成餅と「餅系食堂」として派生し、主に同郷の住み込み従業員の暖簾分け独立によって店は増えていった。経営主─元従業員経営主間で援助があったり、組合による互助があり、組合は会費は取るけれどもロイヤリティは不要で、店の味はそれぞれの裁量に任されていた。
各経営主たちの話が滅法おもしろい。ある女子従業員が、力餅で働いて結婚したあと、離婚して出戻って兄の力餅でまた働き、二十五年の後に暖簾分けして開店、八年後に息子に継がせる、といった感心する話を始め、どの人の話にも人生が凝縮されていてすばらしい。
住み込みの過酷さも、家族営業のせいで子供の学校行事に行けない嘆きも語られながらも尚残るのは、何もないところから「食える人生」をつかみ取ろうとしてきた人々の力強さと、それを支える同郷の互助の精神だ。「何者でもなれる」という妄想を持たされたあげく人々が切り離された今だからこそ、彼らの生き方から学ぶものは多い。
※週刊ポスト2025年6月6・13日号