ドラフト1位の大谷に次いでドラフト2位で入団した森本龍弥さん(時事通信)
「最初は、翔平をライバル視していたんです。同じ高卒で、僕も2位やし、絶対負けへんぞと。でも、合同自主トレでバッティングを見た瞬間、『あ、無理や』って思いました。全然次元がちゃうわって」
穏やかな表情でそう語るのは、元日本ハムの森本龍弥(31)さん。2012年、大谷翔平選手(31・現ドジャース)が日本ハムから1位指名を受けたドラフト会議で、内野手として2位指名を受けたのが森本さんだった。
2019年に現役を引退し、現在は地元の兵庫県・尼崎市で資材メーカーの営業職として働いている森本さんに、「同級生・大谷」の素顔と、「大谷に次ぐ男」として注目を浴びたプロ野球人生を聞いた。【前後編の前編】
「ショックを受けた」
2012年のドラフト会議。当時、すでに高校卒業後の米球界挑戦を表明していた大谷を、日本ハムは1位で強行指名。その後、2位で指名されたのが富山県・高岡第一高校の内野手、森本さんだった。
「僕の地元が関西ということもありますが、当時は翔平より藤浪のほうが有名やったんです。だから翔平のことはあんまり意識してなかったんですけど、指名時に『アメリカ行く』とか『入団せん』とか言っていたので、最初は会ってもないのに『なんやこいつ』と思ってました。絶対負けんぞ、と」
契約後に行なわれた入団会見にも、大谷は姿を見せなかった。初めて顔を合わせたのは、1月の入寮のタイミングだった。
「合同自主トレで、フリーバッティングをやってるのを見たんですけど、その瞬間、『あ、無理や』って思いました。とにかく打球音がすごいんです。木の甲高い、銃声のような音が、もう入団当初からしてました。
彼はポーンと合わせて振るだけで、僕のフルスイングくらい飛ばすんです。タイミングの取り方と、力を入れるポイントが、翔平は全部噛み合っていた。
僕も高校時代は自分が一番上手いと信じてたんですけど、張り合おうと思えなくなるくらい、ショックを受けましたね」
