小さい頃から長嶋茂雄さんの大ファンだったという平松政次氏
「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんが亡くなった。ミスターが命名したカミソリシュートを武器に巨人戦で通算51勝を挙げた元大洋の平松政次氏(77)が、惜別の弔事を寄せた。“巨人キラー”になれたのはミスターに浴びた“洗礼”のお陰だと振り返る。
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のちに“巨人キラー”なんて呼ばれるようになりましたが、僕は岡山の田舎育ち。長嶋さんがデビューした時は小学生で、テレビは巨人戦しか中継がなかった。小さい頃から長嶋さんの大ファン。
かっこよくて凄いバッターで、高校時代、秋のオープン戦で巨人が岡山に来た時には旅館にお邪魔して長嶋さんにサインをもらいに行った。自分がマウンドに立って、ONをバックに投げている夢を何度も見ました。
プロ入り後も長嶋さんへの憧れは変わりませんでした。スター軍団・巨人のなかでも長嶋さんのオーラは別格で、打席で輝いてましたから。
ところが入団2年目の川崎球場での巨人戦で、長嶋さんにとんでもなく大きなホームランを打たれたんです。肩口からの甘いカーブを場外まで運ばれて、とにかくショックだった。
それまでも何本かホームランは打たれていました。ですが、長嶋さんに打たれた一発は当たりの強さ、打球の速さ、飛距離、どれを取ってもそれまでに経験したことがない打球だった。歴然とした力の差を痛感させられました。
その時初めて、プロでやるからには「憧れの気持ち」を捨てないといけないと思いました。それまではアマチュア精神が残っていて、巨人戦は「長嶋さんと対戦できるんだ」と夢見るような感じでしたが、あの特大ホームランで目が覚めた。
それ以降は、長嶋さんがユニフォームを脱いだ後に「平松というのは凄いピッチャーだった」と言ってもらうことが僕の夢になりました。長嶋さんが打てなかったピッチャーとして記憶に残してもらおうと思ったんです。
その思いが通じて、巨人戦で良い結果を残すことができました。長嶋さんの生涯打率を1~2分は下げることができたと自負しています(笑)。
あの時の長嶋さんのホームランが中途半端な当たりだったら、僕の気持ちは変わらなかったはず。ONをバックに投げる夢が叶わなくてよかった。僕を巨人キラーと呼ばれる投手にしてくれたのは、長嶋さんの容赦のない一発でした。
【プロフィール】
平松政次(ひらまつ・まさじ)/1947年、岡山県生まれ。1967年に大洋に入団。1970年には25勝(6完封)をあげ最多勝に輝く。3者連続3球三振の記録も。通算201勝。
※週刊ポスト2025年6月20日号