では、その困難な事情とはなにかと言えば、アメリカの場合は根強い黒人への人種差別であった。若い人は、白人では無いバラク・オバマ大統領の出現を見ているからピンとこないかもしれないが、アメリカ合衆国という国は建国以来世界有数の人種差別大国であった。
そもそも、アフリカから黒人を拉致して奴隷にしたという歴史がアメリカにはある。アメリカの独立宣言は「造物主(=神)のもとですべての人間は平等」と高らかに宣言しているが、黒人はこの「人間」のうちには入らない。その感覚が日本人にはわからないようだ。日本にもたしかに奴婢と呼ばれる人々もいたし、被差別部落民もいた。だが、彼らが「動物扱い」されたことは無かった。おそらくこれだけ書いても人間を動物扱いするというのはどういうことかわからない人が日本人には多いのではないか。
わかりやすい例を挙げよう。ここに日本人の「ご主人様」がいるとしよう。嫌な話だが、その男が奴婢の女性を孕ませて子が生まれたとしよう。その子が男子であれ女子であれ、少なくとも「庶子(正妻以外が産んだ子)」として一定の地位が認められる。「嫡子(正妻の子)」にくらべ身分は低い、すなわち差別はあるものの「主人の子」であることは変わりない。だから女子は家を代表して嫁にいくこともあるし、男子は他に男子がいない場合は家督を継ぐことすらある。
では、アメリカの場合はどうか。白人の「ご主人様」が黒人奴隷の女性をレイプして子が生まれたとしよう。「ご主人様」はどうするか? その子を奴隷として使役するか売りに出すのだ。自分の子供として遇することは一切無い。なぜなら、生まれたのは「人間」では無く「家畜」だからだ。
吐き気を催す話だが、白人のなかには大勢の女性奴隷を妊娠・出産させ売りさばく者もいた。こうした歴史を知っていれば、黒人奴隷を解放し人間として遇するべきだと宣言し実行した第十六代大統領エイブラハム・リンカーンが、どれほど偉大な人物かわかるだろう。そして忘れてはならないのは、国民の半数が奴隷解放に反対し、ついに南北戦争という内乱に発展したことである。
幸いにしてと言うべきか、賛成派の北軍が勝ったので奴隷解放は完全に実現した。名画『風と共に去りぬ』は南軍(奴隷制維持派)の陣営の人々の物語である、彼らは当然没落した。しかし奴隷解放が実現したと言ってもそれは書類の上だけで、差別はその後も根深く残った。