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【逆説の日本史】日本の主張を強引に葬った米大統領に「牧野」代表団が「同情」したのはなぜか

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十五話「大日本帝国の確立X」、「ベルサイユ体制と国際連盟 その5」をお届けする(第1456回)。

 * * *
 人類史上画期的だった日本の人種差別撤廃提案、これを直接的に葬ったのはアメリカの第二十八代大統領ウッドロウ・ウィルソンであった。しかも、そのやり方は各国代表の三分の二以上が賛成したにもかかわらず、「全員一致でなければダメ」と議長権限で押し切るという強引なやり方だった。この様子は広く報道されたため世界各国で非難され、アメリカでも黒人団体が各地で抗議デモを起こした。

 もちろん、直接メンツを潰された日本の世論は激高した。この提案は、戦後に左翼歴史学者が捏造したような「山東利権を得るための取引材料」では無かったからだ。もしもそうなら、結果的に日本は占領していた青島の中国への返還こそ余儀無くされたものの、主要な利権の確保に成功したのだから、政府も代表団も国民も怒るはずが無い。真面目にこの問題に取り組んでいたからこそ、腹を立てたのだ。いや、立腹どころの騒ぎでは無い。

〈この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然である。かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業ではない。〉
(『昭和天皇独白録』寺崎英成著 マリコ・テラサキ・ミラー編 文藝春秋刊)

 この言葉は、他ならぬ昭和天皇が大東亜戦争の原因、つまり英米など連合国を相手にした大戦争がなぜ起こったのかの原因について述べたものなのである。ウィルソンによる強引な工作により人種差別撤廃案が否決され、その結果残存したアメリカの黄色人種に対する差別意識がカリフォルニア州への日本人移民拒否につながり、「日本国民を憤慨させ」た。それが理由で日本は大東亜戦争に踏み切った、と昭和天皇は認識していたということだ。

 この一連の経過は新聞報道によって全国民に伝えられたから、このことが天皇の一方的な思い込みでは無いことはわかるだろう。逆に言えば、これほど重大な歴史的事件を教科書の片隅に載せるようなセンスでは、到底歴史の分析などできるはずもない。そしてそれがセンスの問題では無く「日本を貶める」ための捏造なら、そんな歴史教科書は廃棄すべきだとさえ言える。

 ところが、ここに不思議な記録が残っている。日本代表団はウィルソンに憎しみを持っていいはずだ。公開の席で強引に自国の主張を葬り去られたからだ。しかし実際に代表団が日本政府に送った報告書のなかで、日本側は英米側に同情するような文言を残している。不思議というのはそのことで、その報告文は次のようなものだ。

〈英米側ニアリテハ内心我立場ヲ諒トシナカラ、各自其ノ国情ニ顧慮シ、表面上反対ヲ表セサルヲ得サル極メテ困難ノ地位ニアリタルコトハ、会ノ席上ニ於ケル大統領(ウィルソン。引用者註)、「ハウス」大佐及ヒ「セシル」卿ノ態度ニ徴シテモ之ヲ看取スルヲ得タル処ニシテ、此辺ノ事情ハ本件全体ノ成行キヲ判断スルニ当リ、留意スヘキ事情ト思考ス〉
(『日本外交文書・巴里講和会議経過概要』)

 訳すまでも無いと思うが、要するにアメリカ代表のウィルソン大統領や側近のエドワード・ハウス大佐、そしてイギリス代表のロバート・セシル子爵らには日本の主張を支持する意識があったものの、結局は反対せざるを得ない、きわめて困難な事情があったということだ。

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