「風穴」と言えば、今年二〇二五年四月十六日(現地時間15日)にロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の活躍が見たくてメジャーリーグの野球中継を見た人は、敵も味方も同じ背番号「42」を背負っていたのを見たはずだ。黒人初のメジャーリーガー(異説もある)ジャッキー・ロビンソンが、一九四七年の四月十五日にデビューしたからだ。
現在「42」はすべてのチームで永久欠番となっている。しかし、ここに至る道は平坦なものでは無かった。彼は平等を求めて陸軍に入ったが、少尉にはなれたものの軍の運営するチームには野球であれバスケットボールであれ、選手として出場することは許されなかった。また、彼は南部テキサス州の基地に勤務しているときに軍法会議にかけられたことがある。
判決は無罪だったが、どういう「罪」に問われたかと言えば、州法ではバスのなかで黒人は白人に席を譲らなければいけないのに、彼がそれを拒んだためである。アメリカは「United States」つまり「合州国」だから、人種的偏見の強い南部の州法にはこの類いのものがたくさんあった。モンゴメリー・バス・ボイコット事件と言えば、おそらくアメリカ人で知らない人はいないだろう。
モンゴメリーというのはアラバマ州の地名だが、一九五五年十二月、バスに乗っていたローザ・パークスという黒人女性が白人に席を譲らなかったため州法違反で警察に逮捕されたことがきっかけで、全米で大規模な差別反対運動が起こったというものだ。
こうした時代状況のなかで、ロビンソンはブルックリン・ドジャースのオーナーで人種差別反対主義者ブランチ・リッキーの知遇を得てドジャース入りするが、当初は他のチームすべてが「黒人のいるチームとは試合などできない」と試合をボイコットしてきたのである。こうした壁を彼がいかにして乗り越えていったか、それは大変興味の湧くところだろうが、本連載は「ジャッキー・ロビンソン物語」では無いので、このあたりにしておく。
一つだけ言っておけば、彼がまさに大谷選手のような「超紳士」であったことが道を開いたのである。いずれにせよ、アメリカのプロスポーツチームに有色人種選手がいるのがあたり前という状況を作ったきっかけは、ジャッキー・ロビンソンの奮闘であることは間違い無い。
認識していただきたいのは、アメリカ合衆国とはたしかに偉大な国ではあるが、その陰には人種差別大国としての「黒歴史」があったということだ。いや、それは必ずしも「昔の話」では無い。創設以来七十四年、有色人種として初めてアカデミー主演女優賞を受賞したハル・ベリーは最近、「私が扉を開いたと思ったのに、そうでは無かった」と嘆いているという。たしかに、それ以後二十年以上たって2023年にアジア人のミシェル・ヨーがアカデミー賞主演女優賞を受賞したが、黒人女性の受賞者はいない。だが、これも前述した「クラブへの入会」と同じで、「差別だ」と糾弾することはできない。
アメリカ大統領という立場は、この厄介な風土を背負っている。身も蓋もない言い方をすれば、とくにウィルソンの時代は国民の半分が人種差別主義者だったと言っても過言では無い。だからこそ、牧野伸顕ら日本の使節団はアメリカに同情した。そしてイギリスにもそうした事情があった。
(第1457回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年6月20日号