国内
2025.08.01 11:00
週刊ポスト
《戦後80年》「絶対国防圏外」極限のソロモン諸島から生還した元海軍大尉の証言「補給はしないが降伏は許さない」 犠牲者4万3000名のうち戦死者は約9000名にすぎなかった
▼スクロールで次の画像
南太平洋ビスマルク諸島、ソロモン諸島要図。福山さんは、丸印をつけた左端のラバウル、右端のコロンバンガラ島を経て、中央のブーゲンビル島に移動、トリポイルで終戦を迎えた(提供)

昭和17年11月、兵科予備学生の頃の福山孝之さん。アルバムが戦災で焼失し、これが手元に残った海軍時代唯一の写真(提供)

ソロモン海を航行する日本軍の輸送船。敵機の空襲に犠牲も大きかった(提供)

ブーゲンビル島ではいまも、旧日本軍が造った防空壕を現地の人が日常生活に使っている。画面左側、コンクリート製構造物が防空壕の入口(撮影/筆者)
