リシェットの愛犬であるドーベルマン(撮影・横田徹)
致命的な忘れ物
出発日の5月7日は私の51歳の誕生日だった。夜の成田空港はコロナ禍の影響で売店のほとんどがシャッターを下ろしていて地方都市の駅前通りのような寂しさだ。2年ぶりの海外渡航、最後に戦場取材をしたのは2017年、イラクのモスル攻防戦で、このブランクはあまりにも大きい。自宅を出発前にパスポート、現金、カメラ機材など忘れ物がないかを確認したが、それでも不安は残る。
飛行機は真夜中の成田を出発した。動画撮影で使うSONYα7の常用ズームレンズを忘れたことに気づいたのは既に離陸した後のことだった。目の前が真っ暗になり絶望感に打ちひしがれる。嫌な予感は当たるものだ。
成田からドーハを経由してポーランドのワルシャワに飛び、ワルシャワに着いて早々バスに乗ると、6時間ほどで国境を越えてウクライナに入国した。深夜だったので風景が全く見えないのが残念だ。バスが給油のために立ち寄ったガソリンスタンドで猛烈に何か食べたくなり、売店でホットドッグとコーヒーを注文する。レジでクレジットカードを出すと使えないと言われ、現地通貨に両替していなかったため10ドル紙幣を出すと、ドルも使えないと言われた。仕方なく購入を諦めようとすると、後ろでやりとりを見ていた地元のおばさんが自分の商品と一緒にまとめて払ってくれた。
私は礼を言って10ドルをおばさんに差し出すと「大丈夫よ」と笑い受け取ってくれない。私の身なりから金がない外国人出稼ぎ労働者に見えたのだろうか。“俺の懐には1万ドルがあるんだ! 釣りはいらないから受け取ってくれ?”という気持ちを込めて10ドルを差し出す。おばさんは手を振って店を出て行った。初めての国ということで不安で寂しかったのもあるだろう。おばさんが奢ってくれたホットドッグとコーヒー、そして何より優しさが胃袋と胸に沁しみた。単純な私は、入国早々ウクライナが好きになった。
首都キーウへ着いたのは早朝5時。17時間も狭いシートに押し込められて身体が固まっていた。バス停でタクシーに乗り予約していたホテルへと向かう。早朝ということもあり、車や人通りが少ないが街は平穏だった。美しいキーウの町並みに感激していると、あっという間に中心部にある外国メディア御用達の高級ホテルに着いた。チェックインして部屋に入り熱いシャワーで体をほぐして大きなベッドで一眠りしたいところだが、ホテルのフロントからフィクサーのリシェットが来たという連絡を受けて慌てて階下に下りた。ロビーは同業者と思われる宿泊客でごった返していたが、簡単に見つけることができた。特殊部隊員のような真っ黒の戦闘服姿の男とドーベルマンは高級ホテルのロビーでは思いっきり浮いていたからだ。
ウクライナ西部リヴィウ生まれのシステムエンジニアで30歳のリシェットは、大学卒業後、高校の英語教師をしていた経歴を持つ。ちなみに、彼の母親も英語とフランス語の先生だったという。クイーンズイングリッシュ、アメリカ英語を使い分けられるばかりか私の怪しい英語すら理解するほど堪能だ。開戦後にジョージア部隊の司令官の懐に潜り込み、今では司令官の右腕としてこの部隊のSNS公式アカウントの管理をしていた。挨拶して早々、これからキーウ市内にあるジョージア部隊の訓練基地へ行くというので、その前にSONYのレンズを買える店がないかと聞いてみた。
「どうして買うの? 僕はα7を使ってて24?70mmのズームレンズを持ってるから貸そうか?」
そう言って、リシェットはバッグからレンズが付いたカメラを取り出した。なんと私のレンズと同じカール・ツァイスで動画撮影に必要な可変式NDフィルターまで装着している。これでカメラ機材の問題は解決した。
「ところで君のレンズはどうしたの?」
「持ってくるのを忘れた……」
「よくあることだから仕方ないよ。困ったことがあれば僕が何でも解決するから」
優秀なフィクサーの見本のような男だ。だがこの後、帰国直前までレンズを忘れたことを二回り近く歳の離れた若者から延々とイジられることになる。
とにかくレンズを手に入れた私は上機嫌で訓練施設へと向かった。
【後編へ続く】
◆プロフィール
横田徹(よこた・とおる)/1971年、茨城県生まれ。1997年のカンボジア内戦をきっかけにフリーランスの報道カメラマンとして活動を始める。その後、インドネシア動乱、東ティモール独立紛争、コソボ紛争など世界各地の紛争地を取材。9・11同時多発テロの直前、アフガニスタンでタリバンに従軍取材。2007年から2014年までタリバンと戦うためにアフガニスタンに展開するアメリカ軍を従軍取材。2013年、ISISの拠点ラッカを取材。2017年、イラクがISISを撃退したモスル攻防戦を取材。2022年5月、ロシアによる侵攻を受けたウクライナで従軍取材。話題の新著『戦場で笑う 砲声響くウクライナで兵士は寿司をほおばり、老婆たちは談笑する』(朝日新聞出版刊)の刊行時にウクライナ戦争の取材は7回を数える。