『帰れない探偵』/柴崎友香・著
【書評】『帰れない探偵』/柴崎友香・著/講談社/2035円
【評者】武田砂鉄(フリーライター)
探偵小説だが、未解決事件を見事に解決したり、誰も知り得なかった情報を知って命を狙われたりするわけではない。なにせ、「わたしは今、自分の部屋に帰れない」のだ。いくつも連なる話の書き出しはすべて一緒、「今から十年くらいあとの話」。
家に帰れなくなった探偵は、あらゆる街へ、都市へ、国へ行く。そこでは何かが起きている。どうやら、その世界では閉塞感があり、張り詰めている。強い権力を行使している組織があり、暮らす人々の行動は管理下にあるようだ。今と比べ、ますます便利になっている世の中だが、その便利に興奮している人はいないように思える。
どんな人でもすべての言動を記憶しておくことはできない。だから、ずっと覚えていることには理由があるのかもしれない。「長い間会っていない友人たちの声が、何十年も前に交わした言葉が、今もときどき聞こえてくる」、記憶が現在を照らし、そこからの歩みを決める時がある。「勝手に想像した他人の内面を、現実だと思わないほうがいいよ」、なんでもかんでも見える、わかると思った時、むしろ、その人のことが見えなくなる。
この小説は一体、どんな小説なのか、うまいこと説明する言葉を探したが、どうにもしっくりこない。でも、しっくりこない小説ってことで、おそらくいいのだ。この社会は、しっくりきすぎているんだと思う。定義や理由にまみれている。そうではないのではないか。
探偵の「わたし」は、「ずっと『一時的に』どこかにいて、また別のどこかへ移っていく」。少し未来の、どこかでの話。あそこかな、あの人のことかなと想像するのは野暮だ。たとえ、その野暮を投じたところで、この小説は吸い取ってしまう。世界が揺れ動き、「わたし」も揺れる。その揺れるリズムが、ページをめくるリズムと合う。これがなんとも気持ちいい。
※週刊ポスト2025年8月29日・9月5日号