客が暖簾をパンと払って「今日は賑わってるな、なんや、祭りか」と颯爽と入ってきた。南海本線の和泉大宮駅から徒歩15分。泉州春木港近くの『山長(やまちょう)酒店』では、壁にずらりと華やかな“えべっさん”の福箕(ふくみ)が飾られている。
「ここでストレスを抜いて帰りや。家に持って帰らんのがいちばんやで」と2代目店主の植(うえ)真一さん(56歳)が七福神のような笑顔で声を掛け、妻の孝代さん(53歳)が隣で微笑む。
お客の威勢の良さは、この街らしさ。エネルギッシュに山車を曳行する「だんじり」で有名な岸和田は、大阪府の南部に位置する。実はこの街には、南北朝時代にできた岸和田城があり、紀州街道の要衝として、大阪城の文化とは異なる経緯で発展してきた歴史がある。
えべっさんが見守る中で飲むのも一興
店に飾られている福箕は、岸和田天神宮のもの。福をかき集めて掬うための縁起物で、本来は毎年新しいものを飾っては神社に返すのだが、この店を始めた先代が「派手にめでたくいこう!」と並べ始め、後を受けた2代目と合わせて12枚を飾るようになった。十二支にちなんでいて、以来、毎年1枚増やし、12年前のものを神社に返している。
「えべっさん(恵比寿神)は漁業と商売の神さん。福の神にここに居座っていただいて、お客さんの顔を見ていただいてます。みなさん、見守られながら飲むんもええんとちゃいますか」と店主。こんな店、ほかにはなかなかないだろう。
その人柄に惹かれるファンが多い、真一さん、孝代さん夫妻
昭和44年、56年前にいまは亡きご主人とこの店を開業したのは、店主の母・静子さん(79歳)。「うちのアテは、ずっと良い魚やったんや。そら、すぐそこが漁港やねんもん。新鮮な魚を食べてもらわな。今日はええヨコワ(クロマグロの幼魚)が入ってるで」とおすすめしてくれる。
この方こそが、店に集うお客のお目当て、名物母ちゃんである。
「私は、芦屋のお嬢様出身やからな、岸和田の元気なノリにはようついていかんの~」などとお客を沸かせているが、それは口から出まかせ。「みんなが慕ってくれる分、母親みたいにいらんことも言ってしまう」は正直な気持ち。常連は「スパイシーママ」と呼ぶ。母ちゃんの作るこの店の名物・激辛スパイス入りのどて焼きのイメージも重なり、歯切れの良い名調子を密やかな楽しみにしているのだ。
母ちゃん(「撮影はちょっと…」とのことで写真がないのが残念!)に創業秘話を聞くと、「昭和44年の2月に結婚してな、そしたら、自動車会社で働いていた旦那が『5月に店をやるわ』となったんよ。なにそれ? とびっくりした。そこから何年経つ? 何も苦にならん。楽しいだけや。ここらの人は個性が強いから、話し甲斐があるわ。それが楽しいねん。いつしか、いらんことを冗談でわざというスタイルが生まれたんよ」。
30年来ている長老客は、こう語る。「長い付き合いになったわ。カウンターのこっちにいるとな、店主がどんだけお母さん思いかが垣間見えるのよ。それを見てるだけで値打ちがあるねん。自分の母親のことも頭をよぎるしな。料理がうまい、ええお母さんなんや。煮付けもうまい、刺身もうまい、揚げもんもうまい。焼き物もうまい。とにかくおふたりの接客がええ。人となりが良客を呼ぶんや」。
大鍋いっぱいの煮込みをはじめとする手料理が旨い