身長166cmと小柄ながら2011年、2015年、2019年のW杯3大会で活躍した田中史朗
スーパーラグビーという世界最高峰リーグを経験した田中は、選手がトレーニングの意図を理解してこそ、さらなる成長につながると実感していた。同時に海外のトップ選手に比べ、日本人選手の意識の低さにもどかしさを覚えていた。田中はこう述懐する。
「エディーとは何度も意見を言い合いましたが、ぼくの考えを受け入れてくれました。エディーも本気で日本代表を強くしようとしていると分かったから『歴史を変える』という彼の言葉を信じられたのだと思います」
田中がはじめて出場した2011年W杯は3敗1分け。選手1人1人の意識を変え、自立する必要性を痛感していた。
「ぼくは、多くの人に支えられてラグビーを続けてきました。それなのに1勝もできない。自分自身に腹が立ちました。家族、ファン、関係者……みんなに罪滅ぼしをする責任があった。だから、あのハードなトレーニングにも耐えられたんです」
エディー・ジャパンの代名詞ともなった“ハードワーク”を可能にしたのは、選手たちが「ラグビーが嫌いになる」と口を揃えるほどのハードなトレーニングだった。年間80日程度だった合宿を110日以上に増やし、1日4部の練習を課した。
“ハードワーク”が奇跡を引き寄せるために準備した、エディーの1つ目の武器だった。