奥に積み上がった塩は、1日で採取した分量だという
女性は筆者に倉庫を見せながら、さまざまな話をしてくれた。
塩は地域によって味の特徴が少しずつ異なり、7月と8月に最も多く生産される。塩はスープ、キムチ、漬物、肉や魚、塩辛など使い途はさまざまだが、秋に採れた塩は苦味が強いためキムチ漬けには適さないという。
冬は塩田の仕事は休み、その間に道具を片付けたり整備をする。昔はバケツで水を運んで大変だったが、今は電動ポンプで機械化されているので労働は楽になった。塩の値段は20kg7800ウォン(約800円)で、夏場は需要が少なく在庫が残っているが、キムジャン(冬に備えて1年分のキムチを漬け込む風習)の季節になれば売れるだろうと言った。
筆者が「昔はお仕事がキツかったようですね。ほら、従業員を殴ったりとか……」とさりげなく聞くと、女性は否定しなかった。
「それはたった1人の人間がやったことよ。全員じゃない。その人のせいで、島全体にそんな印象がついてしまったのよ」
事件の主犯だった塩田主のことを言っているのだろうか。実際に本人を知っているかと聞くと、女性は「あそこだよ」と言って、青い屋根の小屋が見える向かって北北東の方向を指差した。
「◯◯の△△△の脇に曲がりくねった道があるんだけど、そこの家の人だよ」(※個人情報保護のため具体名は伏せています)
彼女によると該当の塩田主は「もう亡くなった」とのことだった。ただ、いくら調べてもそのような公式報道は確認できない。他の塩田主のことを言っているのだろうか。
いずれにしろ「新安塩田奴隷事件」では、30名以上が起訴されており、複数の島民が「昔は暴力もあった」と話していたことから、「たった1人がやったこと」というのはやや語弊がある。
一方、「事件後に島が変わった」との証言も得た。ソウルから島に嫁いだ30代女性はこう話す。
「昔は塩田で労働者を酷使することが当たり前のように考えられていました。高齢の人々が若い頃にそうしてきたため、慣習のように残っていたのです。しかし事件が起きてからは行政の職員が契約に立ち会い、今では給与が通帳に入らなければ国が直接調査しにくるようになりました。このおかげで、以前のような問題はほとんどなくなったと思います」
大学進学とともにソウルに上京し、10年前に戻ってきたという島出身の50代男性も言う。
「昔は確かにあったようですが、今は国が介入してそのようなことはありません。現場ではベトナムやフィリピン、中国など外国人労働者が多い。島には今、20〜30人ほどの外国人労働者がいると思う。韓国人は主に塩田の所有者。ちなみに代々、家業として受け継いでいるので新規参入はまずないですね」
ある塩田主の60代男性は、「従業員を雇うと月給300万ウォン(約31万円)は払わなければならないのでかえって負担が大きい」といい、普段は家族で運営し収穫期のみスタッフを雇っていると話した。賃金は4時間でおよそ10万ウォン(約1万円)」という。
仮に“奴隷的労働環境”が改善されつつあるとしても、島ならではの閉鎖性はひしひしと感じる。ただ、近年島を訪れたYouTuberらが喧伝していた「行動を監視されている」「島民は全員グル」というのは、誇張しているようにも思えた。