作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十六話「大日本帝国の理想と苦悩」、「大正デモクラシーの確立と展開 その2」をお届けする(第1467回)。
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一九一九年(大正8)に日本併合下の朝鮮半島で起こった「三・一独立運動」を、どう評価すべきか?
例によって左翼歴史学者は、「朝鮮人民の正当な抵抗」などと一方的な評価を下している。さんざん述べたように、彼らは歴史の真実を追求することよりも日本を貶めることが目的だからである。
では、正当な評価を下すためにはどうしたらいいのだろうか? そもそも、当時日本の統治はようやく十年目を迎えたばかりである。この日韓併合自体についても、日本の左翼歴史学者は韓国のエセ歴史学者と歩調を合わせ、強引な植民地支配としか評価しない。だからこそ独立運動は一〇〇パーセントの正義だという評価になるのだが、事態はそんなに単純に割り切れるものでは無い。
それゆえ私は前回の最後で、「ここのところは、すでに『逆説の日本史 第27巻 明治終焉編』で詳しく述べた。同巻は七月に文庫版も発売されたので、未読の読者はぜひ目をとおしていただきたいところだ」と述べたのだ。
もちろんそんな時間も無かった読者もいるだろうから、念のためにこの内容を繰り返すと、日韓併合は日本の一方的侵略どころか、韓国の改革派の要望に応じた韓国の近代化運動の一環でもあったということである。だからこそアメリカ在住経験もあり世界の事情をよく知っていた当時の大韓帝国総理大臣李完用は、韓国の外交権を大日本帝国に委ねるという思い切った決断をした。
だが、それがどうしても気に入らなかった当時の大韓帝国皇帝高宗は、折からの国際会議の場に密使を送ってその方向性を潰そうとした。いわゆるハーグ密使事件である。
ここに至って、それまで穏健な形で韓国の近代化を進めようとしていた伊藤博文も、その盟友とも言える李完用も、高宗を退位させ皇太子に代替わりさせるしかない。そして最終的に大韓帝国は大日本帝国の傘下に入るしかない、と決断した。それをあくまで朱子学的忠義の世界で評価するならば、李完用のやったことは反乱であり、極悪の所業である。
しかし、そうしなければ朝鮮半島の西洋近代化など絶対無理だったという前提を、とくに韓国側は無視している。だからこそエセ歴史学者という言葉を使った。この現状を嘆いた韓国の良心的な歴史学者・李栄薫ソウル大学名誉教授は、著書『反日種族主義』(文藝春秋刊)の冒頭で「この国の大学は嘘の生産工場である」と喝破している。
俗に「李朝五百年」と言うが、そのような長い期間、朝鮮半島は朱子学体制であった。皇帝を士大夫つまり士農工商の「士」が支え、「農工商」を支配する官尊民卑の世界である。また徹底的な男尊女卑で女性の権利は認められず、学校に行くこともできなかった。そもそも「女には学問など必要無い」ということだ。さらに西洋の文明などはすべて野蛮であり、学ぶ必要などまったく無いものだった。イスラム主義武装組織のタリバンが支配しているアフガニスタンのようなものだと言えば、少しは理解していただけるだろう。