村井邦彦氏(右)のよき相棒であった川添象郎氏の話も
ミュージシャンの横山剣氏が昭和歌謡への愛を熱く語り、人気を博した連載『昭和歌謡イイネ!』。この度、待望の単行本化が実現したのを記念して、単行本でしか読めなかったスペシャル対談を特別公開。お相手は数々の名曲を手がけ、世界的に活躍する作曲家・村井邦彦氏である。至極のエピソードの数々をお楽しみあれ。【前後編の後編。前編から読む】
象ちゃんは“あっち側”にいた
横山:アルファミュージックの歴史を振り返るに当たっては、村井先生のよき相棒であった川添象郎(かわぞえしょうろう)さんにも触れておかなければいけませんよね。
村井:象ちゃんね。
横山:昨年亡くなった川添さんは、六本木のイタリアンレストラン「キャンティ」を営むセレブリティ一家に生まれ、後に村井さんとともに、アルファミュージックを創業することになる。
村井:ちょっと待って。いろいろ誤解があるよ。ネット上では、象ちゃんが共同創業者みたいに書いてあることもあるけど、違うんだよね。アルファミュージックの創業者は、村井邦彦と作詞家の山上路夫さん。そして、アルファレコードの創業者は、村井邦彦と梁瀬次郎(株式会社ヤナセ社長)さんです。
横山:そうなんですか!
村井:あとさ、象ちゃんはユーミンを世に送り出したとか、デビュー時のYMOをプロデュースしたとか公言しているんだけど、それ、全部、事実に反してるから。
横山:……そうだと信じ込んでいましたが。
村井:だって、ユーミンがデビューした時も、YMOが始動した時も、象ちゃんはこっち側にはいなかったんだから。
横山:こっち側って?
村井:象ちゃんは、あっち側、つまり刑務所に入っていたんだよ。その状況で、プロジェクトに関われるわけがない(笑)。
横山:川添さんといえば、ヤンチャが過ぎて、何度もお勤めしてたことは有名ですもんね。
村井:彼の中で、自分の功績がだんだん膨らんでいっちゃったんだろうね。象ちゃんが亡くなったから、僕は今、必死に間違いを修正しようとしているんだよ(笑)。
横山:お疲れさまです。
村井:しかし、彼が有能なプロデューサーだったことに疑いはない。初期の頃、ステージに不慣れだったユーミンに、ステージというものはどういうものか教え込んだことやYMOの2度にわたるワールド・ツアーの団長として、ツアーを成功に導いた功績は大きいです。特に海外で踏んだ場数では、あの当時、彼を凌ぐ者は誰もいなかった。
横山:唯一無二の傑物でしたよね。