信子さま(時事通信フォト)
ヒゲの殿下として親しまれた彬子さまの父・寛仁親王と信子さまは、寛仁親王が亡くなる10年ほど前から別居状態となり、長女の彬子さま、次女の瑶子さまは10年近く赤坂の宮邸で父と暮らした。
「信子妃が家を出たのは寛仁親王のアルコール依存症による家庭内トラブルが発端と言われていますが、信子妃が家を出てから、彬子女王と瑶子女王に会おうとしなかったことから、2人のお気持ちは、次第に母から離れていったようです」(宮内庁関係者)
寛仁親王の葬儀では彬子さまが喪主を務め、信子さまが参列することはなかった。
宮内庁は、彬子さまの新刊での記述について、「私的なこととはいえ、悪意に満ちた曲解として、悲しく受け止めております」(総務課報道室)と回答したが、この間の母娘の関係について、彬子さまは寛仁親王の逝去から3年後の2015年、月刊誌『文藝春秋』に寄せた手記で自らこう明かしている。
〈寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた〉
〈私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も「話し合いを」と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであった〉
実の母娘関係としてはあまりに辛い状況が窺える。
彬子さまが手記を寄せた当時、信子さまはそれまで休んでいた公務に復帰しつつある時期だった。彬子さまは「母に望むこと」として、当時健在だった三笠宮両殿下への「お詫びとご報告」、国民に対する「公務復帰の理由説明」を求めていた。
しかし、彬子さまの訴えは母に届くことはなかったようだ。
2014年に公務に復帰し、園遊会や新年一般参賀などにも姿を見せている信子さまだが、現在に至るまで母娘3人は公式の場で並んでも顔を合わさず、言葉を交わす場面も見られていないという。
母娘の和解の日は遠い。
※週刊ポスト2025年10月31日号