将棋界で「中年の星」と呼ばれた棋士・青野照市九段
2024年6月、公式戦通算800勝を達成して引退した青野照市九段。今年10月に出版した新書『職業としての将棋棋士』では、勝負の世界に生きる棋士のリアルを赤裸々に語っている。
前編で語ったのは奨励会からプロになるまでの熾烈な戦いと苦労の数々。後編では「直感を磨く理由」について掘り下げる。いわく「気持ちが悪い手を読まない力」が勝負を分けるのだという──。【前後編の後編。前編を読む】
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──本の中では「勝負師の感性」についても触れられていますね。
直感の優れている棋士は、やはり勝負に強いんです。そういう棋士に、対局後の感想戦で「ここで、こういう手は考えませんでしたか?」と聞くと、「いやあ、そんな手は一瞬も浮かばなかった」と答えるんですね。もちろんその手があることは知っているけれども、「一切、読みたくない手だった」と。気持ちが悪い手だから、体が自然に拒否して指がそっちへいかないと言うんです。
──気持ちが悪い手?
そういう手は、たいてい「儲かる手」なんです。「儲かる」というのは、駒を得するという意味で、たしかに得はするけれども駒の働きが悪く、結果的には形勢を悪化させる方にいってしまうことが多い。だから直感力の強い人は、そっちに指がいかないのだと。指がいい手の感触を知っているから、身体が読みたくない手なんですね。
──他の棋士がつい読んでしまう手を、直感が優れた棋士は最初から読まないと。
演歌歌手としても活躍されて、「自在流」棋風で知られる内藤國雄九段は、「プロというのは“読まない能力”が優れている」と言いました。私も、直感の強い棋士と対局している時に、「この人は、どうしてこんな手が一瞬で浮かぶんだろう?」と不思議に思うことがよくありましたね。
──理屈ではなく、直感で指すわけですか。
理屈で「この手はどうか」「いや、こっちか」と読むのではなく、直感で「この手だ」とわかる。その後で、本当にいいかどうかを理屈で裏付けるんです。これって、将棋以外でもありますよね。たとえば採用面接で人を選ぶ時、この人はデータ上では優秀な大学を卒業して、成績も良いけれども、話していても「我が社に欲しい」とは感じられないとか。お見合いで、この人は勤め先もいい、お金も持っているけれども、この人と結婚してもどうも幸せになれそうな感じがしないとか。こういうのはデータとか理屈ではなく、直感としか言いようがないですね。
──羽生善治九段も「直感の7割は正しい」と言われていましたね。
ええ。羽生さんは理化学研究所の脳科学研究チームと研究をされていましたが、アマのトップクラスの棋士が将棋を指している時には、左脳(計算や記憶を司る部分)が活発に働いていたけれども、羽生さんが将棋を指す際には右脳(感性や直感、イメージ処理を主に担当する部分)が活性化していたそうですね。
──高度な直感力が働いているということですね。
私なんかはそこが中途半端で、右脳と左脳がケンカすることがあるんです。理詰めで考えていくと良い手が見つかって、それは自分にとって都合がいいのですが、直感の方の脳が「そういう手で、今までいいことなかったでしょう?」と止めるわけですよ。だけど計算の方の脳が、「いや、考えてみなさい。これは絶対いい手だから」とささやく(笑)。結局はそっちに負けて、「儲かる手」を選んで失敗してしまうこともありました。
