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遺品には給食費の…
犠牲となった笹崎さんは、東京を拠点に活動したプロレスのレフェリーだった。30年以上のつきあいがある、リングアナウンサーのオッキー沖田氏が唇をかむ。
「業界では“ささやん”の愛称で親しまれていて、口数は少ないけど優しい人でした。酒は強くなくて途中で寝ちゃうんですが、必ず2軒目にも顔を出す。仕事のつきあいを大切にしながら、まだ幼い2人の娘さんの父親としても頑張っていましたね。プロレス会場にも娘さんをよく連れてきていたんです」
だがプロレスは地方巡業が多く、レフェリー業と父親の両立は難しかった。
「あるとき、ささやんが“将来は田舎でもいいから、家族で一軒家に住みたいんだよね”と夢を語ってくれたことがあったんです。何十年も一緒に仕事をしてきましたが、彼がそんなことを口にしたのは初めてでした。娘さんが成長するにつれて、家族との時間をもっと持ちたいと考えるようになったのかもしれません。
だから知人を頼って今年3月に北上市に移住すると聞いたときには、“よかったね!”って声をかけたんですよ。ささやんの夢がかなって、やっとこれからっていうときだったんです……」(オッキー沖田氏)
笹崎さんは朝と夕方に子供を送迎できるシフトで勤務し、子供の行事にも欠かさず顔を出していた。誰よりも家族思いだった笹崎さんの遺品には、幼い娘の給食費の領収書が残されていたという。
※女性セブン2025年11月13・20日号
