35歳の時に「エアあやや」で大ブレイクしたタレント・はるな愛(時事通信フォト)
19歳の時に性別適合手術を受け、2008年、35歳の時に「エアあやや」で大ブレイクしたタレント・はるな愛(53)。少年時代は家にも学校にも居場所がなく、松田聖子が歌う姿に憧れ、アイドルを志した。
夢を諦めず、出会う人々に救われ、支えられながら自分が自分らしくいられる道を進んできたはるなには、今、誰かの役に立ちたいという思いが人一倍つよい。被災地へのボランティア活動を続けるほか、6年前からは「こども食堂」を運営している。はるなが目指す社会とは。【全3回の第2回。第1回から読む】
性転換しても「女性じゃない」という現実
──性適合手術を受けた後、関西でテレビ番組のニューハーフ特集やものまね番組に出演していたそうですね。
私が手術をした頃は、関西のテレビ番組ではニューハーフが人気で、私もよく出してもらっていたんです。
ニューハーフは“男の職業”っていわれるんだけど、性転換(注:2002年3月23日、日本精神神経学会が俗に「性転換手術」と呼ばれていた手術の正式名称を「性別適合手術」とした。本稿では当時の言い方として「性転換」という表記を採用する部分がある)すると「それでも女性じゃない」という事実がより鋭くなりました。子宮はないし、膣を作っても中は“行き止まり”。
でも逆に、私たちには私たちにしかない愛し合い方ができる。いい面と悪い面もあるなら、いい部分だけを考えればいいかなというのが私のスタンスです。それを教えてくれたのは、ショーパブの人たちでした。ママや先輩たちもだけど、お客さんもそう。いろんな意見が飛び交って、支え合って。
──上京したのは、1998年ですね。
関西で、よく現場が一緒になったのが飯島愛ちゃんでした。すごく美しくてキュートな部分もあって、仕事になると芯がある。私とは気が合って、愛ちゃんが「東京に来たら?」と誘ってくれたのが、上京のきっかけです。
でも、テレビの仕事をあてにしていたのに、東京ではなかなか……。事務所を転々とする間に、ひとりで小さなバーを始めたんですけど、制作会社の人や芸人さんが多いエリアにお店を出したこともあって、当時まだそんなにテレビに出ていなかった森三中さんやいとうあさこさん、椿鬼奴さん……いろんな芸能人が口コミで集まってくれました。
お店で話すのは、あのオーディションを受けたとか、落ちたとか、どうやったら売れるかとか。ご縁がつながって、つんく♂さんや藤原紀香さんも来てくださって、お店の中はまるで小さな芸能界。楽しく忙しく過ごしていました。
