松田聖子が歌う姿に憧れ、アイドルを志したというはるな
ブレイクまでに10年「あんた、生きててよかったな」
──なかなか東京で売れなかったのは挫折、でしたか?
挫折って、いつするのかなあ。私は性転換手術をして、もう後戻りもストップもできない人生を始めました。自分で選んだ道だから、進むしかない。この体になって自分の生き方が見えたんです。出会う人によって自分が変わって、そこで待ち構えている世界がすごく楽しみになってきたという手応えがあるから、挫折という言葉は私の辞書にないの。
──そしてブレイクをつかみました。
私がやっていたバーはカウンターの7席だけの狭いお店。カウンターの中にライトを仕込んで、1人ショーパブのようなことをしているなかで、声が出なくなった時にやったのが「エアあやや」でした。その直前から、モノマネタレントとしてテレビの出演回数が増えてきてはいたんですけど、まさかお店でやっていたネタが世に出ていくなんて、全く想像もしていなくて。
「エアあやや」がブレイクしている時、睡眠時間は3日で1時間。目まぐるしい日々で、タクシーや新幹線での移動中に入れかわり立ちかわり取材を受けたことも。着いたらスタジオへ直行できるように、衣装のまま新幹線で東京から大阪まで移動することもしょっちゅうでした。
でも、新幹線で移動中、トンネルに入って、暗くなった窓に自分の姿が映ることがありました。頭にリボンをつけて、フリフリの衣装を着ている私がそこにいる。そういう自分を見て、ほんとに『あんた生きててよかったな』って、嬉しさを噛み締めましたね。諦めないでいたことで、芸能界のど真ん中にいるやんって。
