来日時の安青錦(右)と山中新大氏(山中氏提供)
日本語を覚えて強くなる
大相撲は国際化が進み、ハワイやモンゴルだけでなく、欧州出身の力士ももはや珍しくない。ただ、そうしたなかでも安青錦には特筆すべきところがある。相撲取材歴約70年の元NHKアナウンサー・杉山邦博氏が言う。
「常に冷静で集中力を高めて戦う姿があり、優勝決定戦で豊昇龍が興奮気味に仕切っていたのとは対照的でした。感謝の気持ちを忘れず、素直で謙虚で稽古熱心。私がこれまで見てきた外国出身力士のなかでも異色の存在です。わずか3年で日本語をあそこまで深く理解していることにも感心、感激させられます」
たしかに優勝後のインタビューなどでも流暢な日本語が際立っていた。密着取材のなかで安青錦になぜ日本語が上手いのかを尋ねた際は「強くなりたいので……」という言葉が返ってきた。
「相撲が強くなるには、親方の言っていることがわからないとダメじゃないですか。言葉を知っていたら早く強くなれる」
戦火を逃れて日本にやってきた安青錦は、相撲で身を立てるしかない。稽古も、研究も、日本語の習得も、すべて全力で取り組むしかなかった。
そのことを誰よりもよく知るのが、安青錦の来日実現に尽力した関西大職員で相撲部コーチの山中新大氏だ。2019年に大阪・堺市で開催された世界ジュニア相撲選手権で知り合い、その後もSNSを通じてやり取りを重ねていた。
ロシアのウクライナ侵攻後、日本への避難と角界入りを希望する安青錦を受け入れたのが、当時関西大の学生だった山中氏と両親だった。山中氏はこう振り返る。
「両親に彼のことを話したら、すぐにうちに下宿させることに賛成してくれた。関西大も練習生として受け入れてくれたので、神戸の実家で寝食をともにしながら、相撲の稽古と日本語の勉強に励みました。ウクライナ語、ロシア語、英語を操る彼は、来日直後こそ英語で話をしていましたが、徐々に日本語を交えながらの会話になった。その上達はもの凄い速さでしたね。最初は神戸に避難したウクライナ人を対象にしたボランティアの日本語教室で習っていたが、あまり上達が早いので別の日本語学校に通うようになりました」
昼は日本語学校で授業を受け、夜は山中氏が主将を務めていた関西大相撲部や、山中氏の出身校である報徳学園相撲部の土俵で汗を流した。練習でも部員の輪に交じり、熱心に日本語を習得した。
「当時は僕らが使う言葉そのままだったので関西弁でした。“めっちゃ”とかよく使っていました。今はきれいな標準語になってちょっと寂しいですけど、時間があればスマホで相撲の映像を見ていた姿をよく覚えています。風呂場からも相撲を見ている音声が聞こえてきていましたね。日本人的でシャイなところがあって、真面目で相撲が大好きな男なんです」
日々の生活と稽古に必死に取り組んでいた安青錦は、報徳学園相撲部の練習中に前述の安治川親方との出会いを果たし、角界入りを実現させた。
そこで決まった四股名が「安青錦新大(あらた)」──新大は、山中氏の下の名前から取られたものだ。
