優勝を決めた後には恩人のひとりである山中氏にも直接、電話があったという(写真/JMPA)
「おかげさまで優勝できた」
入門当時はまだ18歳だった安青錦。ウクライナの両親も戦火を逃れてドイツに避難しており、不安は決して小さくなかった。山中氏が言う。
「彼は口にはしないのですが、やはり両親と離れて生活していたので、淋しそうな表情を見せることが時折あった。私たちもあえて戦争の話や両親のことは聞きませんでしたが、入門前は“いつか両親を日本に呼びたい”と言っていましたね」
角界入り後は両親について話すことはなくなったという。山中氏はそれを相撲道に邁進する覚悟を決めたためだと受け止めた。まだ10代だった青年にとっては重い覚悟だったはずだ。
初優勝を果たした後の会見では、遠く離れて暮らす両親についてこう言及していた。
「ウクライナの友達や両親から連絡が来て、(両親に)“おかげさまで優勝することができた”と伝えたら、お母さんは泣いていました。お父さんも泣いていたらしいですが、自分には見せなかった」
苦労した日々を乗り越え、それを周囲で支えてくれた人たちの「おかげ」だとするのが、安青錦の心構えだ。
優勝を決めた後には、恩人のひとりである山中氏にも直接、電話があったという。
「僕とうちの両親にも、『おかげさまで優勝できました』と言ってもらいました。来日して最初の頃の苦労を隣で見てきたので、最高の相撲で優勝を決めた後の彼に『おかげさまで』という言葉をもらえたのは、何より嬉しかったですね」
歴史を塗り替える活躍を見せる安青錦の気質は、3年前に師匠が抱いた印象である「一生懸命で真面目」から変わっていないのだろう。周囲への感謝を忘れない青い目の新大関が、次なる目標となる最高位を目指す。
※週刊ポスト2025年12月12日号
