保雄さんが最後に聴いたCDの数々(提供:東えりかさん)
先の投稿は、降って湧いたような夫の奇妙な病状に対し、フェイスブックでつながっている医療関係者に、すがるような思いで広く情報提供をお願いしたものだ。
加えて、保雄はかつて外資系製薬会社の研究所に在籍し、試薬や新薬の開発に関わっていた。早期退職後は複数の医薬品ベンチャー企業で抗がん剤の開発にも携わっていた。彼は彼で、そちらの関係者にも広く情報を求めていたようだ。大学の医学部教授や製薬会社の研究者、大きな病院の内科、外科、先端医療に携わっている知人も多く、いまの時代に「病状が目の前にあるのに原因がわからない」などという事態は、あり得ないことだったのだ。
いや、世界には原因不明の病気はある。それは知っている。私は職業柄、その関係の本を他の人よりはるかに多く読んできたし、紹介し続けてきた。治療法のない難病も奇病も世の中にはたくさん存在し、多くの患者が苦しんでいることを知っている。
しかしそれらの病気は何十万人に、あるいは何百万人に、いや世界にひとりだけに降りかかる病気だ。滅多にあることではないから本になっている。苦しんでいる人たちを気の毒に思い、そういう病気があることを世に知らしめたいと私は記事を書いてきた。
それが我が夫の身に起こっているとは、微塵も思っていなかった。すぐに「これは○○という病気だよ」と診断がついて治療され、あっという間に元気になり、日常が戻ってくると信じていたのだ。事実、入院した後も11月までの2ヶ月間は深刻な状態ではなかったのだ。だから治ることを疑わなかった。確信していた。
だが、原因にまったくたどり着けないまま、病状は静かに進行していった。
12月末、腹水内にがん細胞が発見された、と突然連絡が来た。「難治がんである『原発不明がん』」と診断されるまでには、それからさらに3週間を必要とした。
治療の甲斐なく、保雄は2023年3月17日に息を引き取った。享年66。最後の18日間は自宅療養で緩和ケアを行い、私がひとりで看取った。
何が起きたのか、原因は何か、そして私には何ができたのか。
死の理由を知りたいという気持ちを抑えることができず、私は主治医をはじめ、治療や緩和ケアに携わった人々に話を聞きに行くことにした。
