地震注意報を知らせる電光掲示板
深夜の凍結路を疾走したイカ漁師
居酒屋店主が気にかけていた“漁師たち”は、あの日、何をしていたのか。八戸漁港で網の手入れをしていたイカ漁師の男性(50代)が、当時の緊迫した状況を語り始めた。
「3.11からの教訓なんですが、津波が来ると分かったら、座礁から船を守るために沖へ出さなきゃならないんです。だから地震があった直後、真っ暗で凍結している道路を車で飛ばして、急いで船に来ましたよ」
漁港には、他の漁師仲間も集まってきていたという。
「今はイカ漁に出たくても出られない船が、港にびっしりと係留されているんです。今年は豊漁で南の漁師はたくさんとれたからいいけど、それで漁獲枠を超えてしまって北の漁師はとれないんです。そんな状態でみんなが一斉に動こうとしたもんだから、何か所か船同士をぶつけてしまいました。3.11の時は、まだ国から補助金が出て船を直せましたが、今の政府は絶対に助けてくれないと思いますよ。だから、何がなんでも自力で船を守らないといけない。少しの傷でも致命傷になる。同業者でも、もう限界が来て廃業する人がたくさん出ていますよ」
震度6強の揺れが収まった後も、被災地の人々の心は、揺さぶられ続けているのだ。
