ティーオフ前に笑顔を見せる青木功(左)と尾崎将司(高知・kochi黒潮CC)(時事通信フォト)
通算113勝を挙げているジャンボこと尾崎将司さんがS状結腸がんのため12月23日に死去した。78歳だった。
1960年代に中村寅吉や小野光一の活躍で第一次ゴルフブームが起こり、杉本英世、河野高明、安田春雄の和製ビッグ3の登場でゴルフが大衆化。さらに1970年代にトーナメント時代を迎え、空前のゴルフブームに突入した。この第二次ゴルフブームを牽引したのが青木功であり、ジャンボだった。【前後編の前編】
ジャンボはプロ2年目の1971年から1974年まで4年連続賞金王を獲得するなど圧倒的な強さを見せつけた。青木も1976年に賞金王になると、1978年から1981年まで4年連続賞金王となり、2人が優勝争いを演じ、年間賞金王を競った。2人の活躍でトーナメントを開催したいという企業が殺到し、1971年に34試合だったのが、わずか2年でトーナメント数は倍増。第二次ゴルフブームがやってきた。
青木はマネージメント会社を通じて「長年良きライバルとして、二人でゴルフ界を引っ張って来ただけに、言葉が無いです。また一人、大切な戦友を失い寂しい気持ちでいっぱいです」とコメントした。
プロゴルファーは合宿や練習ラウンドを仲間同士で回ることが多い。青木功は渡辺司、大町昭義、西川哲、海老原清治、船渡川育宏、泉川ピートらと『青木ファミリー』を形成し、ジャンボ尾崎は尾崎健夫、尾崎直道、飯合肇、高見和宏、金子柱憲、川岸良兼などと『ジャンボ軍団』を作っている。
青木軍団のプロのひとりは「青木さんは“ジャンボ”と呼び、ジャンボさんは“アニキ”と呼んだ。5歳年下のジャンボさんだが、絶対に“青木さん”とは呼ばなかった。相当にライバル視していたと感じましたね」というが、ジャンボと親交が深かったゴルフジャーナリストの三田村昌鳳氏は、青木とジャンボのライバル関係をこう見ていた。
