「多くの人が、ウイスキーのおもしろさに気づいていないだけだという確信めいたものがあった。それだけが、あの当時の、私の原動力だったと思います」
ウイスキーがもつ「物語」に酔う
原料は大麦、どの銘柄も、基本的には同じような造り方をしている。けれど、味も香りも異なる。そのことが、肥土さんの興味を惹き付けたという。
「蒸留法ごと、貯蔵する樽ごとに、味が違う。飲み比べるとはっきりと違いがわかる。ワインも、同じブドウを原料に、同じような醸造法で造られるのに、産地やビンテージによって一本一本、まるで異なる。そのおもしろさがウイスキーにもあるんだとわかって、ウイスキーの魅力にハマったのだと思います。その頃は、銘柄のもつストーリーに惹かれて飲んでいました。たとえば、『エドラダワー』。これはわずか3人の蒸留所で造られるシングルモルト。そんな小さな蒸留所が素晴らしいウイスキーを造り出し、遠い日本のバーで飲まれている。そういう物語に酔うわけです。
また、『グレンモーレンジィ』のアルティザンカスクという一本は、北米の産地の北側斜面で育つ、生育の遅いオーク材のみを用いた樽で熟成されている。木の育った場所によって味が異なるかと、感動します。それから、忘れられないのは、ダンカンテーラーというボトラーズ(蒸留所から原酒を樽ごと買って自社で熟成させ、自社のブランドとして瓶詰して販売する業者)が出していた、1966年に瓶詰めされた『ボウモア』を飲んだときのこと。マンゴーやパパイヤのジュースを思わせる濃厚なフルーツ感に驚愕しました」
肥土さんは、埼玉県羽生にあった会社から、日々、都内のバーを回った。
「南青山のヘルムズデール、自由が丘のスペイサイドウエイ、有楽町のキャンベルタウンロッホなどとても有名なモルトバーにも行きました。そこでマスターに薦められるままに飲むわけです。止まらないですよね(笑)。1軒で3種類くらい飲んで、ひと晩に少ないときで3軒、多いと5軒回ります。そうすると、かなりの杯数を飲むことができる。でも、4軒目くらいから酔ってきます。あの頃、これくらいの酒で酔わない体質だったら、どれほど楽しめるだろうって思っていました。
しかし、父が経営した頃の会社は、紙パックの日本酒とペットボトルの焼酎をたくさん売る会社です。社内では、私が毎日コツコツと原酒を持ち歩いて意見を聞いて回っていることも、サントリーから帰って来たバカ息子が夜な夜な飲み歩いているという噂になってしまった。だから、毎晩のようにバーへ通う活動はしにくくなったのですが、私は実際に、低迷していると言われるウイスキーが、バーでは若い人にも女性にも好まれていることを見ていた。
だから、ワインならともかく、なんで今ウイスキーなんだという周囲からの疑念に対しても、多くの人が、ウイスキーのおもしろさに気づいていないだけだという確信めいたものがあった。それだけが、あの当時の、私の原動力だったと思います」
当時、売り歩いたウイスキーの原酒は、父の世代が造ったもの。いずれは底をつく。その後はどうするか。バーを回りながら肥土さんは考えに、考えた。
「いずれ、自分でウイスキーを造りたい。そう思いました。そんな夢を、バーを歩きながら語っていましたね。すると、今は大手メーカーだってウイスキーが売れなくて困っているけれど、小さい蒸留所が現れて個性的なウイスキーを提案してくれたら面白そうだと言ってもらえたのです。もし、本当にそんなウイスキーが発売されたら、ウチの店でも必ず売らせてもらいますよとも言っていただいた。そんな言葉を聞くうちに、少しずつではあるけれど、この時代にウイスキーを提案するという仕事はうまくいくかもしれないと、思い始めました」
2人は17年の付き合い
【プロフィール】肥土伊知郎(あくと・いちろう)1965年埼玉県秩父市生まれ。家は江戸時代から酒造りを行う。東京農業大学で醸造学を専攻、サントリーに入社。29歳で父の要請により退職し造り酒屋を手伝うも、 2000年に経営破綻。2004年同社売却後、ウイスキー原酒を自身で買い戻し、同年ベンチャーウイスキー社を設立。2005年「イチローズモルト」販売開始。2006年、英『ウイスキーマガジン』 ジャパニーズモルト特集でゴールドメダルを受賞。2008年自社蒸留を開始し、2017年「ワールド・ウイスキー・アワード」シングルカスクシングルモルト部門で世界最高賞を受賞など、世界的評価を得ている。
◆取材・文 大竹聡(おおたけ・さとし)/1963年東京都生まれ。出版社、広告会社、編集プロダクション勤務などを経てフリーライターに。酒好きに絶大な人気を誇った伝説のミニコミ誌「酒とつまみ」創刊編集長。『中央線で行く 東京横断ホッピーマラソン』『下町酒場ぶらりぶらり』『愛と追憶のレモンサワー』『五〇年酒場へ行こう』『酒場とコロナ』など著書多数。マネーポストWEBにて「昼酒御免!」が好評連載中。



