サントリーに入社後、30代になるまで営業の現場に立ち続けた肥土さん
バーでは若者もウイスキーを飲み比べ
転機は、父が経営していた酒造会社へ戻ることから、始まった。
戻った会社では、紙パック入りの廉価な日本酒や焼酎の製造販売がメインだった。日本酒のマーケットは減少を続け、酒造会社は大苦境の最中にあった。1990年代も終わりごろのことだ。
毎日、営業に歩く肥土さんは、あることを思いついた。会社では父の代からウイスキーを造っていた。これを売れないだろうか、と考えたのだ。
「社内でこの話をすると、ウチのウイスキーはクセが強すぎてあまりよくないんですよ、なんて、造ってる本人たちが言うんです(笑)。
でも、飲ませてもらうと、たしかに個性的ではあるかもしれないけど、これはこれで、おいしいのではないかと思った。それで、出入りしていたバーへ持ち込んでみたんです」
父の造ったウイスキーは、意外なほど評判がよかった。肥土さんがおいしいと思ったその味を確かめたマスターは、言った。
「これ、どこで買えるの?」
1本仕入れてみたいという意思表示である。なんだ、このウイスキーは、売れるのか? 肥土さんの胸に希望の灯が点った。
「私はもともとバーが好きで、シングルモルトを中心に飲んで歩いていたので、ウイスキーの魅力については気付いていたつもりです。当時のウイスキーはおじさんの酒と言われていて、消費量はどん底でした。でも、バーへ行ってみると、若い人や女性という、これまでウイスキーのユーザーと思われていなかったような人たちが、楽しそうに飲んでいた。いろいろなシングルモルトを飲み比べて楽しんでいるのです。私は、その光景を見て、この人たち向けのウイスキーが提案できれば、量は売れないかもしれないけれども、小さな会社を支えていくくらいはできるのではないか。なんとなく、そんなことを思いました」
マスターにどこで買えるの? と訊かれた肥土さんは、こう答えていた。
「逆に、マスターはいつも、どこのお店でウイスキーを仕入れていらっしゃるのですか」
肥土さんは、マスターがウイスキーを仕入れる店に父の原酒を持ち込んでみようと、咄嗟に考えた。肥土さんは、サントリー時代には経験したことのない営業を始めてみたのだ。
「昼間は酒屋さんを訪ね歩き、夜はバーを巡りました。バーの世界は、先輩後輩のつながりや、仲間のつながりがあります。ある店を訪ねれば、別の店を紹介していただける。ウイスキーの品ぞろえのいい店のマスターたちは、同じようにウイスキーを愛する仲間の店を教えてくれました。私は、そうした店を訪ね歩き、薦められたウイスキーを飲み比べることによって、銘柄、作り方、独特の香りと味わいを、一杯一杯、学んでいきました」
