山本浩二一覧

【山本浩二】に関するニュースを集めたページです。

「精密機械」北別府学(時事通信フォト)
中畑清氏が広島の200勝投手・北別府学のクセを見抜けた理由
3月25日に今季のプロ野球の熱戦の火ぶたが切って落とされる。各球団が対戦相手のデータ分析などでも鎬を削ることになるが、一昔前は相手投手の「クセ」を見破ることが非常に重要だった。球界の大物OBが集まる席では、現役時代に誰が誰の「クセ」を見破っていたかで、大いに盛り上がりを見せた。 野球評論家の江本孟紀氏、中畑清氏、達川光男氏が一堂に会し、今季の展望を語る座談会の様子が本誌・週刊ポストの3月18日発売号に掲載されたが、その席では現役時代を振り返るトークにも花が咲いた。 達川氏が、「中畑さんは野生児のように見えて、クセを見ているんですよ。うちの北別府(学)なんか見抜かれていました。ノースリーからのカーブをポール際にファールされ、もう1球カーブを続けたら左中間に大ホームランですからね。北別府はカーブを投げる時に腕が緩むクセがあって、それを見抜かれていた」と水を向けると、中畑氏は「北別府だけだよ」と笑った。 北別府氏と言えば、そのコントロールの良さから「精密機械」の異名を取り、最多勝2回(1982年、1986年)、防御率1位1回(1986年)、沢村賞2回(1982年、1986年)に輝いている。広島一筋で現役通算213勝をあげた大投手だけに、明らかなクセがあったとはなかなか信じられないが、中畑氏は笑顔でこう語るのだった。「あれは篠塚(和典)に教えてもらったんだけど、あんなわかりやすいクセはなかったよね。篠塚なんて、振りかぶった瞬間にわかると言っていたからね」  それに対して江本氏は「オレの癖なんか(広島の)山本浩二にすべて見抜かれていた。一緒に焼肉を食べていた時に全部、指摘されちゃったことがあるよ」と苦笑い。そんな指摘をされて以降は、ミスター赤ヘルと呼ばれた大打者とどう対峙したのか。クセを治す努力をしたのかという問いに、江本氏はこう答える。「クセってのは治らないんですよ。だから指摘されてから、山本浩二にはそれを利用して逆のボールを投げていましたよ。本当に昔はピッチャーのクセを熱心に盗んでいたよね。ベンチに座っているヤツがよく見ていたんだ。南海時代はノムさん(野村克也氏)が好きだからビデオを撮って研究していました。なんだそんなもの、とか言いながらも、結構参考にしてましたね(笑)。最近はサインだってどんどん単純になっているけど、もっと研究すればいいのにね」
2022.03.22 11:00
NEWSポストセブン
巨人は2006年、球団史に残るロケットスタートを切るも、交流戦で13勝23敗と大失速
プロ野球「開幕ダッシュ」の歴史 優勝確率36.1%の険しい現実
 祝・プロ野球開幕! ロケットスタートを切っても、必ずしも優勝できるとは限らないのがペナントレース。平成以降の過去32年の3、4月の成績(※2020年は開幕が遅れたため、6、7月の成績)を調べると、勝率6割5分以上の開幕ダッシュに成功したチームは36例あった。だが、意外にも優勝は13例のみで、確率は3割6分1厘しかない。 稀に見る失速もあった。2006年、原辰徳監督が2度目の就任をした巨人は4月終了時に貯金12と見事な滑り出しを見せたが、最終的には球団史上初の2年連続Bクラスに終わった。貴重な左の中継ぎを務めていた前田幸長氏が話す。「交流戦になると、一度仕切り直しになるため、良い流れが寸断されました。ケガ人も続出し、特にチームリーダーの小久保裕紀の離脱が痛かったです」 交流戦のなかった年は19例中8チームが優勝していたが、交流戦が始まった2005年から2019年までは16例中5チームと開幕ダッシュの効力は薄れつつある。2008年、交流戦を2位で乗り切りながら、巨人に13ゲーム差を逆転され、阪神の監督を辞任した岡田彰布氏が勝ち切ることの難しさを語る。「独走すると『絶対優勝や』という雰囲気になるから、勝てなくなると辛いわな。終盤は食事が喉を通らず、あっさりしたものを無理矢理口に放り込んでいたわ。同じ2位でも、前半に独走しないでの2位なら監督を続けたんやないかな」 同年は新井貴浩がケガのまま北京五輪に出場し、状態が悪化。帰国後1か月近く欠場する不運も重なった。今年は東京五輪で約1か月の中断期間がある。「前半戦でどれだけ貯金を作れるか。そうしないと、中断期間の練習を楽しくできない。追い掛けるのはしんどい。そら、開幕ダッシュするに越したことはないよ」(前出・岡田氏) 開幕戦、交流戦、中断明けと“3度の開幕”がある2021年。異例のシーズンを勝ち抜くチームはどこか。●2008年 阪神「大差で独走した我が世の春」 7月8日の巨人戦で5対3と快勝し、宿敵・巨人に最大となる13ゲーム差を付ける。猛打賞の関本賢太郎、6勝目の岩田稔がお立ち台に↓「巨人に13ゲーム差を逆転され、岡田監督は辞任」(最終順位2位) 10月8日、巨人との同率首位決戦に惜敗。首位を明け渡して首をかしげる岡田彰布監督。●1993年 広島「エースの活躍で開幕6連勝」 北別府学は6度目の開幕戦勝利を皮切りに、月間4勝。チームは球団新記録の開幕6連勝で4月は勝率7割3分3厘と絶好調だった。↓「12連敗で最下位転落」(最終順位6位) 8月31日から9月15日まで、まさかの12連敗で3位から最下位に転落。その2日後、山本浩二監督は重い足取りで辞任会見に臨んだ。●2006年 巨人「球団史に残るロケットスタート」 35年ぶりの開幕4カード連続勝ち越し、23年ぶりの開幕20試合で15勝とハイペースで勝ち星を積み重ねる超ロケットスタートだったが……。↓「交流戦がアダに」(最終順位4位) 交流戦で13勝23敗と大失速。6月11日の対ロッテ戦では小関竜也のベース踏み忘れで李承燁のホームランが単打に。原監督の猛抗議も実らず●2017年 楽天「春先の貯金11を夏場過ぎて使い果たす」(最終順位3位) 7月まで首位も、夏場に失速。10連敗の9月3日、ソフトバンクのデスパイネにサヨナラヒットを浴び、エース則本昂大はしゃがみ込んだ。●2014年 オリックス「首位独走も2厘差で優勝逃す」(最終順位2位) 3、4月を19勝8敗で幸先良くスタート。ソフトバンクとデッドヒートを繰り広げたが、10月2日の直接対決に敗れ、2厘差で優勝を逃す。●1995年 西武「主砲の離脱で開幕ダッシュも水の泡」(最終順位3位) 6月13日のオリックス戦で清原和博が右肩脱臼。2日後の試合を最後にデストラーデが家庭の問題を理由に退団。主砲を失い、失速した。取材・文/岡野誠 写真/共同通信社※週刊ポスト2021年4月9日号
2021.03.30 11:00
週刊ポスト
クイズバラエティ番組と化した日テレ・巨人戦中継への評価は
クイズバラエティ番組と化した日テレ・巨人戦中継への評価は
 波紋を呼ぶほど話題の企画となった――。8月20日、日本テレビ系で巨人対阪神(東京ドーム)戦が放送された。この日は解説者と実況アナウンサーが試合を伝える今までのスタイルをガラリと変え、山本浩二、中畑清、江川卓、高橋由伸、赤星憲広というプロ野球OB、羽鳥慎一(フリーアナウンサー)、伊沢拓司(東大出身のクイズプレイヤー)を迎え、『野球脳サバイバルナイター』を敢行した。 この企画では、7人が次の打者の結果を5択で予想。正解すれば、アウト1ポイント、フォアボール2ポイント、犠打・犠飛3ポイント、ヒット4ポイント、ホームラン10ポイントをもらえる仕組みで、各イニングの最下位が1人ずつ脱落していくシステムが取られた。 19時に中継が始まると、5回に江川卓、6回に山本浩二と野球解説者が早々と去り、7回に羽鳥慎一、8回に赤星憲広が姿を消した。中畑清、高橋由伸、伊沢拓司の3人が9回まで残り、高橋由伸が累計ポイント数でトップになり、優勝を果たした。 この日、地上波の巨人対阪神戦はスポーツ中継というより、あくまでクイズの題材になっていた。いわば、新感覚の“クイズバラエティ”のような番組だった。斬新な企画に、ネット上では「意外と楽しめた」という肯定的な声もあれば、「画面がゴチャゴチャして野球が見づらい」という否定的な意見もあった。 今回の企画について、野球ファンからは不満が出て当然だろう。テレビ上の主役は選手ではなく、予想するパネラーたちに見えたからだ。実際、CMに入る前には〈中畑、高橋、赤星、羽鳥、伊沢 最後に残るのは?〉などと大きなテロップで煽っていた。 私も、最初は純粋に野球を楽しみたいと感じた。しかし、日本テレビの立場を考えれば、大胆な企画の敢行はむしろ遅いくらいだったかもしれない。事実として、もう15年以上も地上波のプロ野球中継は視聴率が取れていない。 ここ数年、巨人の開幕戦でなんとか10%に乗る程度で、あとは1ケタが続き、放送自体も年に数試合しかない。昨年は日本シリーズの巨人対ソフトバンクでさえ3戦目まで2ケタに届かず、最終戦となった4戦目でようやく11.8%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。世帯視聴率。以下同)になったほどである。日本テレビは視聴率争いでテレビ朝日と首位を競っているが、巨人戦をナイター中継すると、ゴールデン帯やプライム帯で1位になれない日も目立つ。 通常、テレビ局は数字が低ければ、番組にテコ入れをする。それなのに、野球中継はアナウンサーが実況をして、元選手が解説をするというスタイルを変えていなかった。しかも、地上波とBS、CSが同じ実況、解説の試合も当たり前だった。テレビ界では考えられない“番組”だったのだ。 この日の巨人対阪神戦は副音声では通常のスタイルで中継していたし、CSや動画サイトでも放送されていた。逆に言えば、野球ファンに他の選択肢があるからこそ、大胆な試みを敢行できた。そもそも、たまに地上波で中継をしても、毎試合巨人戦を見ている人はいつも通り、CSなどで視聴するはずだからだ。 地上波のコンテンツとして通用しなくなってきている巨人戦中継を、今までと同じ形で続けても、視聴率アップは見込めない。地上波がCSと差別化するなら、このくらいドラスティックに変えないと意味はないと考えたのだろう。この企画を機に野球中継を見てくれる新規ファンが少しでも増えれば、既存のファンにとっても喜ばしいことではないだろうか。 新しいことをすれば、賛否両論は巻き起こる。少なくとも、日テレは今までにない野球中継に挑戦した。果たして、第2弾はあるだろうか。(文中敬称略)■文/岡野誠:ライター、笑点研究家、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。本人や関係者への取材、膨大な一次資料、視聴率などを用い、丹念な考察をした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記』(青弓社)が話題に。
2020.08.21 16:00
NEWSポストセブン
「レッズ」がルーツじゃない?
広島カープ「Cマーク」ルーツはレッズでなくインディアンス
 日本のプロ野球は様々な面で米メジャーリーグを参考にしてきたが、野球帽も例外ではない。約700点に上る野球帽の歴史を解説した『野球帽大図鑑』(著/綱島理友、イラスト/イワヰマサタカ。朝日新聞出版刊)から、「Cマーク」でおなじみの広島東洋カープの野球帽のルーツについて紹介する。 広島の帽子はシンシナティ・レッズと瓜二つのデザインを採用している。そのため、カープの赤い帽子はレッズが由来と思っている方も多いと思う。ところがそもそもの由来はレッズではなく、クリーブランド・インディアンスにあった。 1975年に監督に就任したジョー・ルーツは、来日前はインディアンスのコーチを務めており、彼が在籍していた1972年、インディアンスは赤の本体に紺色のマークが入った、1975年にカープが採用した帽子と同じデザインの帽子をかぶっていた。 しかし1989年に山本浩二が監督に就任すると、ユニフォームのデザインをレッズ風に変更。マークも紺から白に変更され、カープの帽子はインディアンス風からレッズ風へと変更された。※週刊ポスト2020年6月26日号
2020.06.21 07:00
週刊ポスト
最年長の福留孝介は43歳に(阪神タイガース提供。時事通信フォト)
今や40代が11人に プロ野球選手の寿命が伸びた背景
 4月26日、日本プロ野球界最年長の阪神・福留孝介が43歳の誕生日を迎えた。今年終了時点での満年齢で福留に続くのは、42歳の中日・山井大介、41歳のヤクルト・五十嵐亮太、阪神・能見篤史、広島・石原慶幸、40歳のヤクルト・石川雅規、西武・松坂大輔、楽天・久保裕也、渡辺直人、ロッテ・細川亨、阪神・藤川球児の計11人が40代となる。 野球担当記者は次のように話す。「20年前くらいまでは30歳になればベテランと呼ばれていましたし、30代後半で不調になれば、すぐに『引退』という文字がスポーツ紙に踊った。最近は1年活躍しなくても、まだチャンスが与えられますし、随分と40歳前後の選手が生きやすい時代になったと感じます」(以下同) 昭和の名選手は30代後半になって1年成績が落ちると即引退するケースが多く、中には例年と変わらない成績を残していてもユニフォームを脱ぐこともあった。 巨人V9戦士を例に挙げてみよう。土井正三は36歳の1978年にレギュラーでダイヤモンドグラブ賞を獲得し、リーグ最多犠打を記録。打率も2割8分5厘と自身3番目の数字を残したにもかかわらず、球団の説得もあってコーチに転身した。高田繁も35歳の1980年、打撃は不調で1割台に落ち込んだが、リーグ最多犠打に輝くなど、まだまだチームに必要な存在だったが、身を引いた。 同じ年、40歳の王貞治も後半不調に陥り、打率は2割3分6厘まで下がったものの、ホームラン30本を放っており、来季も4番として期待されながらも、現役を退いた。 他チームの主力にも同じような選手はいた。1986年、同じく40歳の広島・山本浩二は4番として打率2割7分6厘、27本塁打、78打点でチームを優勝に導き、日本シリーズも全試合4番で出場しながら引退。1990年、40歳のロッテ・村田兆治はBクラスのチームで10勝を挙げながら、こだわり続けてきた先発完投ができなくなったため、現役生活にピリオドを打った。 2000年の球界最年長投手は39歳のダイエー・長冨浩志、野手は38歳の横浜・駒田徳広だった。駒田は6月に代打を送られ、試合中に帰宅し、首脳陣批判もしたため2軍落ち。9月に2000本安打を達成するも、球団から戦力外通告を受ける。所属チームを探したが、手を上げる球団がなく、引退した。長冨は中継ぎとして38試合に登板し、防御率2.00でダイエーの2連覇に貢献。現役続行となり、翌年も26試合に投げて1軍の戦力となった。41歳の翌々年、1軍登板なしで引退となった。 それが21世紀に入ると、30代後半に1年不調になっても引退せず、現役を続ける選手が増えた。2015年には、中日の山本昌が歴代最年長の50歳で登板して話題を呼んだ。「2000年代以降、複数年契約が当たり前になったことが大きな要因でしょう。その先駆けは落合博満です。45歳になる1998年までプレーしましたが、40歳になってからは巨人や日本ハムで複数年契約を結んでいた。昭和のような1年契約だったら、そこまで現役で居続けられたかはわかりません」 今年40代以上の選手のほとんどは、過去に複数年契約をした経歴を持っている。2013年から福留は阪神、2015年から山井は中日、能見は阪神、2014年から石原は広島、石川はヤクルト、松坂はソフトバンクと3年契約。2016年から五十嵐はソフトバンク、藤川は阪神、2015年から細川はソフトバンクと2年契約している。 また、こんな理由も考えられるという。「昭和の頃は『先発=完投』、『主力=全試合出場』が美学とされていたため、それができないなら引退すべきという風潮もありました。現代では、投手は先発、中継ぎ、抑えの役割がより明確になっていますし、野手もメジャーを倣って休養日を設けるようになりました。それに加え、科学的トレーニングも日進月歩しています。これらによって、選手寿命が延びた面は間違いなくあるでしょう。 阪神の能見は2年前から先発から中継ぎに転向して、新たな居場所を見つけています。昔ならこうは行かなかった。名選手を1年でも長く見られますし、ファンにとっても嬉しいことではないでしょうか」 その一方で、プロ野球界にも新型コロナウイルスの感染拡大の影響は及んでおり、開幕は不透明になっている。ベテランにとって、この時期にどう体力を維持するかが大きな課題だろう。試合がない今も、彼らの戦いは続いている。
2020.04.29 16:00
NEWSポストセブン
追悼・関根潤三さん 「享年93」、実は「94歳」だった
追悼・関根潤三さん 「享年93」、実は「94歳」だった
 野球評論家の関根潤三氏が4月9日、老衰で“93年”の生涯を閉じた。選手としても、指導者としても、ユニークな経歴をたどった野球人だった。 1950年に近鉄に入団。当初は投手として活躍したが、打棒を買われて野手としても出場するようになる。 投手として65勝94敗、防御率3.42。打者として打率2割7分9厘、1137安打、59本塁打424打点の生涯成績。オールスターには投手と野手の両部門で出場。大谷翔平の半世紀以上前に「二刀流」を実現していた。 指導者としては「育成の鬼」と呼ばれた。 広島コーチ時代には山本浩二、衣笠祥雄らを、大洋監督時代は高木豊・加藤博一、屋敷要の「スーパーカートリオ」を、ヤクルトでは池山隆寛、広澤克実らを育てている。 何より野球ファンに印象深いのは「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)での好々爺キャラだ。柔和な笑顔と飄々とした語り口にはファンが多かった。 本誌・週刊ポストにも何度も登場し、「関根節」を披露。中でも驚きは“誕生日詐称”の告白だった。戸籍上は昭和2年(1927年)3月15日生まれなのに、大正15年12月25日生まれだった。「親父が役所に届けるのを忘れてたの(笑い)」「だけど、おかげで僕は戦争に行かずに済んだ。大正15年生まれの男性には召集令状が来たけど、同じ学年でも僕は徴兵されなかった。確かに親父のズボラのおかげで助かったわけです(苦笑)」(2017年5月5日・12日号) つまり本当の享年は93ではなく94だったということになる。人柄だけでなく「年齢」でも鷹揚だった。「プロ野球ニュース」で共演が多かった野球評論家の江本孟紀氏がいう。「人当たりがよく、解説でも決して選手や監督の悪口は言いませんでした。でも、実は物凄く勝ち気で、芯の強い人。現役時代は勝敗が決まったゲームで代打に出されると、1回もバットを振らずに帰ってきて抗議の意志を示したそうです。解説でも、つまらないゲームなら何も喋らずにいることも。野球と自身には厳しかった」 今年2月には、関根氏からヤクルトの監督を引き継いだ野村克也氏が亡くなったばかり。2人は指導者として、お互いを認め合う間柄だった。今頃、あの世で野球談義に花を咲かせているのかもしれない。※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.12 16:00
週刊ポスト
投手としてだけでなく、打者としても活躍した関根潤三さん(写真:時事通信フォト)
関根潤三さん 沢村栄治との出会いから始まった野球人生
 現役時代は近鉄、巨人などでプレーし、引退後は広島と巨人でコーチ、大洋とヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが4月9日、老衰のため亡くなった。93歳だった。関根さんは2リーグ分裂の昭和25年に近鉄パールスに入団。実は、あの伝説の大投手の一言がプロの世界に足を踏み入れるキッカケとなっていた──。(文中敬称略、名前は当時) 昭和18年、日大三中(現・日大三高)が多摩川の巨人合宿所近くの河川敷で練習していると、どてら姿で下駄を履いた沢村栄治がやってきた。打撃練習をしていた関根が「いいところを見せてやろう」と快音を連発すると、沢村が声を掛けた。〈「きみ、素質があるよ。しっかりがんばりなよ」沢村さんは、私の肩にぽんと手を置くと、そう言った。日本一の大投手から、素質があると言われたのである。「よし、真剣に野球にとりくもう、そして六大学のどこかに入って……」(中略)この日の沢村さんのひと言がなかったならば、私の人生は大きくかわっていたかもしれない〉(平成2年8月発行 関根潤三著『一勝二敗の勝者論』佼成出版社) 藤田省三監督率いる法政大学に進んだ関根は根本陸夫とバッテリーを組み、東京六大学リーグで通算41勝30敗、防御率1.96の成績を残した。卒業を間近に控えた昭和24年秋、アメリカから来日した3Aのサンフランシスコ・シールズが日本のプロ野球チーム(全日本選抜、東軍、西軍、巨人)、日本に駐留していた極東空軍、全陸海軍と対戦。10試合を終えて9勝1敗となり、最後の一戦は藤田監督の指揮する六大学選抜チームと行なった。そこに関根もメンバーとして名を連ねた。 先発を任された関根は、初回にいきなり2点を失ってしまう。精鋭を集めた六大学選抜唯一の試合であり、この時点で交代になってもおかしくなかった。しかし、藤田監督は続投を命じる。意気に感じた関根は立ち直り、2回以降ゼロを並べた。延長13回に2点を失って4対2で敗れるも、このシリーズで日本人唯一の完投を遂げ、あの沢村栄治と同じようにアメリカチームとの対戦で脚光を浴びた。関根は自伝で、こう感謝を述べている。〈こいつは今の失敗を反省し、2回以降きちっと抑えてくれるだろう――。藤田監督は、そう確信したからこそ、私を続投させたのであろう。「部下への信頼」を私は感じたのである。藤田監督は顔色ひとつかえない。よし、それだけ信じられているのだったら、おれも〉〈この日の試合で、私が1回半ばで交代させられていたら、おそらく私はまったくちがった人生を歩んでいたにちがいない。すでに企業への就職もほぼ内定していたのだから〉(前掲『一勝二敗の勝者論』) 関根は2リーグ分裂の昭和25年、藤田が監督に就任した近鉄パールスに入団。16年間の現役生活で投手、打者の両方でオールスター出場という偉業も成し遂げ、昭和40年限りで引退した。 指導者に転身すると、何人ものスラッガーを育てた。昭和45年、広島の打撃コーチになると、山本浩二や衣笠祥雄などを我慢強く鍛えた。衣笠はこう振り返っている。〈ナイター終わって11時から、合宿所にいる選手は全員、関根さんに30分ぐらいバットスイングを見てもらって、順次声かけてもらって上がれるんです。ある日、あんまり打てないんで、憂さ晴らしに飲みに出たら3時過ぎになっちゃって。そしたら関根さんはロビーにいらっしゃいました。「叱られる」と思ったら、怒らなかったですね。「やろうか」って、たったひと言。(中略)当時、23歳です。諭し方って、怒るだけじゃないんだというのを初めて覚えました。こたえましたね。あれ以来、そういうことをしなくなりましたから〉(平成22年2月15日・朝日新聞) 鉄拳制裁も珍しくなかった時代、関根は選手を信じ、淡々と振る舞うことで自覚を促した。衣笠は昭和45年10月19日から昭和62年に引退するまで、2215試合連続出場という当時の世界記録を樹立し、日本歴代7位タイの504本塁打を放った。 大洋・関根監督時代の1982年から1984年まで主軸を張った田代富雄は、関根の指導法をこう語っている。〈くすぐり方がうまかった。選手を怒ったり、何かを押しつけたりせず、くすぐってその気にさせるんだよ。自分が選手を教える立場になったとき、最初に思い出したのも関根さんのやり方だったな〉(2013年9月発行 赤坂英一著『最後のクジラ 大洋ホエールズ 田代富雄の野球人生』講談社) 1987年、関根はヤクルトの監督に就任すると、有望株の広沢克己をこう勇気づけた。〈「お前、力はある。がんばれよ」と言ったとき、広沢は目を生き生きとさせた。もとより、私は、沢村さんとは比べようもない平凡な人間だが、このときの広沢の表情、私はそこに、少年時代の私自身の姿を見る思いがした〉(前掲『一勝二敗の勝者論』) 田代も広沢も関根監督時代にシーズン100三振を記録したが、通算で田代は278本、広沢は306本ものアーチをかけ、ファンを魅了した。沢村栄治や藤田省三から感じ取った“上に立つ人間の在り方”を実践し、多くの名選手を輩出した関根はこう言っている。〈「あいつはおれが育てた」と言う監督やコーチがいるでしょ。そんなに簡単に育てることはできないよ。ちゃんとした選手は、放っておいても自分で練習して育つの〉(平成26年7月17日 サンケイスポーツ)〈午前3時頃に戻ってきた衣笠をつかまえて、朝まで素振りさせたという話があるって? もう忘れちゃったよ。僕は現役時代、「朝帰りの潤ちゃん」で有名だったのにねえ(笑)。一生懸命だったんだね、お互いね〉(平成26年7月12日 サンケイスポーツ) 沢村栄治や藤田省三のスピリットを関根が受け継いだように、関根に導かれた田代富雄が、多村仁志、金城龍彦、村田修一らの好打者をを育て上げるなど“名伯楽”と呼ばれ、その教えを後世に伝えている。亡くなっても、“粋な男”関根潤三の魂はこれからも野球界で生き続ける。■文/岡野誠:ライター。本人や関係者への取材、膨大な資料などから解き明かした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は『本の雑誌』2018年ノンフィクション部門ベスト10入り。巻末資料では田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)を視聴率やテレビ欄の文言などと掲載。『ザ・ベストテン』の緻密なデータもある。
2020.04.11 16:00
NEWSポストセブン
緒方孝市監督が再びユニフォームを着る日は来るか(写真:時事通信フォト)
優勝からBクラスで辞任の広島・緒方監督、将来再登板あるか
 10月1日、広島カープの緒方孝市監督が辞任を発表した。昨季までリーグ3連覇を果たしたものの、今季4位に終わった責任を取った格好だ。野球担当記者が話す。「今季も前評判は高かったですが、2年連続MVPの丸佳浩が巨人にFA移籍した上にリードオフマンである田中広輔の不振、バティスタがアンチ・ドーピング規定違反で出場停止処分になるなど、波に乗り切れませんでした」(以下同) 2016年に広島を25年ぶりの優勝に導き、昨季まで3連覇を成し遂げた監督が翌年4位まで順位を下げて退任。まさに、球界の一寸先は闇だと示した。 これまで2リーグ分裂以降、優勝した翌年にBクラス転落の辛酸を舐めたセ・リーグの監督は、今年の緒方孝市監督を除けば、のべ11人。その中で退任したのはヤクルト・広岡達朗監督(1978年優勝→1979年最下位。シーズン途中に辞任)、中日・近藤貞雄監督(1982年優勝→1983年5位)、ヤクルト・野村克也監督(1997年優勝→1998年4位)の3人だけである。「広岡監督はフロントと折り合いがつかず、近藤監督もシーズン中に来季の新監督が発表されるという異例の事態に見舞われた。野村監督は9年目を迎えており、潮時でもありました」 Bクラス転落後も留任したのべ8人のうち、翌年優勝したのは1963年の巨人・川上哲治監督、1995年、1997年のヤクルト・野村克也監督の3例がある。Aクラスに戻ったのは1960年の大洋・三原脩監督(2位)、1992年の巨人・藤田元司監督(2位)、1998年の長嶋茂雄監督(3位)の3例。この中で、藤田監督はオフに退任。長嶋監督も辞任の噂が流れ、森祇晶新監督の誕生を報じる新聞もあったが、留任した。1993年の広島・山本浩二監督、2017年のヤクルト・真中満監督はともに最下位に沈み、オフに辞任している。「緒方監督は、野村謙二郎前監督の遺産のおかげで勝てたと言われたり、短期決戦に弱いと叩かれたりもしましたが、3連覇の偉業は決して色褪せません。2リーグ分裂後、セ・リーグで3連覇を達成したのは巨人以外では、2016~2018年の広島だけです。今後広島がもし低迷期に入れば、再び監督候補として名前が挙がると思います。実際、優勝翌年にBクラスに転落し、辞任した広岡達朗氏は3年後に西武、近藤貞雄氏は2年後に大洋、野村克也氏は翌年阪神の監督を務めています」 退任会見で「ユニフォームを脱いだ先のことは考えていない」と述べていた緒方監督。いったんは静養するだろうが、近い将来、再びユニフォームを着る機会が来るかもしれない。
2019.10.03 16:00
NEWSポストセブン
江川卓は「怪物」と呼ばれた(時事通信フォト)
達川光男氏 「対戦した中でいえば江川卓が歴代No.1投手」
 簡単には比べられない。だからこそ、面白い。80年以上にわたる日本のプロ野球の歴史のなかで、誰が「史上最高の選手」なのか? 歯に衣着せぬ物言いで知られる達川光男氏(現役/1978~1992年、所属/広島。以下同)も「週刊ポストさんの頼みでも、史上最高の選手を1人選ぶなんてできんよ」と苦笑いする。「数字だけを見れば、金田(正一氏=1950~1969年、国鉄ほか)さんの400勝、王貞治さん(1959~80年、巨人)の868本塁打、イチロー(1992~2019年、マリナーズほか)の日米通算4367本安打といった長年活躍を続けた選手の記録が飛び抜けているが、一方で短命でも凄い選手はいましたからね。 結局、自分が直接戦った相手のことしか言えないよ。ワシの経験でいえば、江川卓(1979~1987年、巨人ほか)がズバ抜けていたと思う。高3の時のセンバツで江川が投げるのをスタンドで初めて見た時は、度肝を抜かれたね。まさに、“ボールがうなりをあげている”という感じでしたよ」 達川氏は「自分が対戦したことのある選手のなかから選ぶなら」と限定した上で、江川氏を投手ナンバーワンとしたが、同い年の2人は甲子園でも対戦している。“怪物・江川”を目の当たりにした思い出をこう振り返る。「1973年春のセンバツ準決勝で江川の作新とぶつかって、ワシら広商(広島商業)が2対1で勝ちました。ただ、50歳の時に、江川に言われてしまったんです。“あの試合は前日に寝違えて軽く投げていた”と(笑い)。 江川とは仲がいいから、ワシに対してははっきりとものを言う。プロになってからも“タツ(達川氏)には思いっきり投げていない。衣笠祥雄さん(1965~1987年)や山本浩二さん(1969年~1986年)には本気で投げないといけないから”と真顔で言っていた。得点圏にランナーが進んだら一気にギアを上げたり、相手や状況に合わせて投げていたよね。ただ、ここ一番で投げてくる真っ直ぐはファウルチップが精一杯で、前に飛ばなかった。あとはカーブのコントロールが抜群。稲尾(和久氏=1956~1969年、西鉄)さんも針の穴を通すコントロールだったと聞くが、打席で見たことがないから比べられないよね……」※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.12 07:00
週刊ポスト
星野仙一さんの「お別れの会」(時事通信フォト)
元プロ野球選手の葬儀 現役時と引退後所属先、仕切るのは?
 ジャニー喜多川氏(享年87)の「家族葬」には所属事務所のタレント総勢100人以上が集まった。さらに8月には「お別れの会」が予定されている。有名人の葬儀の裏には花の並べ方や焼香の順番まで、慎重かつ入念に準備された“序列”がある。 スポーツ選手の場合も、交際範囲が広く、ファンも多い有名選手となれば、葬儀は大規模なものになる。 2018年4月に亡くなった衣笠祥雄氏(享年71)のお別れの会は6月28日に広島市内のホテルで行なわれたが、選手や野球界OB800人とファンを合わせて約3000人が参列した。「引退後は監督として広島に復帰することがなかったため、現役時代の広島球団と衣笠氏が亡くなるまで専属解説者を務めていたTBSで“どちらが仕切るか”を話し合ったそうです。最終的に発起人には広島のオーナーとTBSの社長の2人が並び、それに名球会が協力する形に収まった。緒方孝市監督がユニフォーム姿で参列するなど、やはりカープカラーが強かったですね」(球団関係者) プロ野球選手の場合、現役時代に活躍した球団と監督・コーチなど引退後の所属先のどちらが仕切るかが難しい。衣笠氏は“広島一筋”だったが、監督として複数球団で監督を務めたりした場合は、特に複雑になる。 2018年1月に死去した星野仙一氏(享年70)はまさにそのケースだ。「監督としては中日、阪神、楽天と3球団を渡り歩いたので、それぞれの関係者やファンのために、名古屋・大阪・東京の3か所でお別れの会が開かれました。メインは都内のホテルでのお別れの会。中日、阪神、楽天のユニフォームを着た星野さんの写真が3枚飾られ、最後の所属だった楽天の三木谷浩史・オーナーが挨拶しました。球団副会長まで務めたので、重きを置いたということでしょう。球界代表としては、六大学時代以来のライバルで親友でもある山本浩二氏が弔辞を読み上げました。 大阪で阪神球団が主催したお別れの会では、弔辞を阪神オーナー、金本知憲・阪神監督(当時)、六大学時代のライバルで元阪神選手の田淵幸一氏が読むなど阪神カラー一色でした」(スポーツ紙記者) 星野氏は現役時代は中日一筋で、監督としても球団を優勝に導いた功労者だが、他の2か所に先駆けて名古屋のホテルで催されたお別れの会は様相が違った。「星野さんが中日と疎遠になっていたからでしょう。それでも名古屋の財界人には人気があったので、発起人は中日とは関係のない大村秀章・愛知県知事で、星野さんの個人後援会が仕切った。中日のオーナーや森繁和監督、現役選手の姿はありませんでしたが、監督時代の主力だった球団OBの立浪和義氏やファンら約2000人が駆けつけました」(中日担当記者) さまざまな配慮やしがらみはあろうが、故人を悼む気持ちが最も大切であることは、どんな大物でも変わりがない。※週刊ポスト2019年8月2日号
2019.07.28 16:00
週刊ポスト
送検されるピエール瀧容疑者/時事通信
ピエール瀧 逮捕で「ピエール学園どうなる」と不安の声
「高橋由伸」「菅野智之」「山本浩二」「有吉弘行」「山崎まさよし」……野球関係者や、野球好きとして知られる有名人らのサインがズラリと並ぶ中で、ポッカリと不自然な穴が開いていた。それは、コカインを使用していたとして逮捕されたピエール瀧のサインが掲げられていた場所だった──。 東京・世田谷にあるバッティングセンターは、その場所柄、多くの有名人が訪れる。関係者が語る。「今回の逮捕を受けての対応のようです。4~5年ぐらい前に一人でいらして、サインにも快く応じてくれました。とても人当りのいい方だったので、今回のニュースを見てすごくショックでした」 同バッティングセンターの副支配人は、「やはりあのような報道があったので、親子連れのお客様も多いですし、影響も考えて色紙を外したほうがいいという判断をしました」とコメントした。大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』や出演映画などの撮り直し・代役の必要性などが話題になっているが、芸能界以外にも「コカイン逮捕」の影響が広がっているのだ。 ピエール瀧がライフワークとしている草野球への影響も懸念されている。芸能関係者が語る。「高校まで野球部に所属し、阪神タイガースの入団テストを受けたこともある瀧さんは20年ほど前から『ピエール学園』という草野球チームを率いています。このネーミングは同い年のスター選手である清原和博や桑田真澄がいたPL学園と自分の芸名を引っかけたもの。現在はTOKYO大リーグという名のリーグ戦に名を連ね、芸人のマキタスポーツや他のアーティストのチームとしょっちゅう早朝野球をしています。 毎年リーグの納会にも顔を出し、このリーグ戦の顔とも言える存在。『瀧さんがいなくなって、リーグ戦はどうなるんだろ……』と不安がる声があがっています。一方、『ドラマや映画の撮影で忙しいときも休まず早朝野球に参加し、やたら元気だったのはクスリのせいだったのか』『復帰しても清原をほうふつとさせるチーム名で大丈夫なのか』というネガティブな声もあるそうです」 草野球といっても、芸能人や音楽関係者が数多く参加し、業界の野球ファン人脈をつなぐ拠点になってきたリーグでありチームなのだ。 ピエール瀧は、レギュラー出演しているTBSラジオ『たまむすび』の中で「リーグ戦で5連敗」していたことをはじめ草野球の話を定番ネタにするほど、このチームを愛していた。彼がまたグラウンドに立つ日は来るのだろうか。
2019.03.17 07:00
NEWSポストセブン
本塁打数歴代4位の「ミスター赤ヘル」こと山本浩二もランクインせず(写真:時事通信フォト)
歴代プロ野球選手の人気投票、あの選手が上位に入らない理由
 12月24日、『プロ野球総選挙~レジェンド選手編~』(テレビ朝日系)が放送された。今回は、既に引退した選手のみで一番すごい選手を決めるという企画。球場に訪れていた野球ファンのみならず、プロ野球OBや監督、コーチ、現役選手にもアンケートを実施し、1万人の投票でランキング上位30人を決めた。 同番組に関して、野球担当記者はこう語る。「このような投票をすると、必ず『なぜあの選手は入ってないんだ』『恣意的に選んでいるのではないか』という意見が出てきますが、それはプロ野球が人気ある証拠です。ある程度の偏りは仕方ないですし、数十年前に活躍した選手よりも、どうしても記憶に新しい最近の選手を選んでしまう傾向がある」(以下同) 今回のベスト30のなかで、投手は10人。ベスト10に絞ると4名になる。4位の沢村栄治(巨人)、5位の野茂英雄(近鉄、ドジャースなど)、6位の金田正一(国鉄、巨人)、10位の黒田博樹(広島、ヤンキースなど)がランクインした。「日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった野茂、空前絶後の400勝を挙げた金田は別格。黒田は日米通算勝利数では野茂を上回り、歴代1位の203勝。年俸20億円のメジャーよりも、5分の1の4億円で広島に復帰し、優勝を果たしたというストーリーが記憶に新しい。そのことも、加味されたのでしょう。沢村栄治は野球史を紐解くと、必ず出てくる名前なのでファンの記憶に残っている」 歴代勝利数ベスト20のなかで、今回の企画でランクインしたのは金田、山本昌(中日)、村田兆治(ロッテ)だけ。歴代2位の米田哲也(350勝)、3位の小山正明(320勝)などは選ばれなかった。「江夏豊(16位)、稲尾和久(14位)より星野仙一(12位)の順位が上だったのも意外でした。あくまで現役時代を対象に聞いているはずですが、アンケートの回答者の中には監督時代のイメージが強く残っている人もいたのでは。現役時代の成績は、星野146勝34セーブ、江夏206勝193セーブ、稲尾276勝です。逆に言えば、星野のインパクトはそれほど強かったという証明ですし、良い意味でメディア操縦術に長けていたとも言える」 ベスト30のうち野手が20名を数えた。ファンの記憶に残りやすいのは、毎試合出場する野手のようだ。「30名中13名が巨人在籍経験のある選手だった点も注目です。その中で投手は金田、桑田真澄(20位)、江川卓(21位)の3名だけ。毎試合のようにゴールデンタイムで視聴率20%を獲っていた時代の巨人のレギュラー野手の知名度、印象度が高い証拠でしょう」 ベスト3は1位・王貞治、2位・長嶋茂雄、3位・松井秀喜と、巨人の生え抜きが独占した。「この番組を通して、人は記憶、印象で物事を判断しがちだということも分かりました。当たり前のことですが、自分の知っている範囲でしか何かを語れない。今回のベスト30には、1960年代以前に引退した選手は沢村栄治、金田正一、川上哲治、稲尾和久の4名しか入りませんでした。当時のことを知る人が少なくなってきていますから、ある程度仕方のないことかもしれません。今回のような人気投票はあくまで主観にすぎないなのです。 しかし、プロ野球には記録という客観的なデータが残っている。これが素晴らしいところ。安打数歴代4位、本塁打数歴代3位の門田博光(2566安打、567本)、本塁打数歴代4位の山本浩二(536本)などは今回、ベスト30に入りませんでしたが、功績は決して色褪せない。逆説的になりますが、この番組によって、客観的な数字を残しておくことが、いかに大切かも分かりました。歴代のプロ野球記録員の功績といっていいでしょう」 思い入れのある選手は人それぞれ。84年に及ぶ歴史を誇るプロ野球の中で、人気投票をすれば順位に批判はつきもの。その中で、放送を決断したテレビ朝日にも拍手を送るべきだろう。
2018.12.27 16:00
NEWSポストセブン
江川・KKから根尾・吉田まで…「ドラフト1位指名」53年史
江川・KKから根尾・吉田まで…「ドラフト1位指名」53年史
 4球団競合の末に、中日が大阪桐蔭・根尾昂の交渉権を獲得し、金足農・吉田輝星を日本ハムが外れ1位で指名──ドラフトの歴史に新たなページが刻まれた。その光景は、50年以上にわたる数々のドラマ・内幕を知る“伝説のスカウト”の目には、どう映ったのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする(文中敬称略)。 * * *◆「故障を知らずに1位指名」 1965年11月17日、プロ野球ドラフト会議は初めて開催された。男は、53年前の記憶の断片をつなぎあわせるように口を開き始めた。「非常にファジーな形でドラフト会議はスタートし、各球団が見切り発車で選手を指名していた。ですから、契約したもののまったく使い物にならなかった選手もいた。江川(卓)の事件や他の不正もあって、ドラフト制度は大きく変わり、今はクリーンに整備されている。そういった機運を作ったのは、やはり1985年のKK(桑田真澄、清原和博)のドラフトだと思います」 82歳になる男の名は井元俊秀。長く高校野球に携わる者に、彼が残した足跡はよく知られている。現在は秋田・明桜高校に籍を置く井元であるが、2002年までPL学園で全国の選手をスカウト(選手勧誘)する仕事に従事し、KKコンビや立浪和義らを同校に導き、常勝軍団を陰から作り上げた。 井元はPL学園1期生であり、同校を卒業後、学習院大学に入学。同大が初めてにして唯一、東都大学リーグを制した“神宮の奇跡”の時のエースだった。 卒業後、PL学園野球部の監督に就任すると、1962年の選抜で甲子園に初出場を果たす。その後、選手の進学先の世話に悩み、野球人脈を築こうとスポーツニッポンの記者に転身。新米記者として派遣された現場が、第1回ドラフト会議だった。「かつてのプロ野球界には、伝説を持つスカウトがたくさんいました」と井元はいう。阪神、東京オリオンズのスカウトを歴任した“マムシの一三”こと青木一三や“スカウトの神様”と呼ばれた広島の木庭教、そして中日の柴田崎雄──。「そうしたスカウトたちが、自由競争で選手を獲得していたのが1965年以前。しかし、いろいろと暗躍する人も多かった。あるひとりの選手の獲得に熱心な球団の横から、別の球団が『うちはこれだけ(契約金を)出すよ』と獲る気もないのに大きな金額を提示する。すると先に声をかけていた球団は条件を釣り上げますよね。そうした嫌がらせが横行し、契約金が高騰していた」 井元がスポニチに入社した1964年、東京オリオンズに上尾高校の山崎裕之の入団が決まった。契約金は史上最高額となる5000万円。そうした高騰を防ぐため、翌年からドラフト会議が実施された。「初めてのことで、リストに挙げていた選手を他に獲られたりしたらもうてんやわんや。『休憩をくれ』と言い出す球団まであった」 その日、大洋に1位指名されたのが、岡正光(保原高)という左腕。しかし入団後、ヒジの故障が発覚する。井元は翌1966年に大洋の担当記者としてキャンプを取材。この新人投手がブルペンで投げた瞬間、「あちゃー」と落胆する大洋首脳陣の声が聞こえたという。◆桑田・清原「二本釣り」計画 1968年には法政大の田淵幸一が阪神に、同じく山本浩二が広島に、明治大の星野仙一が中日に指名された。大豊作のドラフトであった。井元は翌1969年にはPLに戻り、教え子をプロに送り出すスカウトという立場でドラフトとかかわってゆく。 ドラフトにまつわる二大事件といえば、巨人が制度の盲点を突き、1978年のドラフト前日に江川卓と電撃契約をかわした「空白の一日」事件。そして、井元がPLに導いた清原、桑田の命運が、真っ二つに分かれた1985年のKKドラフトであろう。井元の負った傷も深い。「既に亡くなっている人も多く、真相というのは、誰にも分からない。私にも、そして桑田にも。とにかくあのドラフトはPLにかかわるすべての人間にとって不幸な出来事だった」 5季連続で甲子園に出場し、20勝を挙げた桑田と、春夏通算13本塁打を放った清原。桑田はドラフトを前に早稲田大への進学を表明し、清原はファンであった巨人への入団希望を公言してやまなかった。 しかし、ふたを開けてみれば、巨人が桑田を単独指名。清原は6球団の競合となり、西武が交渉権を獲得した。清原に同情の声が寄せられ、巨人と密約があったのではないかと、桑田には非難の目が向けられた。そして、この事件の黒幕と噂されたのが井元だ。しかし井元はKKの進路にはまるで関与していなかった。「桑田を早稲田の練習に連れて行ったことはありましたが……。だからドラフト会議の日も、僕は自宅で寝ておった。そこに飛び込んできたのが桑田だった。『先生、僕は巨人とできてなんていません』と。しばらくして、清原の母親が我が家を訪れ、『どうしてこんなことになるんですか』と……。家内は泣いてしまってね。うちの息子が同級生でしたから、親同士、仲が良かったんですよ」 もし巨人が桑田を指名していなければ、KKは揃って西武に入団したのではないか──改めて振り返っても、そんな思いが巡る。 西武では当時、管理部長として“球界の寝業師”と呼ばれた根本陸夫が辣腕を振るっていた。根本に可愛がられていた井元は、中学生でも有望な選手を見つけたら囲い込むような強引な手腕に驚かされながら、そのスカウト術に多くを学んだ。「西武は情報を絶対に漏らさず、独自のドラフト路線を貫いていた。これはあくまで私の憶測ですが、根本さんはKKの二本釣りを狙っていたのではないでしょうか。早稲田進学が有力視されていた桑田よりも、清原の方が競合になる可能性があった。だからまず、清原を獲りに行った。もし西武が両取りに成功していたら、誰も傷つかなかったという思いは抱えています」 井元は後年、江川が桑田に対し、こんな発言をしたという話を耳にした。「お前は良かったな。俺のプロ入りは他人が決めたけど、お前は早稲田にするか、巨人に入るかを自分の意志で決められたんだから」 ドラフトは、時に有望選手の人生を狂わせてきた。◆高卒プロ入りがいいとは思わない しかし、井元にはドラフトに対する信念がある。「それはね、クジになろうが、ドラフトで決まる球団が、その選手に最も相応しい球団だろうということ」 8球団が競合した1989年の野茂英雄や1998年の松坂大輔ら、井元が直接、関わっていないスターたちに対しても、その思いは同じだ。ドラフトとは運否天賦で、決まった球団が最良の道──。 1987年に春夏連覇を達成した時の主将である立浪には、当時の南海監督・杉浦忠がご執心だった。しかし、中日の星野仙一も後発ながら名乗りを上げ、ドラフト前にその理由を井元が問うと、星野は「立浪が来てくれたら中日のショートは10年は安泰だ」と答えたという。その星野が、クジを引き当てる。直後、井元は杉浦からこんな言葉をもらった。「申し訳ない。日頃、酒ばっかり飲んで、不摂生のバチが当たってしまった」 井元は通算187勝した球界の大エースからの謝罪に恐縮しきりだったという。 1991年にドラフト外入団が廃止に。1993年には逆指名制度が導入されるなどしたが、07年に西武の裏金問題が発生し、完全撤廃。その間も、井元は教え子をプロの世界に送り出し続けた。 「高卒でプロに入ることを、私が積極的に薦めたことは一度もない。高校生が夢を持つのはいいが、早急にプロに行けば、結果を残せず、失望する結果になってしまうことだってある。大学、社会人を経ることも、決して遠回りではないわけです。PLでいえば、今岡(誠)がそう。高校時代に阪神から話があったが、私はまだ早いと思って東洋大を紹介した。すると1年生からチャンスを掴み、五輪にも出た。結果、逆指名の1位で阪神に入ったわけです」 今年は、春夏連覇を達成した大阪桐蔭の根尾昂が中日に、夏の決勝で大阪桐蔭に敗れた吉田輝星は日本ハムから指名を受けた。 吉田とも井元は浅からぬ因縁がある。井元が選手勧誘を担当する明桜と金足農業はライバルで、2年連続で秋田大会の決勝を戦った。 明桜の山口航輝は、井元が声をかけ、大阪から秋田に向かわせた教え子である。昨夏の決勝までは吉田を上回る評価の投手だったが、吉田の牽制で帰塁した時、右肩を脱臼し、この夏までに完全回復は叶わなかった。しかし、広角に力強い打球を放てる打力が評価され、ドラフト候補となっていた。 井元はドラフト前、山口にこう告げていた。「何球団から調査書が届いたとか、いろいろと一喜一憂しておったから、『指名はないと思っておいた方がいい』と伝えていたんだよ」 それは杞憂に終わり、山口は4位で千葉ロッテに指名された。体が続く限り野球に携わっていたいと常々話している井元。次にプロに送り出す選手は、誰になるのか。※週刊ポスト2018年11月9日号
2018.10.30 07:00
週刊ポスト
広島FA流出懸念にOB安仁屋氏「丸だけなら穴は埋まるが…」
広島FA流出懸念にOB安仁屋氏「丸だけなら穴は埋まるが…」
 広島カープが圧倒的な力でセ・リーグ3連覇を果たした。投打の主力も若いだけに「カープ黄金時代」を予感させるが、なぜかオールドファンたちは浮かない顔だ。「どうせ、しばらくしたらまたあの時代が来るんじゃないか……」──。その真意はどこにあるのか。 過去に、セ・リーグ3連覇を達成したことがあるのは巨人だけ。新たな歴史に名を刻んだ「赤ヘル軍団」の強さの秘密は何か。「なんといっても選手層の厚さでしょう。丸佳浩(29)、鈴木誠也(24)とクリーンアップ2人がそれぞれケガで離脱した時期がありましたが、昨年までは主に代走・守備固め要員だった野間峻祥(25)が6月まで打率.350と打ちまくり、松山竜平(33)とバティスタ(26)が4番の代役を果たした。主力が欠けて負けが重なるといった“失速”がなかったことが独走につながった」(広島担当記者) 打線に比べて見劣りすると言われていた投手陣も、ジョンソン(33)、大瀬良大地(27)、野村祐輔(29)を中心にローテーションは大きく崩れなかった。「今村猛(27)、中崎翔太(26)らのリリーフ陣に、2年目のアドゥワ誠(19)が加わり、育成から左腕のフランスア(25)があがってきてブルペンも盤石になった」(同前) 主力を張るのは、20代中盤から30代前半の脂の乗った選手たち。さらに、下の世代も充実している。「夏の甲子園で1大会の本塁打記録を塗り替えた地元広島の期待の星・中村奨成(19)に加え、2年目捕手の坂倉将吾(20)も成長著しい。投手陣でも、高橋樹也(21)と高橋昂也(20)という高卒左腕2人も生きがいい」(同前) 死角はないように見えるが、将来の不安はたしかに存在している。◆カープ女子もいなくなる 昨季MVPを獲得し、今季も打率.324(リーグ6位)、本塁打38(同1位タイ)、打点95(同3位)、脅威の出塁率.482(同1位)を誇る丸が、国内FA権を取得した(成績は9月26日終了時点)。「巨人は外野のレギュラーはベテラン勢が中心。しかも今年、巨人はマツダスタジアムが1勝9敗1分と鬼門で、東京ドームでも負け越しています。天敵から主力を引き抜けば、補強と同時に相手の弱体化になる。丸と、今年同じくFA権を取得した松山のW獲得を狙う可能性もある」(スポーツ紙記者) 元広島で太いパイプのある金本知憲監督(50)が指揮をとり、福留孝介(41)、糸井嘉男(37)という両ベテラン外野手に依存する阪神も争奪戦に加わりそうだ。 広島の松田元オーナーは慰留の方針を明かしたが、広島と言えば「育てた選手を高く売る」というのが基本路線。これまでも、川口和久(1994年→巨人)、江藤智(1999年→巨人)、金本(2002年→阪神)、新井貴浩(2007年→阪神)、大竹寛(2013年→巨人)らが去っていった。「観客動員が増え、グッズも売れる人気球団になった広島はもう“貧乏球団”ではない。ですが、マツダスタジアムは広島市の持ち物ですし、市民球団の本質はそのまま。黒字ですが、同族経営でもあるし、マネーゲームに消極的な姿勢はそう変わらない」(同前) 丸、松山に続き、来年は野村や名手・菊池涼介(28)、強打の捕手・會澤翼(30)が、翌年には菊池と二遊間を組む田中広輔(29)がFA権を取得する見込み。その次の年は大瀬良と中崎だ。広島OBの安仁屋宗八氏が不安を漏らす。「この3年間の強さは、菊池、田中、丸のセンターラインの活躍が大きかった。広島は育成がうまいといっても、野手は育てるのに時間がかかる。守備の連携はもちろん、攻撃は足も絡んで覚えることが多い。野間のような若い選手がいるので丸だけなら穴は埋まるやろうが、菊池、田中と続いたら大変なことになる」 さらに、鈴木は巨人になじみ深い東京出身。ジョンソンも来年3年契約が最終年を迎える。金満球団の“草刈り場”となれば、今から3年後にはまた最下位争いをする未来もありえる。 広島人気を下支えしたカープ女子たちは、弱くなったチームに、変わらず黄色い声援を送ってくれるのだろうか。3連覇しながら広島が、“球界の盟主”となる将来を信じ切れないオールドファンも多い。◆25年間の暗黒期 1980年代、ミスター赤ヘル・山本浩二(71)と鉄人・衣笠祥雄(享年71)を中心に、広島は3度のリーグ優勝で日本一に2度輝いた。その2人の引退後、1991年にもリーグ優勝。「3年目の野村謙二郎(52)がリードオフマンとして打線を引っ張り、同じく3年目の江藤や2年目の前田智徳(47)が活躍。佐々岡真司(51)は2年目ながら沢村賞に輝き、川口は最多奪三振のタイトルを獲得した。あの時も、黄金期がくると思っていた。ところがその後、川口が去り、江藤がいなくなり、やってきたのは暗黒期だった」(50代、カープファン) リーグ優勝からは25年遠ざかり、その間、Bクラスに沈むこと18回。のちに球史に名を残す名選手を揃えながらたどった転落の歴史に、「丸や菊池がいなくなっても、若手が出てくる」と楽観的に構えてはいられないファンも多いのだ。果たして、歴史は繰り返すのか──。※週刊ポスト2018年10月12・19日号
2018.10.01 07:00
週刊ポスト
東京五輪の侍ジャパン 「イチロー総監督」電撃就任プラン
東京五輪の侍ジャパン 「イチロー総監督」電撃就任プラン
 球史に前例のない“特別ポスト”に就任したイチロー(44)は、これからどんなキャリアを歩むのか──来季以降は再び出場の可能性が残ると報じられているが、関係者の間では“再来年の大舞台”を用意するシナリオが浮上している。 今回のシアトル・マリナーズ会長付特別補佐就任は“事実上の現役引退”という見方が主流だ。MLB評論家の福島良一氏はこう解説する。「チームの宝であるイチローに敬意を表するためにフロントの肩書を与え生涯契約を結んだ。そして本人が希望する“50歳まで現役生活を続ける”という目標達成の可能性も形の上で残したということです」 オリックス時代のコーチであり、“振り子打法”を二人三脚で考案したイチローの育ての親・河村健一郎氏も、寂しそうにこういう。「イチローの衰えは明らかです。右手のグリップが緩んでいるから、バットを振り切れずにポンと当てにいくバッティングになっている。ここ7年間、3割を打てなくなっていることがそれをよく物語っています。守備力は落ちていませんが、ベンチ入りの中にこの年齢の守備要員はいらないという判断なのでしょう」 そう分析した上で、イチローの今後について、こんな見方をする。「もともとイチローは天才ではなく努力の人。つねに前に向かっているため達成感や満足感がない。だからこそ発する言葉が難しく聞こえるんでしょう。 この先、そうした姿勢を指導者として若い選手に見せてほしい。愛国心の強いイチローだからこそ自国開催の2020年東京五輪で日本代表監督を引き受けてほしい。ただ現在の代表体制を覆してまでやるという性格でもなく、悩ましいところです」◆選手兼監督でも! 現在、日本代表「侍ジャパン」の監督を務める稲葉篤紀氏(45)は昨年7月に就任したばかりで、東京五輪を含め第5回WBCが開催される2021年までの4年契約が結ばれている。 それでも“イチロー監督”待望論は多方面から聞こえてくる。辛口評論で知られる江本孟紀氏もその一人だ。「侍ジャパンの監督に求められるのは、とにかく求心力。今の代表はイチローを見てプロに憧れた世代なんです。これまでイチローは自分のことしかやってこなかったのだから、球界のリーダーとして残るためには、人のために何かやるべきです。本人のキャリアのためにも最高のチャンスじゃないですか」 イチローの“哲学”を踏まえるとあり得ない話ではないとするのは、かねてから親交のある落語家のヨネスケ氏だ。同氏はマリナーズに移籍後、オリックス時代のイチローの考えを聞く機会があったという。「将来的にFAでの巨人入りも視野に入れていたと言っていました。理由を聞くと、“弱い巨人をボクの力で立て直したかった”と。“強いヤツを倒す”というのが彼のポリシー」 侍ジャパンはWBCでも2大会連続ベスト4で、今は“チャレンジャー”の立場だ。「代表を率いるのもいいんじゃないですか。ただし、監督でなくてプレイングマネージャー(選手兼任監督)でね。50歳まで現役を続けるんですから」(同前) イチローの影響力は計り知れない。2008年、翌年に控えた第2回WBCの監督選考において体制検討会議で主流を占めた「現役監督は難しい」という意見に対し、イチローは「現役監督から選ぶのが難しいというなら、本気で最強チームをつくろうとしているとは思えない」と待ったをかけた。 この意見に松坂大輔やダルビッシュ有ら主力選手も賛同を示した結果、北京五輪を率いた星野仙一監督は就任を固辞し、現役監督として巨人を率いていた原辰徳氏が就任した過去がある。 そのWBCでイチローは、決勝の韓国戦で優勝を決める“伝説の一打”を放った。だからこそ、自国開催の五輪を戦うチームを率いるに相応しい──そんな声があがるのは、ある種の必然だろう。◆稲葉監督も譲る? 現在の稲葉監督の体制に、不安の声があるのも事実だ。「性格が優しすぎるんです。負けたら終わりの国際試合では時に冷徹な判断が必要になります。果たしてそれができるか。支えるコーチ陣に金子誠ヘッドコーチ、建山義紀投手コーチと日ハムOBが多いのも、稲葉監督の繊細さを気遣ってのことでしょう。他チームの選手から、やりづらさを訴える声も出てきている」(スポーツ紙デスク) スターの集まる代表だからこそ、指揮官がチームを一つにまとめるのは難しい。「ONクラスの指揮官ならメジャーの現役選手を含め誰にも文句を言わせず堂々と采配が振るえますが、山本浩二氏や小久保裕紀氏にはそれができず、結果を残せなかった」(スポーツライター広尾晃氏) イチローならば、そうした懸念と無縁であることはたしかだ。江本氏はこんな提案をする。「稲葉は日ハムの監督をやればいい。黙って譲ると思いますよ。イチローが気にする? それならイチローが総監督になればいい。稲葉と2人で世界一に導いて球界を盛り上げるべき」 実現すればまさに東京五輪に相応しい顔ぶれだ。※週刊ポスト2018年5月25日号
2018.05.14 16:00
週刊ポスト

トピックス

紺色のお召し物だった紀子さま
紀子さま、悠仁さまに「悪夢の再来」 宮内庁17cm包丁送付事件、同封便箋には皇族批判
女性セブン
京都の街を歩く舞妓のイメージ(写真/イメージマート)
元舞妓の告発に有名歌舞伎役者たちが大慌て 関係が露見すれば廃業は必至か
女性セブン
逮捕された「RYO&YUU」
「バレないように森の中で」公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」が語っていた野外動画撮影の“対策” 実際には公園、海岸でも裸に
NEWSポストセブン
よくぞ言った!江口のりこがぶっちゃけたテレビのタブー「番宣出演は意味がない」
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NEWSポストセブン
ゴルフをする女性芸能人が増えている(左は小島、右は鷲見。ともに本人のインスタより)
タイトなウェア姿を投稿しまくりの小島瑠璃子と鷲見玲奈「ゴルフ女子」枠巡る熾烈な戦い
NEWSポストセブン
ポスト和久田麻由子アナに浮上 「元東大ミスコン」堀菜保子アナ(27)の“大きな武器”
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NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
「定年までTBSに」先輩・吉川美代子アナが期待する安住紳一郎アナのこれから
週刊ポスト
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
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眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
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逮捕された「RYO&YUU」
公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」、性的動画アップは「親公認」だった 22歳の女は愛知・香嵐渓で全裸に
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
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