樹木希林一覧/12ページ

【樹木希林】に関するニュースを集めたページです。

樹木希林「がんで死ぬのがいちばんいい。準備ができるから」
樹木希林「がんで死ぬのがいちばんいい。準備ができるから」
 第36回日本アカデミー賞で『わが母の記』で2度目の最優秀主演女優賞に輝いた樹木希林(70才)。その授賞式で、樹木はこんな衝撃告白を始めた。「来年が大変。私は全身がんですから。来年の仕事は、お約束できないんですよ、本当に」と。 最優秀主演女優賞受賞者は翌年の授賞式で司会を務めるのが慣例だ。つまり、彼女は全身をがんに侵された状態のため、それがいつ急変してもおかしくないということを示唆したのだった。 樹木のがん闘病は2004年夏から始まった。まず、乳がんが発覚。2005年1月に右乳房の全摘手術を受けた。それから2年ほど経った2007年ごろ、同じ場所でがんが再発。全摘をしても一部残った乳腺にがんが発生したり、関連部位にがんが転移することもあり、この場合も再発と呼ばれる。 樹木は今度は手術を拒否。切らずに行うピンポイント放射線治療を受けるため、鹿児島にいる名医のもとを訪れ、治療を重ねる。その結果、一時は「乳がんが消えた」と公表できるまでの状態になった。 しかし、その後の経過について、昨年9月、樹木は女性セブンに「全身がんである」としてこう語ったのだ。「がんができる体質になっちゃったの。(がんと)つきあいたくないけど、出てくるものはしょうがないですよね…。常にどこに(がんが)出てもおかしくないと思っているから、そんなに焦って医者行って調べないの。私の場合、考え方、日々の生活の仕方は、がんを受け入れているという形だから」 人によってがんの性質は異なり、対処法の選択も変わるため、樹木は「がんについては結論が出せない」と話すものの、彼女自身はこんな考えだ。「がんで死ぬっていちばんいいんです。死ぬまでの準備ができるじゃないですか。だからそれぐらいの感じでいます」 60代になって気管支喘息、網膜剥離、そして前述のとおり、9年前に乳がんを患った樹木。リアルに死というものに向かっていく自分を意識したことから、彼女の“終活”は始まった。※女性セブン2013年3月28日号
2013.03.14 16:00
女性セブン
敏腕映画プロデューサーが語る映画の脚本の基本ルールとは?
敏腕映画プロデューサーが語る映画の脚本の基本ルールとは?
【著者に訊け】川村元気氏・著/『世界から猫が消えたなら』/マガジンハウス/1470円 あえて想像してみる。〈世界から、もし猫が突然消えたとしたら。この世界はどう変化し、僕の人生はどう変わるのだろう〉……。『世界から猫が消えたなら』、通称“世界猫”の著者、川村元気氏(33)は言う。「または電話、映画、時計など、ある人にはないならないで済むものが、ある人にはそれなしで生きていけないくらい大切なことって、結構あると思うんですよ。これはそういう自分にとっての“猫”を見つける話です。何かの不在や喪失を通じて価値や意味を考える考え方が、今の僕には一番しっくりくるんです」 それは、悪魔のささやきだった。〈この世界からひとつだけ何かを消す。その代わりにあなたは1日の命を得ることができるんです〉 脳腫瘍で明日をも知れぬ命だと宣告された〈僕〉は取引に応じることにした。アロハシャツに短パン姿で〈アタシ、悪魔っす!〉とかる~いノリで話す、僕に瓜二つな悪魔との取引に。自分には何が本当に必要で、人生に何の意味があるのか――。そう。想像するにも、きっかけが要るのだ。『電車男』『モテキ』『告白』など話題作を続々手がける人気映画プロデューサーが、初小説を書いたきっかけも実は映画。『悪人』で原作・脚本を担当した芥川賞作家、吉田修一氏と作業を進める中で、小説と映画にできることの違いに興味を持ったことが大きいという。「例えば映画では妻夫木聡さん演じる主人公の祐一が“苛立っている”と書いちゃいけないんですね。祐一が顔を顰めたとか黙るとか、行為を書くのが映画の脚本で、苛立っている、は映らないからダメなんです。一方“世界から猫が消えた”と書けば、たった一行で猫のいない世界を表現できるのが小説で、その不在や不足を、読者との共犯関係が埋めていくのが面白い。 映画では泣く泣くあるシーンを切ると別のシーンが俄然輝いたり、その前後のシーンを“ないのにある”と観客が感じてくれることがある。それこそ今回のテーマ〈何かを得るためには、何かを失わなくてはならない〉のだと日々実感するところ。本書でも著者川村の文章をプロデューサー川村が編集していて、言葉を尽くして描き切るのが小説家の小説だとすれば、余白や空白に自覚的なのが映画人の小説かもしれません」 特に本作はテーマがテーマだけに匿名性や寓話性に留意したといい、名前があるのは僕が母親から託された愛猫〈キャベツ〉と先代の〈レタス〉だけ。レタスが死んだ後、母が死に、残されたキャベツと暮らす郵便配達員で30歳の僕までが今まさに死の宣告を受ける。 といって特に泣き叫ぶでもなく、以前観た映画風に〈死ぬまでにしたい10のこと〉を書いてはみたが、思いつくのは〈スカイダイビング〉〈恋がしたい〉など下らないことばかり。〈中学生じゃないんだから!〉と、いきなり現れた悪魔にバカにされ、こう囁かれたのである。〈そんなあなたにビッグチャンス〉〈創世記って知ってます?〉 つまり神が1週間で天地を創造した全工程を〈隣で見てたもん〉と言う彼こそ実は、アダムらに禁断の実を食べるよう唆した張本人。楽園を追われた人間は以来争奪を繰り返し、〈いるかいらないか分からないもの〉を際限なく作り始めたのだという。〈だからアタシ提案したんすよ、神さんに〉〈人間が何かを消したら、その代わりにそいつの寿命を1日延ばしてやるって。その権利をもらったんです〉 創世記の逆をゆく1日目、悪魔が選んだのは電話だ。最後に一度だけかけられる電話の相手を携帯に探し、ハッとする。〈僕と関係があったようで、まるで関係がなかった無数の人たち〉〈あまたある番号のなかで記憶している番号などない〉「これは僕も愕然としたんです。携帯一つ落としただけで知人も友人もいないも同然になってしまう自分に。あとは自分の葬式に誰が来て、誰が泣いてくれるのか、とかね。別に泣かなくてもと特に女性は言うけど、やっぱり男って誰かに泣いてほしいんですよ(笑い)。 そうやって自分や大切な人のいない世界を想像すると、本当にやるべきことの優先順位が見えてくるし、これから人生の半分かけて死んでいく僕自身、それを確かめたかった。年齢的にはまだ33ですけど、僕の場合は映画を作る過程でいろんな人生を引き受けちゃった部分があって、『悪人』で言えば祐一や樹木希林さん演じる彼の祖母、深津絵里さん演じるヒロイン光代の、映画に映し出されなかった前後の人生まで自分の中に巣食っている。だから実年齢以上に中身が老けちゃうんだと思います(笑い)」(構成/橋本紀子)※週刊ポスト2012年12月7日号
2012.11.29 16:00
週刊ポスト
金子哲雄氏「癌との戦いは情報戦。いかに良い医者探せるか」
金子哲雄氏「癌との戦いは情報戦。いかに良い医者探せるか」
 10月2日、肺がんの一種である肺カルチノイドのため亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さん(享年41)。女性セブンの隔週連載「『女性セブン』を読めばニッポンと経済が見える」では、9月27日号の「樹木希林 転医治療で『乳がんが消えた!』」という記事を足がかりに最先端医療に言及している。 * * * 9月上旬の男性週刊誌に、作家のなかにし礼さんが陽子線治療によって、がんを克服した記事が載り、話題を呼びました。それからわずか3日後に発売された女性セブンに、この樹木希林さんの記事が載ったわけです。樹木さんも陽子線治療で乳がんを克服していたというレポートでした。 一部の人たちの間に、この医師、この療法なら治る確率が高いという情報が流れ、それをもとに患者が動いていることを、読者に強く印象づけたと思います。 陽子線をはじめとした最先端治療は、場合によっては数百万円という高額の自由診療になります。保険に、がん特約や先端医療特約をオプションでつけても、最先端治療費のすべてをまかなうことはできません。特約を付けているかたは、この点、注意してくださいね。 もうひとつ、この記事は大事なことを示唆しています。樹木さんは鹿児島の民間の病院で治療されました。優秀なドクターは東京だけに集中しているわけではないのです。大病院で優秀な医師が最先端医療によって、標準的治療以外で実績をあげると、周囲から圧力が加わり、独立して開業せざるを得ない。 しかも薬が入手しにくくなるといった妨害を受けるために、首都圏を避けて地方に開業するケースが多いといわれています。がんとの闘いは情報戦になってきました。いかによいドクターを全国から探し出せるかにかかっています。がんに限りませんが、生き残るには情報力が必要な時代です。 情報収集には、もちろんネットを使いますが、ネット上の情報はレストラン情報と同様、玉石混淆です。より信頼できる情報をどう集めるか。最近、週刊誌や夕刊紙がよく取り上げるようになってきた最先端治療情報は要注目だと思います。 やはり、患者の体験談のみならず、お金をかけて客観的に取材している記事は、信用度が違います。※女性セブン2012年10月18日号
2012.10.04 07:00
女性セブン
乳がん患った樹木希林 「がんで死亡が一番いい。用意できる」
乳がん患った樹木希林 「がんで死亡が一番いい。用意できる」
 メスも麻酔も使わない、痛みや熱さなどの苦痛もない、ただ横になっているだけで済んでしまう治療——。その病院では、日本で唯一、そんな最先端のがん治療を行っている。樹木希林(69才)がその治療と出合ったのは、2007年ごろに乳がんが再発したときのこと。その後、放射線のピンポイント照射で、見事がんが消失したというのだ。 2004年の夏の終わりに乳がんが発覚した樹木は、2005年1月に右乳房の全摘出手術を受けた。医師と手術方法について相談した際、部分切除する温存療法にするか、全摘にするか問われ、「先生のやりやすいほうで」と、全摘を選んでいる。 それから2年ほど経った2007年ごろ、同じ場所でがんが再発。全摘後も一部残った乳腺にがんが発生したり、関連部位にがんが転移することもあり、この場合も、乳がんと呼ばれる。 そのため、樹木は、鹿児島県にある『UASオンコロジーセンター』に転医した。鹿児島空港から車で約40分。県内一の繁華街にほど近い場所に立つ6階建てのこぢんまりした建物にある、2006年10月開院の比較的新しい病院だ。「この病院で行っているのは従来X線による放射線の『四次元ピンポイント照射療法』というものです」 と話すのは医療ジャーナリストの田辺功さん。これまでは、病巣に対して四方八方から放射線を立体的にあてる『三次元照射』だった。 その第一人者で、『UAS』のセンター長・植松稔氏が、呼吸によるがんの位置変化を追跡するという時間軸を加えた『四次元ピンポイント照射』の理論を構築した。その植松氏はこんな信念を表明している。「現在、放射線治療は“手術せずにがんを治す”という本来の目的に向かって、大きく変貌を遂げている真っ最中。まだまだ前進の余地があるなか、昨日の標準を明日の理想に掲げている場合ではありません。そして、そのためにも、忘れてならないのは、“医療の真実は、学会場でなく臨床現場にある”ということです。何をしたらどうなったのか、現場での判断が最重要です」 樹木は自分が体験した治療法を周囲に紹介はするものの、決して無理強いはしない。樹木が言う。「それは責任が持てない。要するに個々のがんの質が違うからね。人はがんと向き合って自分を知るということじゃないかと思うんです。それがわからなくては、いっくら良い治療法があっても、それはただただ一過性のものになるだろうと」 現在も『UAS』に定期検診に通っているという樹木。再発した乳がんを四次元ピンポイント照射で消したものの、その2年後、今度は副腎や脊椎に転移が見つかったという。「とりあえずそこ(乳がん)は治療できたけど、私はがんができる体質になっちゃってる。(がんとは)つきあいたくないけど、出てくるものはしょうがないですよね。私の場合、日々の生活の仕方は、がんを受け入れているという形なんですよ。 私の考えでは、がんで死ぬっていちばんいいと思うんです。用意ができるじゃないですか。それぐらいの感じで生きています」(樹木)※女性セブン2012年9月27日号
2012.09.17 16:00
女性セブン
樹木希林 筑紫哲也、ジョー山中に「切らずに消す」がん医紹介
樹木希林 筑紫哲也、ジョー山中に「切らずに消す」がん医紹介
 作家のなかにし礼さん(74才)が、『週刊現代』(講談社刊)で、「がんは完全に消滅しました」と告白した。治療法は、放射線治療の一種で、病巣を狙い撃ちして照射できる先進医療の「陽子線治療」。 27才と54才のときに、心筋梗塞を患っていた、なかにしさんは、心筋の約半分が壊死した状態。自分の心臓では手術に耐えられないだろうし、術後にも大きな影響を来すかもと不安だったため、「切らずに消す」ことにこだわった。「切らずに消す」──実は、なかにしさんより以前に、最先端のがん治療を受けていた女性がいる。女優の樹木希林(69才)だ。 2004年の夏の終わりに乳がんが発覚した樹木は、2005年1月に右乳房の全摘出手術を受けた。医師と手術方法について相談した際、部分切除する温存療法にするか、全摘にするか問われ、「先生のやりやすいほうで」と、全摘を選んでいる。 それから2年ほど経った2007年ごろ、同じ場所でがんが再発。全摘後も一部残った乳腺にがんが発生したり、関連部位にがんが転移することもあり、この場合も、乳がんと呼ばれる。 そのため、樹木は、鹿児島県にある『UASオンコロジーセンター』に転医した。鹿児島空港から車で約40分。県内一の繁華街にほど近い場所に立つ6階建てのこぢんまりした建物にある、2006年10月開院の比較的新しい病院だ。彼女いわく、この病院で再発した乳がんが「切らないで、ピンポイントの放射線治療」を受けた結果、消えたというのだ。 樹木はこの放射線治療を受けた後、全摘手術を受けたことを後悔してか、あるインタビューでこう語っていた。「あれから何年もたった今考えてみると、やはり切らないで、できればピンポイントの放射線治療がいちばんよかったなと思う」 そして、友達や親戚で乳がんになっている人がいたら「まず、ピンポイントの放射線をやってみて、それが駄目ならまたあとのことを考えましょう」とアドバイスするのだという。 実際2011年8月に肺がんで亡くなったジョー山中さん(享年64)は、生前、腫瘍が見つかるや、音楽界の先輩である内田裕也(72才)に打ち明けた。すると妻の樹木が、自分が乳がん治療を受けたという鹿児島の病院を紹介してくれたとインタビューで語っていた。 また2008年11月に亡くなったニュースキャスターの筑紫哲也さん(享年73)が、全身にがんが転移した状態で、最後に頼ったのも鹿児島県内の同じ病院だ。複数の関係者によれば、筑紫さんに紹介したのも、やはり樹木だったという。※女性セブン2012年9月27日号
2012.09.14 07:00
女性セブン
『わが母の記』大ヒットに見る、現代のおばあちゃん像とは!?
『わが母の記』大ヒットに見る、現代のおばあちゃん像とは!?
4月28日に封切られた映画『わが母の記』が好調だ。『わが母の記』は、昭和の文豪・井上靖が68歳のときに出版した自伝的小説が原作。母に捨てられたと思っていた主人公の小説家が母と向き合うなかで、母の本当の気持ちに気づくまでの姿を綴った感動作となっている。この映画の中で最も印象的なのが、樹木希林演じる「おばあちゃん」。ドラマチックな作品であるが、ユーモアもたっぷりで、おばあちゃんの愛らしさが存分に伝わってくるのだ。今回はそんな“素敵なおばあちゃん”に着目。世の中にはさまざまなおばあちゃんがいるので、ツイッターのつぶやきからご紹介する。【B系おばあちゃん】「うちのおばあちゃん(86歳)が最近“カズヒロがやってるみたいなレコードいじくる音楽は調子いいなぁー”っていって、ヒップホップ聴くようになった」【アイドル大好きおばあちゃん】「85才のウメさんっておばあちゃん家に行ったら、嵐がいっぱい壁にいたの。“好きなの?”て聞いたら“大好き。元気だったらライブ行きたいけどねぇ…行けないけど…でも行けんくても、嵐頑張ってるから私もがんばるよ。嫌なことあってもがんばって生きる”って。泣きそうになった。嵐すごい」【ちょいエロおばあちゃん】「昔から優しかった僕のおばあちゃん。無理言って困らせた僕のおばあちゃん。おせち料理を作るのがうまいおばあちゃん。大好きだった僕のおばあちゃん。そんなおばあちゃんの家からBL本が見つかった」ツイッターを確認するだけでも愛らしいおばあちゃんは数多くいるようで、なかでも若者文化に親しんでいるおばあちゃんが結構いたのには驚きだ。地域活性のためにも今後ますます重要になる世代間交流。最初っから「共通の話題がなさそうだし…」と思わずに、ご近所のおばあちゃんに話しかけてみると、意外な反応がかえってくるかも?
2012.05.18 02:55
SUUMOジャーナル
福岡の“女帝” 王貞治やさだまさし、樹木希林らから慕われる
福岡の“女帝” 王貞治やさだまさし、樹木希林らから慕われる
 福岡・中洲一の高級クラブ『ロイヤルボックス』のオーナーママ、藤堂和子さん(66才)。“中洲の女帝”とも称される彼女のもとには、政財界、芸能界をはじめ、内外の名だたるVIPが連日のように訪れる。藤堂さんはいかにいまの地位を築いてきたのか。 和子さんの水商売における礎は伝説のギャング、アル・カポネ時代のアメリカでバーを開店させた祖母・マツさんの時代にまでさかのぼる。和子さんにとって、祖母が人生のお手本なら、日本で店を開いた母のアヤさんはライバルだという。「祖母と私は“出っ張り虫(でしゃばり)”ですが、母は基本的に控えめ。なにもかもが正反対なんです」(和子さん) 母・アヤさんは日本で美容師として働いていたが、やがて酒場に勤め始める。控えめな性格にもかかわらず、エキゾチックな美貌で、たちまち売れっ子となり、自分の店を持った。「高校受験のころ遅くまで勉強していると、酔った母が鮨折りを持って帰ってくるんだけど、酔っぱらって振り回すから、お鮨が隅に寄ってしまうんです。そのたびに、“ああ、きれいに詰まったお鮨が食べたか”と思ったものです(笑い)」(和子さん) 和子さんがお土産として出しているのが赤飯であるもうひとつの理由は、揺すっても隅に寄らないから、と笑いながら明かす。 母のようにはなるまい、と思っていた和子さんは平凡なOLの道を選ぶ。しかし皮肉にも、叔父が趣味で始めたスタンドバー『リンドバーグ』を、義姉のお産のために手伝うことに。「初めは店に出るのがいやでいやで。嫌いな相手だったら話すらしませんでした(笑い)。ところがあるとき、ホステスの先輩から“お客様に好かれて初めて、私らはごはんが食べられるとよ”と叱られて、私の負けず嫌いに火がついたんです。“よし、本気でしゃべって接客してやろうたい”って」(和子さん) 19才という若さと、媚びも物怖じもしない率直な性格。和子さんはたちまちお客の心をつかみ、この仕事は「天職」だと自覚していった。 接客の技術を磨くために、ゲイバーへも通った。「女よりも女らしい“彼女”たちに教わることは多かったですね。“彼女”たちは階段を上がるとき、爪先だけでとんとんと上がるんですが、女っぽいうえにヒップアップ効果があって、すぐにマネしましたね(笑い)」(和子さん) いいな、と思ったことはすぐに取り入れ、がむしゃらに努力を続けた結果、和子さんの常連客はますます増えていった。「私は面食い」という和子さんの恋愛遍歴は華やかだ。最初に結婚を意識したのは、大阪の資産家の息子。だが、彼の姉がいった「嫁になるなら、水商売はやめてもらわな、あかんわ」というひと言が、和子さんを怒らせた。 誇りを持って働いていた和子さんは、「水商売という仕事をきちんと認めてくれる人以外とは、結婚しない」と決心する。「仕事を続けることを許してくれる人と結婚したのは、24才のとき。彼はひとつ年下です。そりゃ、よか男よ。アラン・ドロンと石坂浩二を足して割ったような(笑い)」(和子さん) それからまもなくして『リンドバーグ』のママを任される。生まれた長男は、母に預けて仕事を続けた。「でも、男の人って、生活が落ち着くにつれて“仕事をやめてくれ、暗い家に帰るのはいやだ”といいだす。それならと思って、家を出るとき、電気もエアコンもつけておいたんですけど、そういうことじゃないって(笑い)」(和子さん) 35才のときに離婚。独り身になった和子さんはますます仕事にのめり込んでいった。そして、運命の人であり “人生の恩師”となる男性・磯貝浩さん(享年67)と出会う。写真家であり雑誌などの企画編集に携わる磯貝さんにはすでに家庭があったが、「おれはおまえさんに品物をプレゼントする趣味はない。 でも、おまえさんの知識を増やしてあげることはできるよ。おれが死んだとき、“ガイがいてよかった”と思えるようなことは、なんでもしてやる」といい、銀座をはじめ一流の場所、一流の人を次々と紹介してくれた。 いつしか男と女の関係になり、そして別れを迎えるが、情は切れることなく、遠くから和子さんを見守っていてくれた。 その磯貝さんが亡くなったのは、いまから5年前の夏。突然の訃報に驚いている和子さんに、磯貝夫人はいったそうだ。「密葬ですませましたが、お別れの会には藤堂さんにも来ていただくと、磯貝も喜びます」 この夫人の言葉に、和子さんは同じ女性として“かなわない”と感じたという。同時に、自分が愛した男性の懐の深さを改めて知るのだった。 愛にも、仕事にもありったけの情熱でぶつかった和子さんは、1990年代半ばには、経営難に陥っていたクラブ『ロイヤルボックス』の立て直しという大仕事を任せられる。 180坪もある『ロイヤルボックス』は一時期繁盛していたが、バブルがはじけたころから経営が苦しくなり、借金は約5億円にものぼっていた。しぶしぶこの大役を引き受けた和子さんだったが、またも見事に祖母譲りの気働きで“中洲一のクラブ”に育て上げてしまうのだ。 和子さんは2010年に自伝『中洲通信 親子三代ママ稼業』(河出書房新社)を出版し、東京の帝国ホテルで出版記念パーティーを行った。 その発起人には王貞治(71才)、樹木希林(69才)、三枝成彰(69才)、さだまさし(60才)、手嶋龍一(62才)など78名の名前がずらりと並び、約2300名もの著名人が訪れた。 いったいなぜ、これほど大勢の、しかも成功者と呼ばれる人たちに彼女は慕われるのか。そこを問うと、本人は笑いながら、「私、全然気を使ってないの。頭使ってない。ただのボンクラなの(笑い)」とはぐらかす。 気を使っていることを悟られずに、相手が求めていることを瞬時に判断して、接する。だからこそ、誰もが認める “接客の天才”なのだ。※女性セブン2012年5月24日号
2012.05.15 16:00
女性セブン
内田裕也 タクシーから吉田豪の知人・元モデル人妻をナンパ
内田裕也 タクシーから吉田豪の知人・元モデル人妻をナンパ
 交際女性に復縁を迫って逮捕された内田裕也(71)と、「女性には(事件を)さらしてくれてありがたかったと思ってます」と語った樹木希林(68)。気になるのは、結婚直後から35年にもわたって別居しながら、二人が離婚しない理由である。 1981年には内田裕也が勝手に離婚届を提出し、樹木希林が訴訟を起こして離婚を無効とした「逆離婚訴訟」まで起こしている。今回の会見でも、樹木は「家族構成が変わることは考えられない」と離婚をきっぱり否定している。プロインタビュアーの吉田豪氏は語る。「意地もあるのかもしれないですけど、希林さんは普通の刺激じゃ足りないんですよ。インタビューでも『あのぐらいの人間でないと、たぶん続かなかっただろうと思うの、私の精神状態が』っていってたし」 一方で内田も、自宅が空き巣に遭い、樹木からもらった時計を盗まれた際には、「金なんかどうだっていいからよ。あれ(時計)だけは返せ」と訴えたり、娘婿の本木がお茶のCMに出ていた際には、コンビニでほかのメーカーの棚の前にその商品を並べ替える活動を行なったり、時折「家族愛」が顔を覗かせる。樹木が会見で語った、「純なものがひとかけら見えるから」という言葉は、あながち冗談ではあるまい。 吉田氏がとっておきの内田裕也伝説を明かしてくれた。「僕の知ってる人妻が裕也さんにナンパされたんですよ。モデルをやってた子で美人なんですけど、青山を歩いてたら、裕也さんが声をかけてきて。『彼女、乗ってかない』っていって、声がする方向を見たら、裕也さんで、タクシーに乗ってたんですよね(笑)。自分の車じゃねえんだって。タクシーの相乗りですよ、ただの(笑)。いいですよね、この自由な感じは」※週刊ポスト2011年6月3日号
2011.05.25 07:00
週刊ポスト
何を言っても返り討ち!取材者泣かせの「樹木希林恐怖伝説」
何を言っても返り討ち!取材者泣かせの「樹木希林恐怖伝説」
 交際女性に復縁を迫って逮捕された内田裕也(71)と、「女性には(事件を)さらしてくれてありがたかったと思ってます」と語った妻・樹木希林(68)。二人は35年もの間、別居状態を続けながら、いまだに夫婦関係を続けている。プロインタビュアーの吉田豪氏は、「内田裕也がロックなら、樹木希林はパンクですよ」と評している。 吉田氏は内田裕也にインタビューして以来何度も会い、内田の著書『俺はロッキンローラー』の復刊にも携わっているが、インタビュー嫌いで有名な樹木希林にも4時間半に及ぶインタビューを敢行している(雑誌『hon-nin』vol.8)。 樹木は写真撮影しながら開口一番、「私、寄りの写真って大っ嫌いなの」。吉田氏が「希林さんは、思わず近寄りたくなるタイプってことなんじゃないですかね」とフォローするも、「冗談で言ってるんじゃなくて、私は本気で言ってるんだからさ。誰に対してもそうしてるじゃない!」と返り討ちに遭う。吉田氏はこのインタビューを、「今までで一番怖かった」と語る。「途中で『いまのところ過去に話してないことなんて出てきてないわよ』って追い込まれて。共演者がいう『希林さんに泣かされた』って話は嘘じゃなかったって。希林さん、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で日本アカデミー賞主演女優賞をとったあとだったんですけど、僕もエキストラで作品に出てたんですよ。その話をしたら、希林さんは作品の出来に不満で、監督に『あのね、どこかであんたが刺されて死んでたら、犯人は私だから』と殺人予告までしてたっていう(笑)」(吉田氏)※週刊ポスト2011年6月3日号
2011.05.24 07:00
週刊ポスト
樹木希林は“宗教者” 離婚せぬのは堕ちた内田裕也救うため
樹木希林は“宗教者” 離婚せぬのは堕ちた内田裕也救うため
5月12日、交際していた女性会社員(50)宅への住居侵入と強要未遂の容疑で逮捕された内田裕也容疑者(71)。記者会見で、夫の逮捕を「ありがたい」といい切った妻・樹木希林(68)は、その3日後、本誌記者に、改めてこう繰り返した。「離婚はしないつもりです」「離婚に応じぬ選択」は、樹木の本来の性格だけでなく、何より樹木自身の変化にあるというのは、樹木の知人だ。「希林さんは、ある意味宗教者になったんです。もともと密教の研究をしていたそうです。出家とかはしないようですが、“宗教者として生きていく”と話してくれたことがあります」それは、どういう生き方なのか?「裕也さんは、希林さんにとって“墜ちた人”つまり、救わなければいけない存在なんです。彼の人生を全うさせてあげたいと考えている。だから、希林さんはどんなことがあっても、裕也さんと離れることはない。浮気されたら別れる人が多いけれど、一緒に住まなくても浮気されても夫婦なんだという考えなんでしょう」(前出・知人)※女性セブン2011年6月2日号
2011.05.23 07:00
女性セブン
暴れる内田裕也に本木雅弘タックル、希林鉄パイプでボコボコ
暴れる内田裕也に本木雅弘タックル、希林鉄パイプでボコボコ
 住居侵入と強要未遂の容疑で警視庁原宿署に逮捕された内田裕也容疑者(71)だが、妻・樹木希林(68)はそれでもなお「離婚しない」と宣言。なんとも奇妙なふたりの関係だが、長女・也哉子(35)夫婦を巻き込んでのこんなエピソードも。 1995年には、也哉子のもとに本木雅弘(45)が婿入りした。樹木が本木に「内田の姓を残したいから」と頼み込んだ末のことだった。やがて2人の孫が生まれると、樹木と本木は都内に3階建ての二世帯住宅を新築。樹木は娘夫婦との新しい生活を始めた。同居の理由について、芸能関係者はいう。「“年齢の幅の広い家族は子供にいい影響を与えるから、一緒に住まない?”と樹木さんが本木さんに提案したんです」 内田が、その新居の平和を乱したことがあった。一等地に豪華な二世帯住宅を建てたことに腹を立てたのか、内田が真夜中にやって来ては家の外で「ファックユー、おれはどうなるんだあ!」と大声で叫び続けたという。そのたびに本木が近所に「申し訳ございません」と頭を下げて歩いた。小さい子供たちは祖父の“襲来”に怯え、寝られなくなってしまったという。 そしてついに、内田と樹木が激突する。ある夜、内田が再び新居に“襲来”。これに樹木と本木はふたりで応戦した。内田と樹木双方にインタビューしたことのあるジャーナリスト・吉田豪氏が、このときの状況を説明する。「希林さんの“やっちまえ”の声に、本木さんがタックル。押さえこまれた裕也さんに、希林さんは鉄パイプで殴りかかって、ボコボコにしたそうです」※女性セブン2011年6月2日号
2011.05.20 16:00
女性セブン
樹木希林 DV夫・内田裕也に黒電話受話器で殴って応戦の過去
樹木希林 DV夫・内田裕也に黒電話受話器で殴って応戦の過去
5月12日、ロックミュージシャンの内田裕也(71)が、交際していた女性会社員(50)宅への住居侵入と強要未遂の容疑で警視庁原宿署に逮捕された。女性は、今年3月ごろから「暴力を受ける」とたびたび警察に相談していた。内田のDVは、いまに始まったことではない。妻・樹木希林(68)は、新婚当時のことを内田の逮捕後に開いた会見で「暴力が毎晩でしたからね。(中略)近所の金物屋に包丁をどのくらい買いに行ったかわからない」と語っている。芸能関係者はこう話す。「樹木さんはいきなり頬を平手打ちされることもよくあったようです。何がきっかけで内田さんが怒るのかわからないから、常にケンカが絶えなかった。ひどいときは、樹木さんの肋骨にひびがはいって、病院通いを余儀なくされたこともあったようです」やりたい放題の内田に対して、樹木も負けじとやり返す。当時普通だった大きくて重たい黒電話の受話器で殴って、内田と“流血戦”になったこともあった。「当時の樹木さんは、何があっても別れないというような人ではありませんでした。常に離婚届を持ち歩いていて、“彼が別れようというなら、私はいつでも別れてやるんだけど”なんていっていましたから」(テレビ関係者)結局、内田の暴力が原因で、わずか1年半で別居することに。別居後、内田は浮気を繰り返し、「離婚危機」が幾度となく報じられた。そんな最中の1976年2月、樹木は長女・也哉子(35)を出産。月に1回程度しか会わない関係だったため、内田は「本当にオレの子か?」と聞いたという。※女性セブン2011年6月2日号
2011.05.20 07:00
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小島瑠璃子が中国留学を発表 語学レベルは「北京・清華大学も射程圏内」の驚異
NEWSポストセブン
姉妹でCMギャラに差も?(左から広瀬アリス、広瀬すず/時事通信フォト)
広瀬アリス・すず、上白石萌音・萌歌 妹のほうが“CMギャラが高い”理由
週刊ポスト
幹部補佐になっていた
「好きで好きで仕方なかったから」刺されたホスト、歌舞伎町で「幹部補佐」に昇進していた
NEWSポストセブン
引き続きエンゼルスの赤いユニフォームを着ることになった大谷翔平(写真=SipaUSA/時事)
大谷翔平、エンゼルス残留は最善の選択か「二刀流で毎日出場できる」プラス面
週刊ポスト
宮崎あおい、5年ぶりの映画復帰 目玉は過去作で「足蹴」「罵倒」の佐藤浩市との共演
宮崎あおい、5年ぶりの映画復帰 目玉は過去作で「足蹴」「罵倒」の佐藤浩市との共演
女性セブン
和久田麻由子アナ(左)の15人目の候補は岡山放送局の松本真季アナ(右写真はNHK岡山の公式ツイッターより)
NHK“ポスト和久田アナ”、15人目の候補は入局2年目「筋金入りのリケジョ」
週刊ポスト
風吹ジュンが父を亡くしていた
風吹ジュン、父と53年ぶりの再会で心境に変化 “父を奪った女性”に感謝の心意気
女性セブン
松本若菜の姿を目撃
ブレイク女優の松本若菜「圧倒的美スタイル」と「意外な私服」に六本木が揺れた夜
NEWSポストセブン
中林大樹の姿を目撃
竹内結子さん三回忌 中林大樹が子供のために決断、家族3人新生活は「海辺の街」で
女性セブン
結婚会見で指輪と元夫との写真を見せる小倉(2011年10月7日)
離婚した小倉優子 1人目の夫による「夜の生活」暴露の余波で「新たなファン層の獲得」
NEWSポストセブン
長沢麗奈容疑者(21)
厚木・2児熱中症死 男の家に行っていた21歳女の車は「後部座席なし」の借り物、「鉄板のように熱くなる荷台」新証言
NEWSポストセブン
松田聖子を目撃
松田聖子、沙也加さんの初盆に“もう1つの遺言”と「新しいお墓」への願い
女性セブン