田中邦衛一覧

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高倉健さん、田中邦衛さんを偲ぶ北海道の“聖地” 利用者増加見込めず廃線に
高倉健さん、田中邦衛さんを偲ぶ北海道の“聖地” 利用者増加見込めず廃線に
 果てしなく続く大草原の真ん中を、単線の線路がまっすぐ延びる。その上を、電車が滑るように走っている。季節が変わり、一面の雪景色。白銀の世界を割るように進む車両は、1両編成とは思えないほどパワフルだ。北海道の大自然とのコントラストがまぶしいJR北海道の根室線。1月28日、同路線の富良野〜新得間の存続を断念し、バス転換の議論が進められることになった。「区間の一部は2016年8月の台風被害で長らく不通の状態でした。利用人数の減少から赤字が重なっており、今後利用者の増加も見込めず、廃線がほぼ決まった状態です」(地元役場関係者) 廃線区間内には「幾寅」という駅がある。北海道になじみのない人にとっては「幌舞」と言った方が伝わるかもしれない。高倉健さん(享年83)主演の映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年公開)の舞台となった“聖地”だ。 高倉さん演じる退職間際の駅員・佐藤乙松の前に、人形を抱えた少女が現れ、駅員人生の最後が鮮やかに彩られる。直木賞を受賞した浅田次郎氏の同名小説が原作で、日本アカデミー賞の主要部門を総なめにした。当時、現地の婦人会が撮影のサポートにあたった。婦人会会長の後藤治子さんが振り返る。「撮影が遅くまでかかることもあって、そんなときにはこの地域の家庭料理である『いも団子』を差し入れました。健さんは、無塩バターをのせるのがお気に入り。味付けの加減を間違えて、“ちょっとしょっぱいよ”って言われてしまったこともありました(笑い)」 ベテランの映画関係者が明かす。「健さんにとって『鉄道員』は、19年ぶりの古巣・東映復帰作。スタッフもこの作品のために再結集しました。極寒の撮影で、スタッフみんなでストーブにあたっていても、健さんだけは仁王立ちで“毎日スクワットしているから大丈夫”って笑っていたこともありました。 健さん自身、思い入れは強かった。めったに打ち上げに来ない健さんが、このときばかりは都合をつけて参加してくれました」『鉄道員』の秘話には事欠かない根室線だが、別の有名作品でも名場面を生んだ。廃線区間内の「布部」は、ドラマ『北の国から』の第1話で、田中邦衛さん(享年88)演じる黒板五郎が降り立った駅でもあるのだ。JR北海道に聞くと「その区間の駅舎は保存するか、取り壊すかは未定です」という。映像作品の撮影支援を行う『ジャパン・フィルムコミッション』事務局長の関根留理子さんが話す。「ロケ地はファンの聖地巡礼などで地域活性化にも貢献してきました。大自然に囲まれた鉄道の駅というロケーションは、どこにでもあるわけではなく、貴重です。もしなくなってしまったら残念でなりません」 それでも、“乙松さん”と“五郎”の白銀の思い出は色あせない。※女性セブン2022年2月17・24日号
2022.02.05 07:00
女性セブン
田中邦衛
追悼2021・男性編【1】 田中邦衛さん、田村正和さんなど忘れられない人たち
 この国がまだ若々しかった時代から、芸と技で私たちを元気づけてくれた。今なお輝きを放ち続ける男たちを、けっして忘れることはない。2021年にこの世を去った、芸能界やスポーツ界で活躍した人々を振り返る。●栃ノ海晃嘉さん 横綱 1月29日死去 享年82 177センチ、110キロの小兵力士ながらも大鵬、柏戸に次ぐ第49代横綱に。昭和39年の夏場所では、千秋楽に大鵬を下手投げで破って3回目の優勝。“魅せる力士”で技能賞を6回獲得した。●古賀稔彦さん 柔道家 3月24日死去 享年53“平成の三四郎”の異名を取った。1992年のバルセロナ五輪では、大会直前に吉田秀彦との練習中に左ヒザを負傷。出場を危ぶまれたが、71キロ級で金メダル獲得。日本中の涙を誘った。●田中邦衛さん 俳優 3月24日死去 享年88 映画『若大将』シリーズで加山雄三のライバル・青大将を演じて脚光を浴び、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)では寡黙で不器用な黒板五郎役が評判を呼んだ。紫綬褒章、旭日小綬章受章。「邦さんは日本の父親像の典型でしょう。そもそも、とても家族を大切にしていた人なんです。どこか懐かしみのある、人懐っこいところは『北の国から』の黒板五郎そのもの。4年ほど前にお宅に遊びに行った時、中原中也の詩を2編ほど読んでくれたんです。『頭の体操に、読んでいるんだ』とのことでしたが、その様子は、まさに五郎さんでした」演出家・杉田成道氏)●田村正和さん 俳優 4月3日死去 享年77 阪東妻三郎を父に持つ名優。1961年に映画『永遠の人』でデビュー。1970年代に『眠狂四郎』、1980年代に『うちの子にかぎって…』(TBS系)、1990年代に『古畑任三郎』(フジテレビ系)と年代ごとに代表作を生んだ。「今思うのは『兄貴、早すぎるよ』ということです。正和兄貴は完璧主義の俳優でした。台詞を覚える集中力もすごいし、役に自分を合わせるのではなく、役を自分に引っ張ってくるというような、希有な役作りをしていました。でも、共演したドラマ『乾いて候』(1984年)の時は睨み合う場面があって、兄弟で『照れくさいな』と笑い合ったのを覚えています」(俳優・田村亮)●チャーリー浜さん お笑いタレント 4月18日死去 享年78「~じゃあーりませんか」のギャグで1991年に「新語・流行語大賞」年間大賞を受賞。ほかに「ごめんくさい」「君たちがいて僕がいる」「あのさ、僕さ、どっこいさ」などのフレーズが人気を呼んだ。●神田川敏郎さん 料理研究家 4月25日死去 享年81 中学卒業後、老舗料亭「なだ万」などで修業し、1965年に大阪・北新地で「神田川」を開店。素材やジャンルに捉われない“新日本料理”を提唱し、『料理の鉄人』などテレビにも引っ張りだこだった。●小林亜星さん 作曲家 5月30日死去 享年88 レナウンや日立グループのCMソング、『狼少年ケン』『怪物くん』『魔法使いサリー』『キックの鬼』のアニメソング、西武ライオンズ球団歌から都はるみ『北の宿から』などの名曲を生み出した。●寺内タケシさん ギタリスト 6月18日死去 享年82 卓越した技術で“エレキギターの神様”と呼ばれた。「エレキを弾くと不良になる」という風評に反発し、1974年から42年間にわたって全国1500か所以上の高校でコンサートを開催。2008年緑綬褒章受章。●千葉真一さん 俳優 8月19日死去 享年82 スタントマンを使わないアクションスターとして、ドラマ『キイハンター』(TBS系)や映画『戦国自衛隊』などに出演。1970年「ジャパン・アクション・クラブ」を設立し、真田広之らを輩出した。「3か月前に「北海道で映画を撮る目処が立った」と電話で話したばかりです。自分の肉体は美しくなければならないという哲学をお持ちで、いつか母校の日体大にアクションスターを育成する学科を作ってほしいとおっしゃっていました。たくさんの夢を持ち、追い続けられる人だったからこそ、いつまでも若さを保っておられた。本当に残念です」(松浪健四郎・日本体育大学理事長)●すぎやまこういちさん 作曲家 9月30日死去 享年90 フジテレビで『新春かくし芸大会』などを制作する一方、作曲活動を開始。『恋のフーガ』『学生街の喫茶店』などのヒット曲をリリース、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズでは500曲以上を創作した。●柳家小三治さん 落語家 10月7日死去 享年81 1969年に異例の17人抜きで真打ちに昇進。絶妙な人物描写で『小言念仏』『長屋の花見』などの滑稽ばなしを得意とし、2014年には5代目柳家小さん、桂米朝に次いで落語家3人目の人間国宝に。●古葉竹識さん 元プロ野球選手、監督 11月12日死去 享年85 現役時代、広島で盗塁王を2度、オールスターMVPを2度獲得。1975年、シーズン途中で広島カープの監督に就任。11年間でリーグ優勝4回、日本一には3回輝いた。「入団2年目に両打ちへの転向を古葉さんに進言され、野球人生が開けました。盗塁は自由に任され、失敗しても怒られないのですが、走らないと檄を飛ばされました。優しい顔のまま蹴られる時もありましたが、愛情を感じました。古葉さんが東京国際大学の監督になられた時、自ら車を運転して校内を案内していただきました。もっと野球の話を聞きたかったです」(野球解説者・山崎隆造氏)●中村吉右衛門さん 歌舞伎俳優 11月28日死去 享年77 絶妙な台詞回しと表現力で2011年に人間国宝、2017年に文化功労者に選出された。時代劇『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役でもお馴染み。1948年に初舞台を踏み、最後の舞台は2021年3月だった。※週刊ポスト2021年12月24日号
2021.12.17 19:00
週刊ポスト
田中邦衛
田中邦衛さん、共演者が語る秘話「クニさんのいる現場は笑いが絶えなかった」
 2021年はテレビで、本で、歌で……私たちを励まし楽しませてくれた著名人の訃報が相次いだ。人々に勇気や笑顔、そして、幸せを届けた彼らは、どんな言葉を残したのか。在りし日をよく知る人に、思い出に残る秘話を語ってもらった。 代表作『北の国から』(フジテレビ系・1981年~)で、故・田中邦衛さん演じる黒板五郎と恋仲になるホステス・こごみを演じた児島美ゆき(69才)。田中さんとは、「クニさん」「美ゆき」と呼び合う仲だった。「クニさんのいる現場は笑いが絶えなかったですね。映画『トラック野郎 一番星北へ帰る』(1978年)で、初めて共演しましたが、きちんとお話をするようになったのは、『北の国から』の頃。 ロケ現場では、ドラム缶で焚いた火で暖を取りながら、いつもスタッフと冗談を言って、ニコニコとされていましたね。 私にもテレビで見るのと同じ調子で、『おーい、美ゆき~』と朗らかに声をかけてくれて。 ロケ地の富良野では、五郎さんの格好のまま、ふらっと町に出かけては、『どこかのお店に(被っていた)ニット帽を忘れてきた~』なんて、茶目っ気たっぷりに言って、スタッフをハラハラさせたこともありました。 第一線で活躍されていても威張ることなく、誰にでも分け隔てなく気配りできるかた。スタッフの結婚式にも出席されていたようです」(児島・以下同) 児島は田中さんの人柄を語る上で忘れられないエピソードがあるという。「これは『北の国から』にも出演していた女優の友人から聞いた話ですが、スナックのママ役を演じていた彼女は、現場で何度も監督からせりふのダメ出しをされていました。何十回もせりふを言い直して、すっかり自信をなくしていたときに、クニさんは、彼女の背中をポンポンと叩きながら、『おーい、元気出せよ。大丈夫だよ、大丈夫だよ。監督もあんなふうな言い方をしてるけど、いいんだよ、気にするなよ』と声をかけてくれたそうです。その話を聞いて、その言葉に私も救われたような気持ちになって、思わず涙が出ました」 脚本家の倉本聰さん(86才)も田中さんには絶大な信頼を寄せていたという。「五郎さん役は、クニさんのほかに、4人ほどの候補がいたそうですが、倉本先生はクニさんでなければ『北の国から』はなかった、といつもおっしゃっていました。クニさんが施設に入られてから、一度、倉本先生はお見舞いに行かれて、そのときも、『クニさんはおれのことはわかってくれたんだよ』と、喜んでいたと聞きました。 クニさんのことを悪く言う人は本当に誰もいません。褒め殺しみたいで、悪口の一つや二つも言いたいのに(笑い)。優しくしていただいた思い出しかない。あんなに共演者からもスタッフからも愛された人は、なかなかいらっしゃいませんね」【プロフィール】 児島美ゆき/2019年『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)に出演のほか、歌手としても活躍。※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.17 16:00
女性セブン
小さな家族の大きな愛の物語だった(FODホームページより)
『北の国から』放送開始から40年 当時、なぜ視聴者は魅了されたのか
 ドラマ『北の国から』(フジテレビ系。原作・脚本は倉本聰)が放送開始40周年を迎えた。1981年10月から半年にわたってオンエアされた連続ドラマは全話平均視聴率14.8%、終盤になって数字が上がっていき、最終回は21.0%だった。今年3月に88歳で逝去した田中邦衛さん演じる黒板五郎と幼い子供の純(吉岡秀隆)、螢(中嶋朋子)が、北海道の富良野という大自然の中で生活し、さまざまな出来事に心が揺れる様を描いた。小さな家族の大きな愛の物語だ。 1983年からは断続的にスペシャル版が放送され、それは純と螢の成長物語でもあった。『’83冬』から『2002遺言』まで全てが20%超え。特に最終作の『2002遺言 前編』は38.4%を記録した(後編は33.6%)。前編の視聴率は、この年の視聴率ランキングで、サッカーの日韓W杯とNHK紅白歌合戦に次ぐ数字となった。『北の国から』は、なぜここまで視聴者を惹きつけることができたのか。芸能記者が話す。「高度経済成長も終わり、1980年代後半から日本はバブル景気に沸いた。豊かな時代が訪れ、消費が美徳とされた。そんな時に、『北の国から』は日本人が忘れかけた古き良き精神を訴えていた。連ドラの時には、五郎が『じゅうぶん使えるのに新しいものが出ると――、流行におくれると捨ててしまうから』『もしもどうしても欲しいもンがあったら――自分で工夫してつくっていくンです。つくるのがどうしても面倒くさかったら、それはたいして欲しくないってことです』など現代へのアンチテーゼとも捉えられる名言を残しています」(以下同) 1980年代後半から1990年代前半にかけて、テレビでは『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)などのトレンディードラマが流行。20代の恋愛模様を中心に描かれるドラマが少なくなかった。「『北の国から』も純や螢の恋愛を描いていますが、根底には黒板一家の関係性をテーマにしていた。登場人物に多様性があるし、老若男女の視聴者が誰かに感情移入できる。そのため、幅広い世代にファンが生まれたのだと思います」 駆け落ちや不倫、人に知られたくない過去を持つなど、新作ごとに重いテーマがあった。「黒板五郎が妻の令子(いしだあゆみ)に不倫されて別れるところから連続ドラマが始まったし、『’98時代』では螢が不倫相手の子供を妊娠している。ドラマとはいえ、ハードな内容でした。人は誰でも間違いや矛盾を抱えているし、何があっても生きていかなければならない。だから、他人を許す心も大事だと脚本家の倉本聰さんは訴えたかったのかもしれません」『’98時代』で黒板五郎はこう言っていた。「悪口ってやつはな、いわれているほうがずっと楽なもンだ。いってる人間のほうが傷つく。被害者と加害者と比較したらな、被害者でいるほうがずっと気楽だ。加害者になったらしんどいもンだ。だから悪口はいわンほうがいい」 放送開始から40年経った今でも、色褪せないドラマとなっている。
2021.10.10 16:00
NEWSポストセブン
「屈辱がエネルギーだ」の真意とは
永島敏行 高倉健さんからの「屈辱がエネルギーだ」の言葉に受けた感銘
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の永島敏行に、高倉健さん、田中邦衛さんと共演した思い出について語った言葉を紹介する。 * * * 永島敏行は若手時代に高倉健と映画で二度共演しており、『動乱』(一九八〇年)では部下役、『駅 STATION』(八一年)では弟役を演じている。「高倉健さんと仕事できるなんて夢にも思いませんでした。 非常に優しいんです。 寡黙な人のイメージがあるかもしれませんが、普段はよく冗談を言って。僕が緊張しないようにフランクに接してくれました。 健さんは小林稔侍さんを可愛がっておられたので、稔侍さんも僕が緊張していると話をしてくれたりしましたね。健さんが気にかけている人の世話を稔侍さんがする、という感じでした。 これは『駅』に出た後だと思うんですが、僕の誕生日なのでマネージャーと二人でスナックで飲んでいたんです。そしたら、店に健さんから電話がかかってきた。どうしてここにいることが分かったんだろうと思っていると、『今から行くから』と。 ここに健さんが来られても大変なことになりますので、マネージャーと二人で道路に出て待っていたら車でやってきて『誕生日おめでとう』って、ロレックスの時計をいただいたんです。 健さんからは『屈辱がエネルギーだ』というお話を伺いました。失敗とかダメだったこととか、そうした恥を自分の中に溜め込んで、人は変わっていける──ということなんです。 僕も最初は失敗ばかりでしたから、それはよく分かります。恥をかいたから前に進めたんだと思います。この仕事は恥をかくことです。それが全て表現に変わっていく。 いわば、失敗してお金がもらえるわけです。なかなかこんないい仕事はないと思います」『駅 STATION』では田中邦衛とも共演している。「『若大将』シリーズを僕は全部観てるんです。その青大将と仕事できるなんて、こんな幸せなことはないと思いました。 邦衛さんは父親と同い年でした。終戦の時に十三歳なんですよね。一番の思春期の特に、あの八月十五日をもって世の中が全く変わってしまった。だから自分が何を信じればいいのか─ということを、いろんな時に話してくれるんです。 戦争という時代を過ごした方々、戦争に行っていなくても、その時に青春時代を過ごした人たちの想いを聞くことができました。それは、菅原文太さんもそうです。 戦争って、経験しない方がいいのは当たり前なんですが、ただ、物凄い時代を経てきた人たちの言葉──言うせりふの一つ一つが、その人が人生で何を経験してきたのかで響きが全然違う。それを間近で見て経験させていただきました。それは非常に嬉しいことでした。 小津安二郎監督の映画を観ていても思います。 笠智衆さんにしても、加東大介さんにしても、なんであんなに重みが違うのか。それは、あの時代を経験してきた人だからこその、内面から出てくる言葉なんだと感じました。 そういう意味で、この連載のタイトルの通りで『役者は言葉』なんだと思います」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.08.31 16:00
週刊ポスト
田中邦衛さんの印象的な言葉を振り返る
田中邦衛さんの脇役魂「つまんない役に光をあててヴィヴィッドに」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、2021年3月に亡くなった俳優・田中邦衛さんの過去インタビューから、脇役について語った言葉を紹介する。 * * * 田中邦衛が亡くなった。 役ではなく自分自身として人前に出て話すことを苦手としてきた俳優だったので、残念ながら彼が残した「役者としての言葉」はそのキャリアの長さや演じてきた役の幅の広さに比べて少ない。 ただ、ありがたいことに「ムービー・マガジン 第十三号」(一九七七年、ムービー・マガジン社刊)にて高平哲郎がロングインタビューをしており、独特のとつとつとした語り口を見事に文字として再現しつつ、田中邦衛の役者としてのスタンスについて、かなり詳しくうかがい知ることができる。そこで今回はその中から、いくつか印象的な言葉を紹介していきたい。 なぜ俳優になったのか。これは本連載で筆者も俳優たちに必ず最初に聞いているのだが、高平哲郎も田中邦衛にその質問をぶつけている。が、高平は何度も聞いているにもかかわらず「その質問に明確な答えをひとつも出してくれていない」と振り返るような状況だった。 一方で、役作りの話になると「俺、そう聞かれると困っちゃうんですね」と前置きしながらも確たる言葉で語っている。「役に入っていく場合、抵抗してやってくほうがいいですね。思い悩んで……。そういうほうが、集中を必要とするでしょ。特に細かくデータを調べたり。“読み”が勝負って感じしますね。 やっぱり優秀な人は、役になりきれるんでしょうね。こっちは集中してないから、なりきるっていったって、どっかで醒めた目があったりしてね。同じ殺人犯の役でも、その人物の深みにどうやって入っていくかというのが個人的な作業ですからね。人物だって文学書を抜けだしたみたいな人で深みのない人だっている。もっと役もらって入っていくとき震えるくらい感動してやっていきたいね」 どちらかというと田中自身も「なりきれる」タイプの俳優だと思っていただけに、「醒めた目」を持って細かく調べたりしながら役に入っていく──というのは意外だった。さて、この時期の田中邦衛が演じる役柄は専ら脇役。そこも、自身を醒めて見つめる言葉で語っている。「ぼく自身に限れば、やっぱり脇役って感じしますね。主役というのはパワーというか持続力というか、人物の大きさって気がします。健さんなんか、“大きさ”あるもんね……。主役を喰うってことより、まず役の深みを、まず考えればいいし、二、三回深くやる……。よくわかんないけど、ただムキ、不ムキから言うと、やっぱり脇だという……」 ここでも田中は、自分自身を客観的に捉え、引いた視点から語っていることに気づかされる。そして、こう続けている。「つまんない役に光をあてて、ヴィヴィッドにできたらなって思いますね。台本屋(ほんや)も監督も予想できないような役ができたらな──と、結局、すぐれた脇役ってそうするんじゃないですか」 そんな田中は後年テレビドラマ『北の国から』の主役を長きにわたり演じることになる。彼はどんな想いで臨んでいたのだろう。聞いてみたかった──。【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号
2021.07.21 16:00
週刊ポスト
岩城滉一が明かす「田中邦衛さんとの最後の日」と「北海道移住計画」
岩城滉一が明かす「田中邦衛さんとの最後の日」と「北海道移住計画」
 今年3月、日本中が悲しみに暮れた田中邦衛さん(享年88)の訃報。田中さんの代表作といえば1981年から2002年まで放送された『北の国から』(フジテレビ系)だが、同作でまっすぐに生きる農家の青年・草太を演じたのが岩城滉一(70才)だ。 家族同然の関係だった田中さんと岩城が最後に会ったのは、同じく『北の国から』で共演し2012年に亡くなった地井武男さん(享年70)のお別れの会。『北の国から』のほぼすべてのキャストが駆けつけた。そのときすでに岩城は田中さんの様子に異変を感じていた。「もうずいぶん体調を崩していて、歩くのも危なっかしかった。それで『邦さん、大丈夫?』って声をかけたんです。邦さんは、僕の顔をじっと見つめたけれど、名前が出てこないようだった。だから、ふと思いついて『あんちゃんだよ。草太だよ。そ・う・た!』って言ったら、『おおー』って笑ってくれたんです。あの邦さん独特の曲がった口でね」 病魔に襲われていた田中さんだが、「草太」の名前だけは忘れるはずはなかった。その後、悪化する田中さんの体調について人づてに聞くことはあった。しかし、そっとしておいてほしいとの田中さんの家族の意向を受け止め、見舞いに行くことはなかった。 そして今年3月に田中さんが逝去すると、岩城は追悼コメントを発表した。「あとから『コメントが短い』と言われたけど、本当に言葉がなかったんです。それでも何か言わなきゃと言葉を絞り出したけど……邦さんと地井兄ぃと僕はちょうど年齢が10才ずつくらい違うんだけど、2人ともいなくなってしまった。家族以上に一緒にいた関係だったから、本当に寂しくて。もっといろいろと話がしたかったですね」 そう静かに語る岩城はいま、お世話になった北海道への移住を計画している。「いまでも毎年、ツーリングで北海道を訪れているんです。その中で出会ったのが、摩周湖の近くにある弟子屈という町。来年から夏と冬に1か月くらいずつ、“移住”する予定です。短い人生だし、『北海道に恩返ししたい』じゃあないけど、北海道で何かできたら、という気持ちがあります」 秋には第1話放送から40周年を記念するイベントも企画されている。もちろん、40周年のイベントにも参加するつもりだ。「まだ具体的な話は来ていないけど、呼んでもらえたらぜひ出席したい。僕にとっては宝物の作品ですし、みんなで邦さんの思い出を語り合いたいですね」 秋の“同窓会”は、大切な記憶を受け継ぐための集いになりそうだ。※女性セブン2021年7月1・8日号
2021.06.22 07:00
女性セブン
岩城滉一が語る田中邦衛さんの思い出「本当に家族として接してくれた」
岩城滉一が語る田中邦衛さんの思い出「本当に家族として接してくれた」
 今年3月に亡くなった田中邦衛さん(享年88)の代表作といえば、ドラマシリーズ『北の国から』(フジテレビ系)だろう。離婚を機に東京から故郷の富良野に戻ってきた黒板五郎(田中さん)と、幼い子供、純と螢。電気や水道も開通していない廃屋同然の家での生活と、時に大自然に泣かされ、地元住民に助けられながら成長する親子の姿は大きな感動を呼んだ。 2002年の『北の国から 2002遺言』を最後に放送が終了してまもなく20年。「あのドラマは僕の人生の一部。これまででいちばん思い出深い仕事です」 出演者の1人である岩城滉一(70才)はこう語る。 岩城が演じた北村草太は、純と螢の兄のような存在だった。バイクとボクシングが趣味で荒っぽいが、真っすぐに生きる農家の青年・草太は黒板家の面々とともに喜び、怒り、笑い、涙した。草太と自分を重ね合わせるかのように岩城が振り返る。「『北の国から』は地方から東京にメッセージを送った最初の作品です。自分にとっても初めて演技が面白いと思えたドラマで、熱意をもって演じることができました。 撮影の空き時間は、富良野の町で自由に過ごしていたのですが、僕のことを『岩城さん』と呼ぶ人は誰もいなかった。町でパチンコをしていると周りから『草ちゃん、草ちゃん』と役名で声をかけられました(笑い)。いまでも富良野を訪れると、当時から通っているラーメン店に『元気?』と言いながら顔を出してしまいます。もしつぶれていたら寂しいな、と思いながら訪ねて行って、あるとホッとしたりね。もう、第二の故郷です」 長期にわたって出演者と過ごすなか、いまも忘れられないのが田中さんとの交流だ。「僕はあまり芸能界の人とのおつきあいがないけど、邦さん(田中さん)は別。特別な“友人”でした。 邦さんはビックリするくらい真面目な人でしたよ。プライベートでもよく富良野を訪れていて、『こないだ行ったらあそこに柵ができていたぞ』などと、報告してくれました。ロケ地に建てられた見学施設の『五郎の家』の中に、ファンがメッセージを残す帳面があるんですが、邦さんは『岩城、帳面の数が普通じゃねえんだよ。4畳半の部屋いっぱいに置いてあるんだ。ありがたいねえ』と感謝していた。僕もそれを聞いて、富良野まで帳面を見に行きました」(岩城・以下同) ドラマが始まった頃、岩城の娘はまだ小学生。撮影のため長い間、父親に会えなくて寂しがっていることを知った田中さんは、岩城にこう声をかけた。「俺たちが面倒を見るから、富良野に呼んだらどうだ」 岩城が草太のような笑顔で振り返る。「それで娘を富良野に呼んだら、僕が撮影している間、邦さんと地井兄ぃが一日中プールで遊んでくれました。彼らにとってせっかくの休みなのに、目を離さずに面倒を見てくれて。その姿を見て、“本当に家族として接してくれているんだな”と思いました。でも、あまりに長い間プールにいて冷えたのか、娘の唇が紫色になってしまって。最後に『邦さん、いつまで泳いでるのよ!』と注意しましたけど(苦笑)」 第1話が放送された10月9日の前後には、40周年記念イベントが企画されており、岩城も参加するつもりだという。秋の“同窓会”は素敵な思い出を再確認する場になりそうだ。※女性セブン2021年7月1・8日号
2021.06.21 07:00
女性セブン
田中邦衛さんの悲願だった『北の国から』40周年“同窓会”富良野で開催
田中邦衛さんの悲願だった『北の国から』40周年“同窓会”富良野で開催
 往年のファンにはうれしい知らせが飛び込んできた。1981年の放送開始後、北海道を訪れる人が急増するなど、社会現象にもなったテレビドラマ『北の国から』(1981~2002年、フジテレビ系)。放送開始から40年を迎える今年、物語の舞台となった北海道富良野市では、さまざまな記念行事が開催される。「第1話が放送された10月9日の前後に、40周年記念の“同窓会”を企画しています。ファンを集めて行う公開イベントで、当時のキャストも登壇する予定です」(ふらの観光協会の広報担当者) 記念商品の発売やスタンプラリー、ロケ地を巡るツアーなどが計画されているが、目玉となるのは、ファンを集めてのイベントだ。 2011年の30周年記念イベントには、中嶋朋子(50才)や竹下景子(67才)が登壇しており、今回も主要キャストの参加が期待されている。そんな節目を前に訃報が届いたのは今年3月。ドラマの主人公・黒板五郎を演じた田中邦衛さん(享年88)が老衰のため逝去した。「今年は田中さんも亡くなったし、コロナ禍で無理をしなくても」という声もあったというが、開催を後押ししたのは、ドラマの「生みの親」の熱い思いだった。「脚本を担当した倉本聰さん(86才)が“コロナで苦しいいまだからこそ、田中さんを忘れてはならない”との強い思いを抱き、『思い出せ! 五郎の生き方』をテーマに掲げました。懐かしの同窓会であるとともに、作品の精神を次の世代に引き継ぐイベントになりそうです」(テレビ局関係者) ドラマでは、地井武男さん(享年70)が演じた五郎の親友・中畑和夫が重要な役割を担った。中畑のモデルとなった富良野市麓郷地区の木材会社社長・仲世古善雄さんも秋のイベントを心待ちにする。「ドラマの放送前は、森と畑しかない麓郷に観光客が押し寄せるなんて、夢にも思いませんでした。いまも想いを寄せてくれる人がたくさんいるのは、ありがたいことです」 始まりの地・富良野での再集合は田中さんの悲願でもあった。「田中さんは、『続編があれば遺影になってでも出たい』と周囲に語るほど、『北の国から』というドラマを大切に思っていました。30周年のイベントは体調不良で参加できなかっただけに、“次は必ず”と願っていたはずです」(前出・テレビ局関係者)※女性セブン2021年7月1・8日号
2021.06.20 07:00
女性セブン
『日本一の若大将』(1962年)(C)TOHO OC., LTD.
加山雄三の追憶「田中邦衛さんがいたから“若大将”は輝けた」
 その唯一無二の存在感で、時に朴訥な父親、時に狡猾なヤクザなど幅広い役柄を演じてきた俳優の田中邦衛さんが3月24日に亡くなった(享年88)。『網走番外地』『仁義なき戦い』『北の国から』はじめ多くの作品で活躍したが、広く知られるきっかけとなったのは、1961年から始まる『若大将』シリーズだった。 主演の加山雄三(84)はじめ、同シリーズで活躍した関係者らは、何を思うのか──。「邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将のDVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ」 突然の訃報を受けて、そうコメントしたのは加山雄三(84)だ。『若大将』シリーズで主演の加山が演じた“若大将”は、ルックス抜群、スポーツ万能なお坊ちゃん。そのライバルとして対抗するのが田中さん演じる“青大将”だった。「貧乏育ち」と「お坊ちゃま」 田中さんは出演の経緯をこう語っていた。〈おいらは、どちらかっつうと不良で不健康な方だったので、青大将の役は自分に向いているというか、かなりいい線いくんではないかと意欲を燃やしたことを今でも鮮明に覚えています。加山さんに初めて会った時、とにかく新劇がすべてと思っていたおいらに「何も役者だけが人生ではないよ」というような大きな空気を持っていて、おいらに湘南の風を運んできてくれたような、そして視野を広くしてくれたような人です〉(『The Bigman』1990年8月号) そんな加山も本誌・週刊ポスト(2017年12月1日号)でこう振り返っていた。「青大将の田中邦衛さんとは、映画でもプライベートでも最高のコンビでした。彼は5歳も年上で、共演する前に黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)に出ているのを観ると殺し屋の役でね。この人が青大将なんておっかねぇなあ、とんでもないなあって身構えましたよ。でも、会ってみたらそういう印象とまったく違って、優しくてユニークな人でした」 自身を「貧乏育ちの劣等生」と語る田中さんは、当時住んでいた赤坂の三畳間に「茅ケ崎のお坊ちゃま」だった加山が泊まりに来たものの、部屋を見て「やっぱり帰るわ」と帰ってしまった──そんなエピソードをインタビューで明かしていた。 大ブームとなった「若大将」シリーズは1981年の『帰ってきた若大将』まで20年間にわたり計18本が制作された。“青大将”の人気にも火がつき、『若大将対青大将』(1971年)まで作られたほどだった。「まだ小娘だった私に……」 同作にマドンナとして出演した吉沢京子(67)が語る。「田中さんがご家族に見守られて静かに逝かれたというニュースを見て、あの優しい優しいどんぐり眼が、見守られながら静かに閉じたのかしらと思いを馳せていました」 半世紀前の撮影現場での思い出をこう明かす。「当時の私は、夢中になって観ていた『若大将』への出演が決まって、大人の仲間入りができると心躍ったものです。加山さんはあんなに二枚目の素敵な方だから撮影の合間はクールなのかしらとオドオドしていましたが、ものすごく気さくな方で撮影時にもよく気にかけてくださった。 田中さんは“青大将”の軽薄さや破天荒さが全くない方で、そのギャップに驚きました。ご挨拶の時にまだ16歳の小娘だった私にも、『どうも』ってあの独特な言い回しで挨拶をしてくださって。この作品では田中さんが8年がかりで京南大学を卒業するシーンがあって、学ランに角帽を被った田中さんがおどけたポーズで周囲を和ませていたのも記憶に残っています」 撮影の合間に、加山と田中さんが車で出かけていくこともあったという。「見た目も中身も全く違う2人なのに、共演者の枠を超えてすごくいい男同士の空気をまとっていらっしゃった。その絶妙なコンビネーションで撮影もスムーズに進行していました。子供だった私から見ても、そんな2人がまぶしかったですね」「若大将」シリーズ終了後の1983年に田中さんをインタビューした映画評論家の野村正昭氏が語る。「田中さんは主演作も少なくはないのですが、加山さん以外にも高倉健さんはじめ大物俳優との共演が多く、『相手を引き立てる役が性に合っている』ということを語っていたのが印象に残っています。『若大将』シリーズは田中さん演じる“青大将”という存在があったからこそ“若大将”というキャラクターが確立した。シリーズが長く続いたのは、日本映画屈指の名コンビの関係性の妙があったことが一番大きかったと思います」 加山のスター街道は、「邦さん」が照らしたことで始まったのだろう。※週刊ポスト2021年4月30日号
2021.04.17 16:00
週刊ポスト
シリーズのスタート
追悼・田中邦衛さん 唯一無二だった「不器用で憎めない人間くささ」
 映画『若大将』シリーズやドラマ『北の国から』で人気を博し、日本を代表する名優であった田中邦衛さんが、この世を去った。約65年間もの役者人生で残した数々の作品では、時にバイプレーヤーとして、時に主演として映画・テレビ史に刻む名演技を魅せてくれた。役に入り込む演技力とともにそこには“人のよさ”があふれていた。「彼ほど純粋で真面目で無垢で、家族を愛した男を知らない。いや、周囲全てをだ」──1981年にスタートしたドラマ『北の国から』を描いた脚本家の倉本聰さんは、田中邦衛をこう偲んだ。田中さんが演じた不器用だけど真摯に子供たちと向き合う父親・黒板五郎は「彼の育った昭和という時代の、いつくしみ、思いやり、倫理道徳の中で、それをかたくなに貫いて生きた絶滅珍種の漢だった」と振り返る。 1957年に映画『純愛物語』でデビュー。俳優を始める以前、中学の代用教員を務めていた異色の経歴を持つ。そんな彼を俳優としてスターに押し上げたのが、加山雄三主演の青春映画『若大将シリーズ』(1961~1971年)。 主演のライバル“青大将・石山新次郎”役でアクの強いキャラクターを好演。キザなドラ息子という役ながら、どこかお人好しな青大将は若大将を引き立てつつも、“主役キラー”といわれるまで人気を得た。共演した加山は「信じられない。今は何も言葉にならない。寂しいよ本当に寂しい」と盟友に惜別のメッセージを寄せた。 名バイプレーヤーとして活躍していた田中さんだが、そのイメージを一新させたのが映画『仁義なき戦い』(1973~1974年)。菅原文太さんや梅宮辰夫さんなど銀幕スターたちの中で、“仁義なしの卑怯者”役で独特の存在感を示す。 転機となったのが約20年にわたって放送された『北の国から』シリーズ(1981~2002年)。真面目で不器用で底抜けの愛情をもって生きる黒板五郎という男は、前出・倉本さんの話す通り“田中さんそのもの”だった。“黒板家の子供”として20年を生きた中嶋朋子と吉岡秀隆は、「天国でもたくさんの人を幸せにしてくださいね」(中嶋)、「自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」(吉岡)と“父”の死を悼む。 田中さんの人柄を一層輝かせた作品といえば、山田洋次監督の映画『学校』(1993~2000年)だろう。50代になるまで文字の読み書きができないイノさんが夜間中学に通い、必死に勉強し、好きになった先生に送った初めての“ラブレター”は、いまシーンを見返しても色あせないピュアさがある。シャイでお茶目、人を愛し、人に愛された田中さんは作品とともに私たちの記憶に残り続ける。※女性セブン2021年4月29日号 
2021.04.16 16:00
女性セブン
「週刊ポスト」本日発売! 小室圭「録音テープ騒動」ほか
「週刊ポスト」本日発売! 小室圭「録音テープ騒動」ほか
 4月16日発売の「週刊ポスト」は、猛威を振るうコロナ第4波にあえぐ日本で、追い討ちをかけるように降りかかる外交、政治、経済、生活のリスクを徹底的に検証するスクープ情報、実用情報の満載号です。コロナが蔓延してから蔓延防止を「お願い」するしかない政府の無策に国民はどう立ち向かえばいいのか。じっくり読めば明日が見える読み応えたっぷりの一冊です。今週の見どころ読みどころ◆<カラーグラビア>自宅で食べたいお取り寄せ極旨餃子「まん延防止等重点措置」が全国に拡大し、列島は「おこもりゴールデンウィーク」を迎えることになった。政治家への怒りはさておき、家にいても極上の休暇を楽しみたいじゃないですか。テリー伊藤ほか「餃子フリーク」が自信をもってオススメするお取り寄せ餃子の逸品を5Pカラーで一挙ご紹介。窓の新緑を眺めながら、昼からビール片手に家族で餃子パーティなんて素敵じゃありませんか?◆<グラビアルポ>「パパ活女子」のイケナイ日常コロナ不況で収入の減った女性たちが、続々と「パパ活」市場に流入している。なかには一か月で数百万円を「稼ぐ」人までいるという現代の「ちょい愛人生活」の実態を経験者たちの座談会を交えてリポートする。◆<グラビアスクープ>新聞・テレビが報じない「聖火リレー」の光景オリンピックは大手の新聞・テレビグループがこぞってスポンサーになっている。だからなのか、国民の顰蹙をよそに「聖火リレーのエエ話」が連日ニュースとワイドショーを飾る。しかし実態はニュース映像とは全く違う。スポンサーの宣伝車両が大行列を組み、「踊りましょう!」などと沿道の市民を煽って行進する。その10分後にようやくランナーが車列の陰からチラッと見える――というのが真相だ。コロナで自宅待機を求められる国民そっちのけで、「スポンサー・ファースト」で続けられる聖火リレーの裏側を暴く。◆「小室圭さんは秋篠宮殿下との会話まで隠し録りしていたかもしれない」原稿用紙なら100枚近い「大作」の反論文を公表した小室圭氏。宮内庁長官は「非常に丁寧に説明されている」と評価したが、その宮内庁では説明された金銭トラブルの経緯ではなく、「録音テープの存在」におののいたという。小室氏は父親代わりだったA氏との会話を隠し録りしていたことを明らかにした。その小室氏は、秋篠宮家に何度も出向いて経緯の説明をしているが、その際にも会話を隠し録りしていたのではないのか――。◆「大阪ぎらい」吉村知事のメッキかくして剥がれたコロナ第4波の震源地となってしまった大阪の吉村洋文・知事に対し、府民や近隣府県からNOが突き付けられている。1年前には「#吉村寝ろ」がトレンドワードになったほどスター扱いだったが、その後はパフォーマンス優先で失策続き。「ワシらは“まん防”じゃなくて“辛抱”や」と嘆息が漏れるコロナの街からリポート。◆中国にNOと言えないニッポン無法な海洋進出や人権侵害を続ける中国に、先進諸国はついに制裁の包囲網を敷き始めた。ところが日本だけが尻込みして制裁の列に加わらない。背景には、これまで度重なる「日本企業いじめ」を受けてきたトラウマがある。作家・井沢元彦氏の緊急寄稿「冬季北京五輪をボイコットせよ」とあわせて日本の弱腰を撃つ!◆「定年スマホ脳」で認知症まっしぐらいまや60代の77%がスマホ利用者だ。しかし、中高年のスマホ依存は若者よりはるかに悪影響があるという。目の不調はもちろん、記憶障害や家族の不和、さらには思考能力の低下を招いて「スマホ廃人」になりかねない。医師や専門家の警告と1分で自己診断できるチェックリストを公開する。◆昭和のライバル秘話「あなたがいたから、私は輝けた」大人気企画、往年のスターたちのライバル列伝第2弾。今号も多士済々のなつかしい偉人たちがよみがえる。青木功vs尾崎将司、萩原健一vs松田優作、竹下登vs安倍晋太郎、湯川秀樹vs朝永振一郎、大山康晴vs升田幸三、江川卓vs西本聖、松田聖子vs中森明菜。◆加山雄三「田中邦衛さんがいたから若大将は輝けた」人気ドラマ「若大将」シリーズでは宿命のライバルだった加山雄三と田中邦衛。対照的なキャラクターを演じた二人は、性格も演技も、役者としての生い立ちも全く違った。亡き田中に加山が贈る追悼と思い出秘話。◆父が死んだ後、母が亡くなった後、これだけはやってはいけない巻頭特集は「ひとり親」とどう付き合っていくか、面倒を見るかを徹底研究した12ページ大特集。連れ合いに先立たれた親が一人暮らしになった時に子は何をすべきか、何をしてはいけないか。介護、相続対策、認知症予防、さらには親類縁者とのトラブル回避まで、必要な手段と注意点がすべてわかる。※全国の書店、コンビニで絶賛発売中!
2021.04.16 07:00
NEWSポストセブン
児島さん提供の貴重な「五郎とこごみ」の恋人ショット
田中邦衛の“恋人”児島美ゆきが語る「高倉健さんとの縁結び」
 田中邦衛(享年88)が亡くなり、多くの芸能関係者から追悼の辞が寄せられているが、なかでも特別な思いで悼んでいるのが女優の児島美ゆきだ。田中の代表作『北の国から』では、田中演じる黒板五郎と恋仲になるホステス「こごみ」を演じた児島は、私生活では高倉健と交際していたことがある。実は、その高倉との仲を取り持ったのが田中だったという。昭和を代表する2人の大スターとの「恋」と別れを、改めて聞いた。 * * * 4月2日の夕方、あの時は珍しく自宅で晩ご飯を食べていました。すると仲のいい編集者さんからLINEで、「田中邦衛さん亡くなったよ。大丈夫?」と連絡を受けたのです。ほとんど同時にニュースでも大きく取り上げられました。 そのあと女優の友達から、「クニさん亡くなっちゃった……なんで死んじゃったのぉ」と泣きながら電話がかかってきたんです。あんまり泣くので私もこみ上げてきて、2人で泣いてしまいました。彼女も『北の国から』に出演していて、その時は現場でものすごくダメ出しされて落ち込んでいたんです。もちろん今ではそのダメ出しの理由がわかりますが、初めて『北の国から』に参加した私には、「そこまで言わなくても……」と思ってしまうくらいに彼女は絞られていました。 そんなときクニさんは、いつも彼女の背中をポンポンと叩いて、「おーい、元気出せよ」「大丈夫だよ」と励ましていました。誰に対してもそういう人でした。だから、「クニさんのおかげですごく救われたのよ」と彼女が電話口で泣くのを聞いて、「本当にあんないい人はいないわね」と、私も涙がこぼれました。 クニさんがそういう人だったから、純(吉岡秀隆)と蛍(中嶋朋子)も委縮せずに伸び伸び芝居ができた。あんないい芝居、普通の現場ではできませんよ。秀ちゃんは天才肌だったけれど、特に朋子ちゃんの場合はクニさんの温かい思いやりに助けられていたと思います。『北の国から』の現場では、クニさんは本当に「隣のおっちゃん」みたいな感じで、五郎の格好のまま富良野の町に出かけていくんです。スタッフがハラハラするのをよそに、あのニット帽を「どこそこのお店に忘れてきた」とかね。あれだけ何十年も第一線で活躍していた人なのに、地元の人たちにも決して威張るところがなくて、いつも誰に対しても自然体なんです。だから私もそんなクニさんが大好きでした。(高倉)健さんと初めてお話ししたのは、クニさんからもらった電話でした。北海道でロケをしていたクニさんと健さんが、一緒にご飯を食べてたらしいのね。その時に健さんがクニさんに、「『北の国から』見てるけど、こごみちゃんというのは、すごくいい女優さんだね」とおっしゃってくれたみたいで、クニさんが喜んでその場から電話してきたんです。「みゆきさあ、いま高倉健さんと一緒にいるんだけど、お前さんのことをすごい褒めてるんだよ。良かったなあ」 といきなり言うんです。それで、「ちょっと代わるか?」というクニさんの後ろで、「いや、いいですよ、いいです」と言う健さんの声が聞こえてくる(笑)。クニさんが無理に健さんを電話に出させると、健さんは「すいません。電話番号だけ教えてもらえますか」とていねいにおっしゃってくださって、思わず番号をお伝えしました。 クニさんは、私を喜ばせようとして、それから健さんも喜ばせようとして、電話してきたんですよね。そうして生まれたご縁だったけど、いま思い出してみても、いかにもクニさんらしいし、健さんらしかったなあと思います。 クニさんみたいな素敵な俳優は、もう二度と現れない気がするなあ……。人として、俳優として、唯一無二の人、役者でしたね。本当に淋しいです。
2021.04.16 07:00
NEWSポストセブン
田中邦衛さん、消えた9年 『北の国から』とは異なる家族の真実
田中邦衛さん、消えた9年 『北の国から』とは異なる家族の真実
 ドラマ『北の国から』では、大自然の中で家族と共に強く生き、本当の豊かさとは何かをわれわれに伝えてくれた。主人公・黒板五郎のように「無骨で人間臭い」、そんな人だと世間は思っていただろう。しかし、俳優業を離れたこの9年もの間、彼が見せていた「素顔の田中邦衛」は意外なものだった。 神奈川県横浜市、海沿いの高台に建つ豪邸の一室に設けられた祭壇に、故人が生前受賞した数々の賞状が飾られている。その傍らには在りし日の写真が十数枚、“遺影”として並んでいた。優しい微笑みを向けているのは、3月24日に老衰のため亡くなった田中邦衛さん(享年88)だ。 邦衛さんは、最期の日まで前向きに生きる気力と周囲への感謝を持ち続け、家族に見守られながら安らかに旅立ったという。「静かに見送ってほしい」。邦衛さんの希望により、家族が逝去を公にしたのは家族葬を済ませた10日後の4月2日のことだった。 岐阜県出身の邦衛さんは麗澤短期大学在学中に演劇に興味を持つようになり、俳優座養成所の試験を2度受けたが不合格。中学の代用教員を経て、1955年、3度目の正直で合格した。 1961年に映画『大学の若大将』で、加山雄三(83才)演じる主人公のライバル“青大将”を演じて一躍有名になり、高倉健さん(享年83)と共演した映画『網走番外地』シリーズ(1965年〜)や『仁義なき戦い』シリーズ(1973年~)など、数々のヒット映画に出演。ブルーリボン賞助演男優賞や、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞などさまざまな賞を受賞している。そして1981年にスタートしたテレビドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で主役の黒板五郎を演じると、個性派俳優としての地位を不動のものとした。 私生活では1963年に結婚、2人の娘にも恵まれた。公私共に順調だったが、邦衛さんが78才だった2010年に公開された映画『最後の忠臣蔵』を最後にメディア露出が途絶え、2012年の地井武男さん(享年70)の「お別れ会」に出席して以降は、表舞台から完全に姿を消していた。高齢になり、「長いセリフが覚えられなくなったため」と報じられたが、2015年にはさらに状況が悪化していた。「夏頃に高熱を出して、2週間くらい入院したことがあったんです。そのときに寝たきりの生活が続いたことで、もともとよくなかった足の具合が悪化してしまったんです。それで、歩くことが困難になってしまった。在宅介護という選択肢もありましたが、家族で話し合って、リハビリを受けられる有料老人ホームに入居することにしたんです」(邦衛さんの知人) 自宅から車で約20分の距離にある老人ホームに、次女と妻は足繁く通ってサポートを続けた。邦衛さんがいつ戻ってきてもいいように、自宅の玄関には車椅子でも出入りしやすいようにスロープも設置した。「2017年の秋頃になると、邦衛さんが自宅に戻る頻度が増えたんです。リハビリの成果が出始めて、ゆっくりとですが自分で歩くこともできるようになっていました。以前の生活に戻る日も近い。家族の期待も膨らんでいたんです」(前出・邦衛さんの知人) だが、リハビリは一進一退を繰り返す。自宅に帰ったかと思えば、施設に逆戻りの日が続いたという。「年齢的なこともあって、以前の日常どころかひとりでできたことも助けが必要になっていきました。在宅介護に切り替えるか、施設に任せるか。家族は悩みましたが、最後は施設に任せることにしたそうです。 2013年に邦衛さんの引退が噂されたことがあったのですが、奥さんはそのときのテレビの取材に『引退もなにも、田中邦衛の人生そのものが役者ですから』と答えています。在宅介護をすることで、世間に邦衛さんの“病状”が伝わってもよくない。家族はシャイな邦衛さんの思いも酌んで、役者のイメージを守ろうとしたのかもしれません」(前出・邦衛さんの知人)娘を前にすると照れてしゃべれない ただ、寂しい晩年だったわけではない。『北の国から』の脚本家・倉本聰さん(86才)が4月3日配信の朝日新聞デジタルに寄せた追悼文にはこんな言葉がある。ここ数年会いたくても会えず、奥さんを介して邦衛さんの様子を知ったときのこと。《彼が今棲(す)む小さな世界で、まわりから愛されまわりを明るく笑わせているという情報にホッと安堵(あんど)し、心を休めた》 体が不自由になっても“舞台”を変えて、役者を続けていた。「五郎役のイメージが強くて、邦衛さんは無口という印象を抱いている人も多いのですが、実はユニークな一面を持つかたなんです。人の笑顔が大好きで、老人ホームでは冗談を言っては入居者を笑わせていたそうです」(前出・邦衛さんの知人)『北の国から』は、妻が家を出ていった後、東京での生活に嫌気がさした五郎が、2人の子供を連れて故郷の北海道に帰るところから物語が始まる。だが、邦衛さん自身は役柄とは違い、大の愛妻家として知られていた。「撮影で地方に出たときはマメに電話を入れていました。一度、京都で『にごり酒』を買って帰ったら、奥さんが“おいしい”と言ってくれたのがうれしくて、それから京都に行くたびに、同じにごり酒を買って帰っていた時期もありました。奥さんが喜ぶ顔を見るのが大好きなかたでした」(芸能関係者) 子育てに関しても、男手ひとつで苦労する五郎とは違い、すべて妻任せだったという。「2人の娘を叱ったことがないというのは有名な話です。干渉は一切せず、相談にのったこともない。娘を前にすると照れてしまい、何もしゃべれなくなるそうです。ロケで家を空けることが多く、会話をする機会も少なかったでしょうけど、それでも親子の愛情はとても深かったと思う」(前出・芸能関係者) 長女はNHKに入局し、現在は広報局長を務めている。多忙な彼女も妹とともにリハビリ計画を立てるなど、父の晩年を支えていたという。 倉本さんは先の追悼文で、こうも綴っている。《彼ほど純粋で真面目で無垢(むく)で、家族を愛した男を知らない。いや家族だけではない周囲全てをだ。彼はあたかも僧籍にいる人のようだった。更にもう少し彼を困らせてしまうつもりなら、敢(あ)えて“珍妙な天使”だったと云いたい》 ヒゲを蓄えた口を尖らせ独特な口調でしゃべる。眼光も鋭い邦衛さんの見た目は天使とは言い難い。だが、素顔の彼を知る人たちは、純粋で無垢で優しい彼に癒されてきた。いま頃、天国でも人懐っこい微笑みを浮かべているはずだ。※女性セブン2021年4月22日号
2021.04.09 11:00
女性セブン
ドラマ『池中玄太80キロ』『北の国から』の涙腺崩壊シーン
ドラマ『池中玄太80キロ』『北の国から』の涙腺崩壊シーン
 テレビ業界で収録中止が相次ぐ中、増えているのが過去のドラマの再放送だ。外出自粛により家で過ごす時間が増え、「家族のあり方」を描いたホームドラマの数々が思い出される。今だからこそ、もう一度放送してほしい名作をプレイバックする。 西田敏行主演の『池中玄太80キロ』(1980年、日本テレビ系)は不器用な父親像を描いた。 西田演じる父・池中玄太は、未亡人の鶴子(丘みつ子)と結婚する。しかし鶴子が急逝し、血の繋がっていない3人の娘の子育てに奮闘する。「長女の絵里(杉田かおる)たちは、最初は玄太を受け入れられず、『おじさん』と呼ぶ。周囲からも『父親になるなんて無理だよ』と言われながら、玄太は一生懸命に娘たちと接する。やがてその頑張りが娘たちに認められ、『お父さん』と呼んでもらうシーンに泣きました」(55・教師) 1981年スタートの倉本聰・脚本『北の国から』シリーズ(フジテレビ系)で田中邦衛が演じた父・黒板五郎も涙を誘った。 妻との離婚をきっかけに、純(吉岡秀隆)、蛍(中嶋朋子)を連れて東京から富良野に移り住んだ五郎。数多い涙腺崩壊エピソードの中でも、多くのファンが挙げるのがこの場面だ。「純が東京の定時制高校に通うために上京するシーンです。東京に行く長距離トラックに乗せてもらうお礼にと、純が運転手に封筒を手渡すんですが、その中に入っていたのは泥のついた1万円札。 運転手(古尾谷雅人)は『これは受け取れない。お前の宝にしろ。一生大事にとっておけ』と純に手渡すんです。僕を東京の大学に行かせてくれた親父も同じ思いだったんじゃないかと涙が止まらなかった」(58・公務員)※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.18 07:00
週刊ポスト

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