藤圭子一覧

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前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る
前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る
 かつて作家・五木寛之氏に「“演歌”でも“援歌”でもない。“怨歌”である」といわしめた歌手・藤圭子(享年62)。彼女が儚く散ったあの日から、はや6年。生きていれば今年9月にデビュー50周年を迎えていた。6度目の命日を前に、元夫でもある歌手・前川清が再び知った彼女の魅力。短くも1970年代の歌謡界を共に過ごした日々を語った。「歌いながら、やっぱり彼女のドスのきいた歌声と独特の世界観って凄いなぁと改めて感じさせられました」 そう語るのは、歌手の前川清(71才・以下「」内同)。先月発売された自身のカバーアルバム『マイ・フェイバリット・ソングス~ジャパニーズ~4』のなかで、元妻の藤が1972年に歌ったヒットナンバー『京都から博多まで』をしっとりと歌い上げている。「この曲が流行っていた頃って、ちょうど藤さんと結婚していた時期。一緒に歌番組に出演したりして、目の前でよく聴いていました。だから、耳が覚えている。自分ではもうちょっとうまく歌えると思って、あえて音源は聴かずに収録に挑んだんですが、思っていた以上に難しかったですねぇ」 これまでライブなどで同曲を歌ったことは何度かあるが、CDに録音するのはこれが初めて。「歌というのは、歌っている人が亡くなった直後は頻繁に流れるけれど、1週間もすると遠ざかっていくじゃないですか。でも、彼女のよさであるとか魅力だとかは忘れてもらいたくない。別れはしましたけど、彼女に対しての思いっていうのはそりゃあ、ありましたからね」 ファンだった人に、少しでも喜んでもらえたら、当時の藤圭子の姿を思い出してもらえたらうれしい…。そんな思いから収録を決めた。◆若き大スターとの結婚 多忙極まる新婚生活 48年前の6月、前川と藤の婚約発表に世間は沸いた。「ボクが22才で彼女は19才。お互い、好きだという気持ちは当然あるけれど、実はどうしても夫婦になりたいというわけではなかったんです。ただ彼女は、当時、恩師で事務所の社長でもある作詞家の石坂まさをさん(享年71)の自宅に住み込みをしていたので、隠れて会ったりするのはなんだか嫌だね、と。だったら、一緒になった方がいいかもねっていうのが結婚に至った理由でした」 当時は歌謡曲全盛期。藤も、前川がボーカルを務める内山田洋とクール・ファイブもオリコンヒットチャートの上位ランキングの常連だった。「芸能界でも彼女のファンは多くて、婚約発表後に野口五郎くん(63才)から“なんで前川さんなんかと~!? ボク、好きだったのに~”って言われて、“いや、ごめん、ごめん”って謝ったこともありました(笑い)」 晴れて夫婦となれば堂々と人目を気にせずにいられる。そんなふうに淡く、まだ幼い恋の延長線上での決断だった。ふたりは1971年8月2日、前川の故郷、長崎・佐世保の小さな教会で式を挙げた。「最初は入籍だけで済まそうとふたりで話していました。でも、結果的には大人の事情っていうものがありまして(苦笑)。ハワイでの新婚旅行中、都内に戻っての披露宴もずっとマスコミのかたがたが付きっきり。ハッキリいって、結婚式自体が仕事でしたね」 振り返れば、結婚生活自体、実態のないものだった、と前川は語る。「彼女も飛ぶ鳥を落とす勢いの人気歌手でしたし、ボクたち内山田洋とクール・ファイブも毎日、歌番組をいくつもハシゴ。朝から晩までテレビ局を何局もまわってね。もう、どれが生放送でどれが収録なのかもわからない状態。ふたりともひたすら一生懸命に歌って家に帰る…そんな生活でした。思えば、夫婦水入らずでゆっくり語り合う時間なんてなかったですね」 その年の大晦日、『NHK紅白歌合戦』では夫婦揃って初の競演が目玉となるはずだった。だが、年の瀬も間近にして、前川が自然気胸で緊急入院。急遽、藤が前川に代わってクール・ファイブと共に歌った。「今思えば、そういう運命だったんでしょうね。ずーっとすれ違い。だから結婚生活も、たった1年で終わってしまいました」 1972年8月12日、おしどり夫婦と呼ばれたふたりの電撃離婚会見。これもまた、「(離婚の理由は)ありません」と、掴みどころのないものだった。「ボク自身も結婚生活を振り返ってみても“なんだったんだあれは?”って思いますもん。ただね、1年間の結婚生活のなかで、彼女には1円もお金を出させることはなかったですよ」 それは、九州男児の意地のようなものだろうか? 「いやいや、そうじゃない」と、前川が大きく首を横に振る。「それぐらいしかボクが彼女にしてあげられることがなかったんです。だから、ずっと後になってのことですが、彼女が“清ちゃんがいちばん優しかった”と言ってくれていると人づてに聞いた時はうれしかった。素直にね。 でも、裏を返してみれば、それはボクたちの間に何にもなかったからこそ出た言葉であって。恨み、つらみ、差し障りも何にもないからこそ、そんなふうに思ってくれたんだと思います」 だが、売れっ子同士の早すぎた結婚、そして離婚劇は、少なからずそれまでの音楽活動に影を落とした。内山田洋とクール・ファイブは『そして、神戸』などのヒット曲に恵まれるも、2年連続で紅白不選出。一方、藤も今ひとつヒットが続かず、1974年には喉のポリープ手術というスランプ状況に陥った。藤が芸能界引退を考え始めたのはこの頃からだともいわれている。◆藤の死の知らせを聞いたとき、前川は… 6年前の8月22日。それはあまりにも突然で、あまりにも衝撃的な訃報だった。早朝の東京・新宿。藤は居住していたマンションの13階から飛び降り、62年の人生に自ら幕を閉じた。“藤圭子、自殺”この報道に、都内でコンサートのリハーサル中だった前川は耳を疑ったという。「ショックだったのはもちろんですが、長年、海外生活をされていた藤さんが日本で暮らしていたことも知らなかったので。 ただ、こんなふうにも感じたんです。“ああ、彼女らしいな”と…。“らしいな”というのは不謹慎かもしれません。けれど、どこかで彼女が平穏な老後を送り、布団の上で静かに息を引き取るという姿をイメージできなかった部分もありました」 圧倒的な歌唱力と存在感、儚さと数奇な人生。それらをすべて背負っていたのが、歌手・藤圭子だった。「だから、強烈なインパクトを残してこの世を去っていったということはとても切ないのですが、彼女らしくもあると感じもしたんです」 前川が藤の曲をライブ会場で歌うようになったのは、4年前から。三回忌を迎える頃、最初に選曲したのが彼女のデビュー曲『新宿の女』だ。「藤圭子という女性には“新宿”の二文字がよく似合います。銀座でもない、六本木でもない、新宿がしっくりくる。そして…終の住処となった場所も新宿でした」 以来、年に1度、藤の歌を歌い続けている。今回、初の収録となった『京都から博多まで』も歌唱した。 実は、この曲にはこんなエピソードが残されている。1980年1月に放送(収録は前年12月)された『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)で、なんと離婚後7年ぶりに、前川と藤が共演しているのだ。 歌手生活を引退し、海外へと渡る決意をした藤が、芸能界最後の思い出にと熱望し、萩本欽一(78才)の粋な計らいで共演が実現したという。コントでは、藤が萩本家を訪ね、そこへ前川が「後川清」を名乗って登場する。「照れ屋な歌手・前川清の友人として、彼の代わりにバラの花を届ける」という設定だった。 前川がバラの花束を藤に差し出すと、お互い照れくさそうに笑いながら、アドリブまじりのトークを展開。日本を離れ、アメリカという土地で新たに出発をすると表明した藤。そんな彼女を送り出す激励の意味もこめ、前川が歌ったのが『京都から博多まで』だった。初々しくも睦まじい、心の底で信頼し合っているふたりの姿から“もしや復縁?”との噂すら上がったほどだった。◆別々の道を選択したから、歌姫が誕生した この話を前川に振ると…、「えっ? ボク、歌ってましたっけ。覚えてないなぁ。まあ、もしも、今の年でお互いに独り身であったなら、もっとわかり合えたかもしれませんね。でも、そういう運命の流れがあったからこそ、宇多田ヒカルさん(36才)という歌手がこの世に誕生したわけですよ」 1998年、宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』は900万枚突破という日本新記録を打ち立てた。そんなわが娘の類まれな才能を全力で後押ししてきたのが母である藤だった。「宇多田さんがデビューする前、1度だけ藤さんから電話がかかってきたことがあるんです。“娘は天才なのよ”って。それから間もなくして凄い歌声の若い娘がいるなと思っていたら、それが藤さんのお嬢さんだった。独特な声質がソックリで驚きました。歌っている時というよりも、しゃべっている声が。CMで宇多田さんの声が流れた時、思わず振り返ってしまいますもんね」 昨年5月、芸能生活50周年を記念したシングル『初恋 Love in fall』を発表した前川。偶然にも宇多田が同月にリリースした新曲のタイトルも『初恋』だったことには心底驚いたらしい。「こっちは“得した! 誰か間違えて買ってくれないかな?”(笑い)なんて冗談を言ってましたけど、向こうは迷惑しているかも…。でも、これも何かの縁かもしれませんね」 巡り合わせといえば、8月は前川にとってさまざまな思い入れの重なる月なのかもしれない。「藤さんと結婚したのも、離婚をしたのも8月。そして、藤さんが亡くなったのも8月。奇しくも、ボクが生まれたのも8月。今月、19日に71才になりました。たまたまなのかもしれませんが、どこか不思議なものを感じなくもありません。今年もボクをはじめ、多くのファンの皆さんに藤さんを偲んでもらいたいですね」■取材・文/加藤みのり※女性セブン2019年9月5日号
2019.08.22 07:00
女性セブン
「爆報!THEフライデー」の内容が問題に
高視聴率のTBS音楽特番、本当に“超貴重映像”満載だった
 2月11日、『歌のゴールデンヒット』(TBS系)が約4時間にわたって放送された。5回目の特番となる今回は『昭和・平成の歴代歌姫ベスト100』をテーマに取り上げ、オリコン集計開始の1968年から2018年までのデータで作成した女性歌手(ソロ、デュオ、グループ)のシングル総売上ベスト100を発表し、12.5%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)という高視聴率を獲得した。その理由はどこにあったのだろうか。 著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の中で、歌番組の歴史についても構造的に解析している芸能研究家の岡野誠氏が細かく分析する。 * * *『歌のゴールデンヒット』を紹介する新聞のテレビ欄には〈▽今夜しか見られない超貴重映像を大放出!〉という文言もあった。本当に“超貴重映像”だったのかを検証してみよう。 過去映像中心の番組の場合、いかにオリジナリティを出せるかに命運がかかっている。言い換えれば、PVやMV、ライブなどの映像よりも、TBS独自の素材が求められている。 4時間以上に及ぶ番組内で、ベスト100と番外編などを含め過去の歌唱シーンは144本オンエアされた。番組上のテロップを参考に調べると、TBSオリジナル映像は113本。全体の78.5%にも上った。内訳は以下の通りだ(番組名にはそれぞれの関連番組を含む。『輝く!日本レコード大賞』であれば『速報!日本レコード大賞』、『うたばん』であれば『とくばん』など)。【1位】31回:輝く!日本レコード大賞【2位】21回:コンサート映像(歌手のビデオやDVDなど)【3位】16回:ザ・ベストテン【4位】14回:COUNT DOWN TV【5位】10回:記載なし1(おそらくPV、MVと推測される)【6位】9回:うたばん【7位】8回:日本有線大賞【8位】7回:8時だョ!全員集合【9位タイ】3回:トップスターショー歌ある限り、記載なし2(*注)【11位】2回:JNN音楽フェスティバル【12位タイ】1回:高島忠夫とヒット歌謡大全集、植木等ショー、ロッテ歌のアルバムなど多数【*注:イントロクイズとして出題された森昌子、八代亜紀、岩崎宏美の映像はクレジットの記載がなかったが、映像背景や歌の年代、字幕スーパーなどからTBSオリジナルと判断】 このTBS独自映像113本を年代別に分けてみよう(カッコ内は全体の本数。『歌のゴールデンヒット』内での表記はあくまで曲の発売年だが、番組名のクレジットなどからいつの年代の映像か判断した)【1960年代】8本(8本中)/100.0%【1970年代】33本(35本中)/94.3%【1980年代】22本(30本中)/73.3%【1990年代】33本(49本中)/67.3%【2000年代】10本(14本中)/71.4%【2010年代】7本(8本中)/87.5%【合計】113本(144本中)/78.5% 1980年時点でビデオデッキ普及率は2.4%に留まっていた。つまり、視聴者が録画素材をほとんど持っていない1970年代の映像の価値は必然的に高くなる。 ビデオデッキ普及率が2ケタ未満だった1982年以前の独自映像をカウントすると、48本。全144本の歌唱シーンのうち、33.3%が特に超貴重映像だったと言える。 これに加え、1970年代の藤圭子やキャンディーズ、南沙織、麻丘めぐみ、高田みづえの『8時だョ!全員集合』でのコント、ドラマ『時間ですよ』での堺正章と天地真理のシーンもオンエア。なかなかお目にかかれない映像を繰り出すことで、『歌のゴールデンヒット』の価値は高まっていった。 1970年代に『ザ・ベストテン』や『全員集合』などテレビ史に残る大ヒット番組を放送し、“民放の雄”と呼ばれたTBSだからこそ、12.5%の視聴率が獲れたという見方もできる。 1980年代以降の独自映像の比率はやや低くなるが、それでも70%前後をキープしている。たとえば、1990年に忌野清志郎と坂本冬美が『DAYDREAM BELIEVER』を歌うシーンもオンエアされた。同年に行なわれたイベント『ロックの生まれた日』の映像で、1990年5月25日放送の『ロックが生まれた日』(※番組でのクレジット、当時の新聞にも“ロックの”ではなく、“ロックが”と記載)の一部と思われる。 ビデオデッキ普及率は1990年には既に60%を超えていたが、まだまだビデオテープは高価な時代であり、放送時間が深夜24時50分からだったため、“超貴重映像”と言えるだろう。◆TBSが豊富なオリジナル映像を保持しているワケ『歌のゴールデンヒット』のテレビ欄に書かれていた〈▽今夜しか見られない超貴重映像を大放出!〉という謳い文句に偽りはなかった。なぜ、TBSはこれほどオリジナル映像を保持しているのか。 振り返れば、歌番組の大きなブームはTBSから始まっていた。1959年12月27日、第1回の『日本レコード大賞』の受賞発表が行なわれる。TBS(当時のKRT)は3日後の30日、録画で午後3時5分から35分間放送。1969年には大晦日のゴールデン帯で生中継し、高視聴率を獲得した。すると、翌年にTBS以外のテレビ・ラジオ民放8局が『日本歌謡大賞』を立ち上げる。1970年代中盤には各局に音楽祭が乱立し、“賞レースブーム”が巻き起こった。 1978年1月、TBSは4つの基準を元に独自のランキングを作成して10位から週間順位を発表していく『ザ・ベストテン』を開始。当初は10%台後半だった視聴率は、10月以降25%を下回ることなく、翌1979年には30%台を連発する。これを見た他局もランキング番組を続々と作った。 1980年代後半から音楽祭の視聴率が低下していき、1990年代前半には各局が撤退していく。『日本歌謡大賞』も1993年限りで終了した。その中で、TBSは『日本レコード大賞』を継続。『ザ・ベストテン』は1989年9月限りで幕を閉じたが、1992年10月から土曜20時台で『COUNT DOWN100』という新たなランキング番組を始め、1993年4月からは土曜深夜帯で『COUNT DOWN TV』に衣替えし、現在も放送中だ。 TBSは先駆者として放送音楽界を牽引し、試行錯誤しながらも継続してきた。そのため、『歌のゴールデンヒット』ではどの年代でも高い確率でオリジナル映像を放送できた。 現在、TBSにはゴールデン帯のレギュラー歌番組がない。他局を見ても、特番の歌番組では数字を獲れても、毎週の放送となると現状は厳しい。そんな時代だからこそ、先駆者のTBSが新たな歌番組に挑戦してほしいとも感じた。※参考文献:『TBS50年史』●文/岡野誠:ライター・芸能研究家・データ分析家。研究分野は田原俊彦、松木安太郎、生島ヒロシ、プロ野球選手名鑑など。一時、『笑点』における“三遊亭好楽ドヤ顔研究”を試みるも挫折。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は、『ザ・ベストテン』の本邦初公開と思われる年別ランクイン数の順位、田原俊彦の出演シーンを詳細に振り返るなどの巻末付録も充実している。
2019.02.23 16:00
NEWSポストセブン
芸能は遺伝する? 二世俳優・ミュージシャンが多い理由
芸能は遺伝する? 二世俳優・ミュージシャンが多い理由
 顔つきや身長など外見が遺伝することは常識だが、最近の研究では内面も遺伝の影響が大きいことがわかってきている。たとえば、知的な能力を示す「IQ(知能指数)」でいえば、およそ50%が遺伝の影響を受けるという。『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(SB新書)の著者で、慶應義塾大教授の安藤寿康さん(行動遺伝学)はこう話す。「残りの30%が家庭環境、20%が学校や友人など一人ひとりの独自の環境の影響を受けることが、研究で明らかになりました。ここでポイントは、『家庭』の割合が意外に大きいことです。 両親の与える遺伝と環境の影響だけでIQの80%が説明されます。つまり、教育熱心な家庭だったら、本人の努力とは別に、両親の影響だけでIQの高さがほぼ決まります。 しかも、『努力する性格』も、実は半分が遺伝の影響を占めます。要するに、“東大出身の親を持つ子供が東大に入る”可能性が高くなるのは必然なんです」(安藤さん)◆安藤サクラ、佐藤浩市、ほか「演技の才能」も遺伝する? 三國連太郎さん(享年90)の長男・佐藤浩市(57才)や、奥田瑛二(68才)・安藤和津(70才)夫婦の次女・安藤サクラ(32才)など類い稀な才能を持つ2世役者もいる。 役者としての能力はさまざまで、一概にはいえないが、役柄や物語の世界観を理解するための「論理的な推論能力」は68%が遺伝する。舞台の上で自分がどう働いているかを把握するための「空間認識」は70%。台詞を言う時には「音程を取る能力」も必要そうだが、それは80%が遺伝で決まるとされている。 上手い役者になる能力も、大きな部分で遺伝に影響されるといえそうだ。 一方で、台詞を覚える「記憶の能力」への遺伝の影響は約56%なので、努力で充分にカバーできる範囲なのだろう。 ミュージシャンの“親子鷹”も少なくない。藤圭子さん(享年62)と宇多田ヒカル(35才)、森進一(70才)・森昌子(59才)夫婦と「ONE OK ROCK」ボーカルのTAKA(30才)も、その一例だが、彼らの才能も遺伝しているのか。「音程」能力は80%が遺伝。作曲能力など複雑な「音楽」の才能は、実に92%が遺伝によるという。2014年には「リズム感覚を司る遺伝子」も発見されている。 遺伝子的には「俳優」よりも「ミュージシャン」のほうが2世が成功する可能性が高そうだ。ちなみに、小説家などの「執筆」の能力は83%、「美術」の能力は56%が遺伝によるという。※女性セブン2018年7月12日号
2018.06.30 16:00
女性セブン
レコードを6枚出した江本孟紀氏 その驚きの印税額
レコードを6枚出した江本孟紀氏 その驚きの印税額
 かつてプロ野球界では、レコードを出すことがスター選手の証しだった。現在は野球評論家として活躍する江本孟紀氏もそのひとり。5枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした江本氏が、“音楽活動”について振り返る。 * * * 僕の現役時代は、レコードを出すのは1つのステータスでした。各球団の主力選手になると、だいたい出していましたからね。特に1970年代のパ・リーグは不人気で、球場はガラガラ、テレビ中継も全くない時代でしたから、宣伝の意味合いも大きかった。球団も乗り気でしたし、オフにプロ野球選手の歌番組に出るときは、「名前売るために勝ってこい!」と檄を飛ばされました。 1973年に『あぶさん』のテーマ曲で初めてレコードを出した時、野村克也監督だけは「芸能人みたいなことするな」と批判的でしたよ(笑い)。ヤクルトの監督になってからは意識が変わったようで、CDを出していますけどね。 僕は法政大時代に、合宿所で下級生に観客になってもらって、ギターの弾き語りをしていました。それくらい歌は好きで、井上陽水さんやビートルズをよく聴いていました。でも、レコード用に用意される曲はなぜか演歌ばかり。当時の野球選手のイメージがそうだったんでしょうね。 それでも、阪神時代の『恋する御堂筋』は藤圭子さんの作詞をしていた石坂まさをさんに、引退後の『アカシヤの面影』は石原裕次郎さんの作曲をしていた鶴岡雅義さんに書いてもらいましたからね。豪華なものですよ。 プロ野球の統一契約書には、「副業の場合は球団と選手で折半する」と書いてあった記憶があります。でも、実際に儲けを取る球団はなかったと思いますよ。売れないですし、僕も1枚売れても数円しか入らないなら、ボールを投げているほうがいい(笑い)。でも、今も印税が年に1000円くらいは入ります。 飲み屋に行くと、「カラオケに入っているから歌ってくれ」といわれて困るんですよ。そういう時は「今は歌手が本業だから、タダじゃ歌わないよ」と返すと、皆引っ込みますね(笑い)。●えもと・たけのり/1947年生まれ、高知県出身。1971年、東映入団。この年は無勝利で終わるが、翌年トレードで南海入りすると16勝挙げ、エースとなる。■撮影/藤岡雅樹 取材・文/岡野誠※週刊ポスト2017年2月10日号
2017.02.03 16:00
週刊ポスト
紅白本番中に司会に曲変更させられた橋幸夫、その真相を直撃
紅白本番中に司会に曲変更させられた橋幸夫、その真相を直撃
 今年で67回目を迎えるNHK紅白歌合戦。今回は和田アキ子、細川たかし、藤あや子らベテラン勢が落選、“世代交代”を印象づけた。近年は視聴率低迷が叫ばれているが、それでも平均視聴率40%近くを叩き出す年末の風物詩だ。 1951年、NHKラジオ『紅白音楽試合』を引き継ぐ形でスタートした『NHK紅白歌合戦』。生放送のため、予期せぬアクシデントは黎明期から数多く起こっていた。 第2回放送(1952年)では歌手・松島詩子が会場に向かう途中に交通事故に遭遇。頭を8針縫う重傷を負い、出場不可能となった。そこでNHKは近くで年またぎの忘年・新年会をしていた越路吹雪に緊急オファー。越路は泥酔しながらも無事に“代打”を果たした。紅白ウオッチャーのコラムニスト・ペリー荻野氏が話す。「新宿コマ劇場で行なわれた第9回(1958年)時には、裏番組で生放送が急増。売れっ子は紅白と掛け持ちだったため、出演者が到着せず、司会の黒柳徹子さんがトークで場をつないだりしていた。紅白は“事件”が起こりやすい番組なんです」“忘れられない紅白ハプニング”として音楽評論家・富澤一誠氏が挙げるのは、第21回(1970年)の出来事である。 その年の橋幸夫は、『俺たちの花』を歌う予定だった。しかし白組司会の宮田輝アナが、本番中に「『いつでも夢を』を歌ってほしい」と橋に要求。翌年1月に結婚する自分のため「門出にふさわしい曲を」とリクエストしたのだ。 突然のことに橋が戸惑う中、会場には生バンドが奏でる『いつでも夢を』のイントロが流れ出し、そのまま歌が始まった。「今なら絶対にありえない話です。当時の宮田アナは、実力・人気ともに国内トップのアナウンサー。紅白の司会を何度も務め『宮田輝あっての紅白』といわれていた。その宮田アナのお願いだからこそ実現したのでしょう」(富澤氏) とはいえ、アナウンサーのプライベートのためにスターが歌うなんて、にわかに信じ難い。真相を確かめるべく橋を直撃した。「もう時効だから言いますけど、あれは演出ですよ(笑い)。事前に打ち合わせもして、リハーサルもやりました。バンドも入っているわけで、ぶっつけ本番で曲を変えるわけないでしょう」 翌1971年はメインボーカル・前川清の急病で「内山田洋とクール・ファイブ」が出場を辞退。代役でフォーリーブスが出場した。本番では前川抜きのクール・ファイブがゲストとして登場。当時、前川の妻だった藤圭子がクール・ファイブをバックに『港の別れ唄』を歌った。「晩年は暗い話題の多かった藤圭子さんですが、これは本当に心がほっこりする話。これからも語り継がれるべきエピソードです」(ペリー氏)※週刊ポスト2017年1月1・6日号
2016.12.21 07:00
週刊ポスト
「日本のバッハ一族」服部家、音楽の才能は92%が遺伝との説も
「日本のバッハ一族」服部家、音楽の才能は92%が遺伝との説も
「音楽の父」作曲家ヨハン・ゼバスチャン・バッハ。彼の子供たちも才能に恵まれ、バッハ一族はおよそ2世紀半にわたって60人もの音楽家を輩出した「超名門」だ。 実は、現代の日本にも、それに比肩するといわれるほどの音楽一家がいる。初代・服部良一は「昭和歌謡の父」と呼ばれる稀代の作曲家。淡谷のり子『別れのブルース』、笠置シヅ子『東京ブギウギ』などの大ヒット曲を含め、手掛けた楽曲は3593曲。1993年の没後には、国民栄誉賞を受賞した。 2代目・服部克久(80才)も『ザ・ベストテン』のテーマ曲などを手がけた、昭和を代表する作・編曲家。3代目は当代きっての人気作曲家・服部隆之(51才)だ。映画『HERO』、ドラマ『半沢直樹』(TBS系)、NHK大河ドラマ『真田丸』で、あの印象的なメインテーマ曲を作ったといえば、その売れっ子ぶりがわかるはず。 さらにスゴいのが弱冠17才の4代目の服部百音。5才でバイオリンを始めた彼女は、数々の世界的コンクールで優勝。10代にして全国でコンサート活動を続けている。服部一族が代々、生まれつきの「音楽的才能」も受け継がれてきたことは否定できないだろう。 最近の音楽界にも“親子鷹”は多い。宇多田ヒカル(33才)と藤圭子(享年62)や、「ONE OK ROCK」ボーカルのTAKA(28才)と森進一(69才)・森昌子(58才)の親子は、そのごく一例だ。 前稿で触れたように、一世を風靡した歌手である工藤静香と木村拓哉の長女もフルートの才能に恵まれ、中学卒業後はフランス留学を検討しているそうだ。 親と子で、顔つきや身長、足の長さなどが「遺伝」するのは当たり前に知られている。実は、最近の研究では「体」だけでなく「心」も親からの遺伝に大きく影響を受けることがわかってきている。 たとえば知的能力。脳の中で知能に関係が深いのは「前頭葉」という部分だが、その表面積や厚さ、密度などは約80%が遺伝の影響を受けるとされている。 そこで気になるのが、音楽などの芸術的な「才能」はどこまで遺伝するのかということだ。 慶応義塾大学文学部教授・安藤寿康さんの「双子の研究」によると、音楽的な能力は育った環境よりも、生まれ持ったDNAのほうが強く影響するという。 世間では歌の下手な人は「親譲りのオンチで」なんて言い訳が常套句だが、あながち笑い話ではない。「音程」を取る能力は80%が遺伝で決まるとされる。残りの20%が育った環境に左右される部分だ。 さらに作曲能力など複雑な「音楽」の才能でいうと、実に92%が遺伝だという。ちなみに、小説家などの「執筆」の能力は83%が遺伝。同じく「美術」は56%が遺伝で、残りの44%が環境によって変わるという。「画家の息子が画家」というケースよりも、音楽一家のほうがより多いこともうなずける。「2014年3月、英科学誌ネイチャー系のオンライン医学誌にある論文が発表されました。『リズム感』がある人とない人では、内耳の細胞にかかわる遺伝子と、一部の脳にかかわる遺伝子の2つに差違があったそうです。以前から“リズムの取れない家系”があることは知られていましたが、遺伝子レベルでも、リズム感が遺伝することが証明されたんです」(医学ジャーナリスト)※女性セブン2017年1月1日号
2016.12.17 16:00
女性セブン
活動再開の宇多田ヒカル 語り始めた亡き母への想い
活動再開の宇多田ヒカル 語り始めた亡き母への想い
「あらゆる現象に母が見えてしまった時期があったんです。つらい、嫌だなって最初は思っていたんですけど、結局誰しも原点はあって、その原点は母だったと。私の世界、あらゆる現象に彼女が何かしら含まれているのは当然だなって。私の体は親からきているものですから」 9月22日、『SONGS』(NHK)に出演した宇多田ヒカル(33才)はそう話した。 2010年に「人間活動」を宣言し、歌手活動を休業していた宇多田が6年ぶりに活動を再開。9月28日には新アルバム『Fantome』を発売した。 久々の宇多田の姿は、休業前と比べてだいぶやせていたこともあり、ネット上には、《アゴが細くなってる!》《年のせいかな。イメージ変わった》といった外見に関する意見が散見されたが、同時に母子の絆に感動する声も溢れた。 番組では、インタビュアーの糸井重里(67才)を相手に、「6年間の空白」と母・藤圭子(享年62)への思いを吐露。宇多田がテレビで母の死について触れたのは初めてのことだった。「休業中は、自分の習いたかった語学とか、図書館に毎日通ったりとか…。若い友達がなぜか多くできたので、そういう二十才前後みたいな遊び方をほとんど体験していなかったので、遅くやってきた青春みたいな感じでしたね」 番組でそう明かしたように、宇多田は活動休止と同時にロンドンに移住した。「デビュー以来、生活無能力者だった」と自嘲する彼女は、過去の自分から脱却するためにもがいていたという。「引っ越しからネット開通、水道、電話の契約まで全てひとりでこなしたそうです。当たり前のようですが、それまでひとりで電車移動さえしたことがなかった女性です。必死だったんでしょう」(芸能関係者) ロンドンでの生活に慣れ、穏やかな日常を取り戻した矢先、悲劇が襲う。2013年8月22日、母がマンションから飛び降り自殺した。◆子供がいなければ復帰していない 宇多田と藤の関係は世間の母娘とは異質だった。藤は1982年に宇多田照實氏(68才)と結婚。翌年に出産し、3人は日本各地を愛車で旅する自由な生活を満喫する。そんな生活が変わったのは1998年。宇多田のデビューがきっかけだった。 ファーストシングル『Automatic』が200万枚を売り上げ、翌年発売のアルバムは900万枚を突破。空前の宇多田ブームを前に両親の関係も変わっていった。「宇多田さんのプロデュース方針を巡り、ふたりは激しくぶつかりました。一変した家族関係を寂しく思う気持ちも強く、宇多田さんは徐々に、両親と距離を置くようになりました」(前出・芸能関係者) 2002年に宇多田が映画監督の紀里谷和明氏(48才)と最初の結婚をすると、藤は縁を切るようにひとり放浪を始める。藤が自殺した当時も、母子は疎遠だったという。 絶望に沈む宇多田にとって、一筋の光となったのが恋人の存在だった。宇多田は現在の夫であるイタリア人バーテンダーのAさんと2014年の2月に再婚。翌年夏、長男(1才)を出産した。これが人生の転機となったと番組で語っている。「もし子供がいなかったら、多分アルバムを作ったり、仕事を始めようと思えてないです。自分が親になって、子供を見ていると、自分の空白の2~3年が見えてくる。あぁ、私こんなんだったんだな、こんなこと親にされてたんだなって。それって結局、親に対する感謝と、自分がどこにいるのか見えた瞬間なんです」 子供の存在が、母の死を乗り越える力を宇多田に与えたのだった。 一方で、宇多田を複雑な思いで見つめる人もいる。藤の実兄、藤三郎氏(66才)である。三郎氏は藤が自殺した当時、照實氏の意向により、妹の遺体と面会することができなかったことをメディアで告白。その後も通夜、葬儀さえ行われない事態に異を唱えてきた。藤の命日を控えた8月19日、女性セブンの取材に三郎氏はこう話した。「私はいまだに何にもわからんままです。遺骨のことも知りません。散骨したらしいって聞いても、向こうからは一切連絡ないから。もう全然、どうなってるのやら」 番組では、4月に活動を再開した宇多田が最初に発表し、NHKの『とと姉ちゃん』の主題歌にもなった『花束を君に』も、母への気持ちを歌った楽曲なのだと明かされた。※女性セブン2016年10月13日号
2016.09.29 07:00
女性セブン
宇多田ヒカルの朝ドラ主題歌は亡き母へのラブレター?
宇多田ヒカルの朝ドラ主題歌は亡き母へのラブレター?
 絶好調の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(NHK)。物語の大テーマである“ていねいな暮らし”が話題となるなか、主題歌も注目を集めている。宇多田ヒカル(33才)の新曲『花束を君に』だ。『レコチョクアワード 月間最優秀楽曲賞 2016年4月度』で、ダウンロード(シングル)部門で首位に輝いた。 インターネット上には感動の声とともに、こんな感想も。《冒頭の「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」ってのが気になって歌詞を見て気付いた。これ、死化粧のことだよね》《始まりと終わりの狭間、って、生死の間? お母さんのことをまだ引きずっているのかな…》 宇多田の母・藤圭子さん(享年62)は、2013年8月22日、自らの手で命を絶った。その死からまもなく3年が経とうとしている。宇多田は、2014年5月にイタリア人男性と結婚、翌2015年7月に第一子が誕生し幸せな日々を送っているものの、母のことを消化しきれないでいるようだ。3月19日、ツイッターにこんなツイートをしている。《自死遺族の方々によるブログをハシゴしてたら今がお彼岸だと知った。春分の日の今日はお彼岸中日か。母の遺骨は本人の希望通り散骨して、どこにもお墓はないから、お墓参りしたい時どうしたらいいのかな。海が見える所に行きたいな》 宇多田を知る音楽関係者が言う。「今回宇多田さんは、活動再開にあたって、『真夏の通り雨』という曲も発表していますが、『花束~』と同様に母への思いを歌っています。2曲とも母親のことを書いているぐらいですからまだ自分の中で消化しきれていないんでしょうね。 宇多田さんの実父・宇多田照實さんがブログに書いたように、藤さんは宇多田さんが5才の頃から心の病が表れだしたそうです。気持ちの浮き沈みは激しく、その結果照實さんと結婚、離婚を繰り返したり、突然わめきだしたり…。家族で藤さんを支え続ける中で、宇多田さんが瞬く間にスターになりました。このことが藤さんをますます苦しめることになったんです」 宇多田が幼い頃は、「娘は天才なのよ」と周囲に自慢していたが、デビューして、どんどん成功していく娘を遠い存在と思うようになった藤さん。そんな母に対して宇多田は、大ブレークするなかで、ともに過ごす時間が減り、気持ちのすれ違いを埋めていくことができなくなっていく。彼女は1度だけ母に感情をぶつけたことがあったという。「“出て行って”的なことを口走ってしまったことがあるそうで、それからというもの藤さんは“娘に嫌われているから”とよく口にするようになったと。宇多田さんはそんなことを言ってしまった自分を責め、すごく後悔したそうです。 その後、何度も何度も宇多田さんは藤さんと向き合おうとしたんですが、藤さんがなかなか応じなかったといいます。ですから宇多田さんにとって、藤さんの死はただただ悲しいだけではなく、幸せな記憶があるだけに、無念さなど複雑な思いが絡んでいるんでしょうね。 その藤さんへの思いがあの歌詞に出ているんだと思います。歌詞に《言いたいこと 言いたいこと きっと山ほどあるけど 神様しか知らないまま 今日は贈ろう 涙色の花束を君に》なんて、まさにそう思えてなりません」(宇多田の知人)※女性セブン2016年5月26日号
2016.05.14 16:00
女性セブン
一周忌・藤圭子さんの実兄が「ヒカルよ妹と同じ道を辿るな」
一周忌・藤圭子さんの実兄が「ヒカルよ妹と同じ道を辿るな」
《一周忌をどう過ごすべきか、どういう気持ちで迎えるべきか悩んでいる時に、幼くして父を亡くした友人に命日の過ごし方を聞いたら『兄は命日を偲ぶけど、私は父の誕生日を祝うの!』とのこと。故人の偲び方は人それぞれだし命日にそこまで囚われる必要もないのかなと思えて、少し落ち着けた》(原文ママ) 8月22日、母・藤圭子さん(享年62)の飛び降り自殺という衝撃的な死から1年が経ち、娘・宇多田ヒカル(31才)は自身のツイッターにこう心境を綴った。 しかし、そんなヒカルとは裏腹に、一周忌を複雑な思いで迎えた男性がいた。それは藤さんの実兄で元歌手の藤三郎氏(64才)だ。ヒカルにとって伯父にあたる人物である。 三郎氏といえば、昨年8月、藤さんが亡くなった直後、雑誌やテレビでヒカルの父・照實氏(66才)に対して、怒りをぶちまけていた。それは藤さんの遺体に面会を申し入れた三郎氏を、照實氏はヒカルの代理人という立場から拒み、さらに三郎氏だけではなく全ての肉親、知人との面会を拒否し、通夜、葬儀さえ行わないという異常事態になっていたことを告発したものだった。 そして、藤さんの死から1か月も経たないうちに、三郎氏の元にヒカルから、こんな手紙が届く。《母の意志に沿い通夜葬儀納骨は行わず なお且つ母の強い指示で遺骨は散骨させて頂きました》 三郎氏にしてみれば、実の妹の遺骨に手を合わせることもできぬままの“お別れ”を意味する、あまりに一方的なものだった。「散骨したのであれば、それが海なのか、山なのか…、どこで散骨したかぐらい教えてくれてもいいと思うんです。家族なのに、どこに向けて手を合わせればいいかわからないんですよ」(三郎氏) こう嘆く三郎氏は、遺体にも会えず、お骨がどこに葬られているかもわからないという重なり合う負の連鎖に、悲痛な嘆きが続く。そしてこの状況ゆえか、こんな疑念を持っているという。「私はね…本当は散骨していないんじゃないかって思っているんです。誰かに頼んで、どこかのお寺に隠してあるんじゃないかって。だから、散骨した場所も教えられないんですよ。しかも、ヒカルは(ツイッターで)遺言があると言っていたけど、それも本当にあったのかも疑問なんです」(前出・三郎氏) 照實氏への怒りは今も消えないという三郎氏だが、ヒカルのことは気がかりだという。「今は恨みもないし、結婚生活もうまくいってほしいと思ってます。ただ、妹と同じ道を歩んでいるような気がするから、これ以上は同じ道を辿らなきゃいいけどって思うんです」(前出・三郎氏) 今年5月、8才年下のイタリア人バーテンダーと再婚したヒカル。その姿が三郎氏には藤さんに重なるのだという。「妹も最初は人気歌手だった前川(清・66才)さんと結婚して、“お金を持っている人は嫌い”って言って離婚して、次は得体の知れない男と再婚して苦労して…。ヒカルも1度目は有名な人(紀里谷和明・46才)と結婚。今度は年下で…。それに急にブレイクしてお金がバーッと入ったところや、芸能活動が嫌になって活動を休止したりしたところまで似ているんですよね。だからちょっと心配なんですよね…。ただただ幸せになってほしいですよね」(前出・三郎氏) かつてヒカルは三郎氏のことを、こんなふうに評している。《たびたび小遣い稼ぎに利用され傷ついた母が長年絶縁していた相手》 しかし、彼女にとって三郎氏はわずかに残された肉親。きっと天国の藤さんも実兄と愛娘が争うことは望んでいないはずだ。最後に三郎氏はこう話してくれた。「もうこれからは遺骨のあるなし関係なくね、永代供養はぼくがやっていこうと思うんです。今後は怒りをぶつけるよりも、妹をどう供養してくかが大切だと思ってます」※女性セブン2014年9月11日号
2014.08.28 16:00
女性セブン
宇多田ヒカル 8才年下夫の陽気な大家族に救われたとの予測
宇多田ヒカル 8才年下夫の陽気な大家族に救われたとの予測
 自身のブログでイタリア人バーテンダーのAさん(23才)との再婚を発表した宇多田ヒカル(31才)。2010年8月、「人間活動に専念するため」に歌手活動を無期限休止し、その後、ロンドンへと渡った宇多田だが、その後宇多田を追って渡英していたのが、日本人画家・福田天人(てんじん)さん(38才)だ。 宇多田と天人さんは、ふたりでロンドン生活を送り、結婚準備も進んでいたが、再婚した相手は別のAさんだった。 女性セブンは2013年9月にロンドン市内でデートをする宇多田とAさんの姿をキャッチしている。しかし、現地で取材を進めると、宇多田はそのころ、相変わらず天人さんとのツーショットを、近所のスーパーやカフェで目撃されていた。 実際、当時、天人さんの祖母に、ふたりがロンドンで一緒に暮らしていることを聞くと、「そうです」とはっきり認めていた。また、宇多田が渡英するとき、彼女が育てていた紅葉の植木鉢を預かっていることも話していた。さらに2013年末の週刊誌のインタビューでも、祖母は、天人さんは住み込みの仕事をしているものの、土日は宇多田のところへ帰っており、“週末同棲”状態にあることを明かしていた。 イタリアの報道によれば、宇多田とAさんがロンドンで出会ったのは昨年夏のこと。秋には、宇多田が彼の家族に会いにイタリアへ。そして結婚が決まり、今年に入ってAさんが地元からロンドンへと移住してきたという。 この報道が事実ならば、宇多田は、天人さんとAさんの間で二股をかけていた末に大どんでん再婚を決意したことになる。その理由について、ある音楽関係者がこう話す。「これまでも彼女と家族の問題はたくさんありました。(母親の)藤圭子さんの自殺も、そういった確執が生んだものといっても過言ではありません。しかも藤さんが亡くなった後、父親と親戚が骨肉の争いを始めましたから、もう日本にはいられないと思ったのでしょう」 宇多田は藤さんの葬儀(2013年8月27日)を終えるや、すぐさまロンドンへと帰っていった。「Aさんは大家族で、みんな陽気であったかい。誰も彼女を特別扱いしませんし、藤さんのことも知らない。もちろん骨肉の争いなんて知るはずもありません。それは宇多田さんにとっては大きな救いだったんでしょう。 そこは天人さんとAさんの大きな違いだったと思います。それにイタリアで入籍すれば、宇多田さんは本当の意味で新しい人生を始めることもできますからね」(前出・音楽関係者)※女性セブン2014年2月20日号
2014.02.07 07:00
女性セブン
宇多田ヒカルと再婚相手男性が談笑する写真を週刊誌が掲載
宇多田ヒカルと再婚相手男性が談笑する写真を週刊誌が掲載
 現在発売中の女性セブン2月20日号に、再婚を発表した宇多田ヒカル(31才)とお相手の8才年下イタリア人男性・Aさんが談笑する写真が掲載されている。 写真が撮影されたのは、宇多田の母・藤圭子さん(享年62)の死から2週間後の昨年9月。その夜、彼女はアート系やハイストリート系のイギリスらしい店が集まるロンドン中心地コヴェント・ガーデンにある有名なブラッセリーで、友人らと食事を楽しんでいた。 ショートブーツをはいた彼女より、ゆうに頭一個分背が高い彼がAさんだった。友人らがカジュアルな装いだったにもかかわらず、仕事帰りだったのか、彼はスーツ姿。終始宇多田の隣に寄り添い、ふたりは愛おしそうに見つめ合う。 煙草の煙をくゆらせながら、気のおけない友人らも交えリラックスモードで談笑するふたり。長身の彼に時折熱い視線を投げかける宇多田の様子が、彼こそが母の死を癒してくれる存在だということを物語っていた。
2014.02.06 07:00
女性セブン
藤圭子さん 暗い曲とは裏腹に都会的で頭のいい人という印象
藤圭子さん 暗い曲とは裏腹に都会的で頭のいい人という印象
 突然の悲報で幕を閉じた藤圭子(享年62)の人生は、まさに波瀾万丈だった。 1969年、18才の時に『新宿の女』で歌手デビュー。翌1970年には『圭子の夢は夜ひらく』が77万枚の大ヒットを記録するなど、1970年代を代表する歌手となったが、1979年に突如、芸能界を引退し、渡米。宇多田照實さんと出会い、娘・宇多田ヒカル(30才)を授かる。 宇多田の天性の才能にいち早く気づいたのは、藤さん自身だった。『悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾』(イースト・プレス刊)を書いた作家・大下英治さんが藤さんに会ったのは1994年のこと。その時、彼女は興奮気味にこう語った。「娘は天才なのよ。今、ニューヨークで歌の勉強をしているから、見ていてごらん。あと何年かすると、あっと驚くようなデビューを見せるから」 4年後の1998年。その“予言”通り、宇多田は17才にして『Automatic』で200万枚突破という鮮烈なデビューを飾った。 2000年7月、宇多田のファーストツアーの札幌でのステージ。宇多田の「ママー」という呼びかけに応えて舞台に上がった藤さんは、娘とともに『圭子の夢は夜ひらく』をデュエットした。その日は夫・照實さんの誕生日だった。 会場にいた札幌在住の音楽ジャーナリスト・内記章さんは、藤さんの幸せそうな顔が脳裏に焼きついていると話す。「藤さんは娘の活躍が嬉しかったんでしょうね。当時、メディアにはほとんど出ていなかったので、突然の登場に驚きました。ヒカルさんは、藤さんが歌うのを、横から温かい目で見守っていました」 もしかすると、この頃が彼女の幸せの絶頂だったのかもしれない。夫・照實さんとは離婚再婚を7回にわたって繰り返し、2006年に最後の離婚。宇多田も2010年から音楽活動を休止したままだ。そして突然の悲報──。 実は内記さんは藤さんが最初の引退をした1979年にも、彼女を取材している。「暗い歌のイメージと違って、洋楽なんかの話を快活にしていました。都会的で、とても頭のいい人だったという印象があります」(内記さん) そのDNAを確かに引き継いだ宇多田の復帰が待たれる。※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号
2013.12.16 07:00
女性セブン
テレ朝・武内絵美アナ 復帰後1年の働きが大絶賛されている
テレ朝・武内絵美アナ 復帰後1年の働きが大絶賛されている
 結婚・出産を経てテレビ局に復職する「子持ち女子アナ」が増えている。視聴率戦争を首位独走するテレビ朝日でも、子持ちアナが高評価を受けていた。一昨年に出産、昨年12月に職場復帰した武内絵美アナ(37)である。かつては『報道ステーション』のスポーツキャスターを務めていたが、現在はレポーターとして事件などの現場取材を担当する。 不慣れな業務で苦戦しているかと思いきや、復帰後1年間の働きは大絶賛されている。『報ステ』関係者がいう。「特に評価を上げたのが、元歌手の藤圭子の自殺現場からのレポートだった。アイドルアナというイメージだったのに、若いスタッフに的確な指示を出しながら、冷静にレポートしていた。母親になってから、どっしりと腹が据わった印象です。ほとんど仕事をしたことのない相手でも名前を覚えて忘れない、という特技もあってスタッフから慕われている。『報ステ』の後輩である宇賀なつみアナ(27)や小川彩佳アナ(28)も頼りきっていて、仕事の悩みの相談に乗っているとか。特に宇賀アナは、自宅で料理を振る舞われるほどかわいがられている」 一時は現エース・竹内由恵アナ(27)の台頭によって「オールドたけうち」とからかわれた武内アナだが、今や『報ステ』の女帝として君臨しているようだ。※週刊ポスト2013年12月20・27日号
2013.12.13 07:00
週刊ポスト
藤圭子「あたしの胸がときめいてしまったら、それで終わり」
藤圭子「あたしの胸がときめいてしまったら、それで終わり」
【書評】『流星ひとつ』沢木耕太郎著/新潮社/1575円(税込)【評者】鈴木洋史(ノンフィクションライター) * * * 1979年秋、引退発表直後の藤圭子を若き気鋭のノンフィクション作家だった著者がインタビューした。それをもとに当時書いたのが本書だ。一切の地の文を排除し、2人の会話だけで構成している。といっても、実際のやりとりをそのまま再現するのではなく、かなりの取捨選択、再構成を行なったはずだ。酒場での会話の体裁を取り、男女の関係になってもおかしくない空気すら漂う。そのスタイルと雰囲気が面白い。 具体的な経緯は本書の「後記」に譲るが、作品は一度も発表されることなくお蔵入りしていた。だが、自死をきっかけに、奇矯な言動の映像ばかりが流される中、若い頃の藤圭子が〈輝くような精神の持ち主〉だったことを伝えたい思いから刊行が決まったという。 貧しさと父の暴力に苦しんだ少女時代に始まり、「自分と似ている」と感じた作詞家石坂まさをとの複雑な関係、「時代の歌姫」となっていく経緯、前川清との結婚・離婚、その後の失敗続きの男関係、そして歌への思いと引退の真相(そこが白眉である)に至るまで、内容は多岐に渡る。率直な語りから浮かび上がってくるのは、藤圭子の純粋さである。〈心の入らない言葉をしゃべるのって、あたし、嫌い〉〈嘘をつきたくないから、いつでも本当のことを言ってきた〉〈周囲の人が、あの人はよくない、悪人だって言っても、あたしの胸がときめいてしまったら、それで終わり〉……。 現実に婚約していながら、惚れた男から身を引く女の歌はうたえないといって、与えられた曲を拒否したこともあった。 その純粋さは、裏返せば不器用さであり、危うさであったが、それがなおさら彼女の魅力を増したことが伝わってくる。※SAPIO2013年12月号
2013.11.12 07:00
SAPIO
宇多田ヒカル ロンドンでの写真で露呈した危うい父娘関係
宇多田ヒカル ロンドンでの写真で露呈した危うい父娘関係
<光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり色々大変なこともあったけど、どんな時も私を愛してくれて、良い母親であろうといつも頑張ってくれてたんだな><昔ママが家の廊下ですっころんで足の小指を骨折するというミラクルを発動したのを思い出した> ツイッターで、こうつぶやいているように、宇多田ヒカル(30才)は今、自殺した母・藤圭子さん(享年62)との思い出を語ることができるまでに、精神的な落ち着きを取り戻している。 女性セブンも9月上旬、ロンドンの中心部でヒカルの姿をキャッチし、写真付きで報じたが、その際も友人と談笑するなど、元気を取り戻しつつあることが見て取れた。 だが、そんな本誌の報道に、ヒカルの父である照實氏(65才)が噛みついた。ロンドン中心部で喫煙しながら友人と談笑するヒカルの写真について、ツイッターでこうつぶやいたのだ。<昔の写真ですね><女性誌は過去の写真もたくさん撮っています。ただ最新号で使用しただけです> 照實氏は、本誌・女性セブンがあたかも昔の写真を現在の姿のように“捏造”したものだと主張したのだった。しかし、女性セブンがヒカルを撮影したのは、まぎれもなく今年の9月初旬である。 ヒカル自身もツイッターで<先日、週刊誌の記者に突撃されて>と綴っているように、女性セブンがヒカルの元を訪れたことを認めている。 この照實氏のつぶやきは、結果として危うい父娘関係を露呈させることになった。「現在、照實さんは、ヒカルさんとほとんど連絡を取っておらず、彼女の動向をまったく把握していないんです。だから、今のヒカルさんの姿を見てもピンと来なくて、過去の写真だと勘違いしてしまったんでしょう。ヒカルさんが藤さんの亡骸とすぐに対面しなかったのも、照實さんと会いたくなかったからといわれていて、ふたりの間には長年にわたる確執があるんです」(ヒカルの知人) 2002年、ヒカルは紀里谷和明氏(45才)と電撃入籍したが、これが、父娘の溝を深めるきっかけになった。「結婚後、ヒカルさんは自分の活動について、父ではなく紀里谷さんを頼るようになりました。面白くない照實さんは事あるごとに紀里谷さんの方針に口を出し、トラブルが続出して…。ふたりの間に板挟みとなったヒカルさんは苦悩して、以後、照實さんと距離を置くことになるんです」(前出・ヒカルの知人)※女性セブン2013年10月17日号
2013.10.07 16:00
女性セブン

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